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目的と手段の間の「遊び」が人を豊かにする?
「目的と手段を混同してはいけない!」
「目的が先にあって手段があるものだ」
手段はあくまで目的に帰属するもの。ビジネス文脈ではよく語られることですよね。僕も同意見です。
しかし、こと「締め切り」など明確な緊急要件がない場合、手段を探求するのも味わい深いな、と考えるようになりました。
たとえば、本を読むとき。
全部読んでいてもどうせ頭に入ってこないのだから、その本から「得たいこと」をハッキリさせ、目次をチェックして要点だけ拾い読みすればいい、なんてことがよく言われます。特にビジネス書を読むときは通例ですね。
一方で、著者の考え方や表現の味わい深さそのものに楽しみを感じ、一言一句をなめるように読む場合もあります(ありませんか?)。
せっかちな人はあまりしないかもしれませんが、僕はこういう読み方も好きです。読み進めている途中で「で、これ何の本だったっけ?」と迷宮を彷徨う感覚に陥ることもあるのですが、それすらも興に感じている感じ。
実はそんな「遊び」の中にこそ豊かな発見があるときがあります。目的に沿って最短距離を走っているときは決して得られない何かが、遊びの中には存在します。
人と関係をつくるときなども例として分かりやすいかもしれませんね。
クライアントになってもらいたい。ビジネスパートナーになってもらいたい。というように目的丸出しで人に近づくとかえって引かれてしまいますよね。
趣味とか、家族に対する価値観とか、ごく個人的な信念とか、そういった余白の引き出しを交換していく中で徐々に関係というのはつくられるものです。人間関係づくりは、手段を活用する際たる例かも。
効率を重視するのは大切ですが、そればかりに目が眩んでいると…なんというか単調でヒジョーにつまらない人間になりかねません。人の味わい深さや奥ゆかしさは、遊びの中にあるものなのに。
確かに一般的な世の中の尺度では能力は並かもしれないけれど、独特の知性を感じさせる人もいますよね? そして案外、そんな人の周りに人が集まってくることがある。
この「余白の知」とも呼べる現象は、最短距離で目的を走っているだけでは得られないものだと思います。
時に手段のほうに夢中になって、「で、これ何をしてるんだっけ?」と迷宮を彷徨う自分をあざ笑いながら、物事を探求してみるのも面白いのでは?(調べ物をしているときもこういうの、よくある)
目的は後付け! それくらいの感覚。
目的を求める目的をハッキリさせて、もっとニュートラルに構えてみてもいいと思います。
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