「強みを磨け」は現代の病である。
「強みを磨け」「自分にしかできないことを伸ばすべし」
こんな言葉が叫ばれますが、よくよく正しく解釈しないと危険だと考えています。
強みも自分にしかできないことも大切です。あって然るべきです。
しかし、自分の内側だけをのぞき込んで「これが私の唯一無二の強みだ!!」と決めつけたものはたいてい強みでもなんでもありません。
もっともらしいレトリックで、もっともらしいキャッチフレーズをつけたとしても、です。
強みは本当の強みではないかもしれない。なぜだか分かりますか?
それは、当たり前極まりないのですが「比べていない」からです。強みなんてものは相対的なものです。誰かや何かと比較してはじめて見えるものだと考えてみてください。
ボクシングでも、「ライト級世界王者」はいますが「絶対世界王者」なんて人はいませんよね。そもそも絶対的な強さなどないわけです。
全体平均の2倍、3倍突き抜けて努力する。
他人と比較したうえで、自分にしかできないポイントを伸ばす。
自分より優れた人との差分を埋めていく。
考え方はまだまだあるのでしょうが、いずれにしても比べないことには強みなど伸ばしようがありません。
もっともらしい言葉でカウンセリングをして「それがアナタの強みです!」などと言う人は、個人的には危険だと思います(汗)。口が巧いだけかもしれませんから。
「比較することで自分を見失ってしまう」「かえって没個性化してしまう」。こんな風潮があるために、人間は防御線を張って他人と比べようとしなくなったのだと考えます。
でも、それなのに「自分にしかできないこと」などと言うのだから、ちょっと矛盾している気が…。いったい誰に対して、何に対しての「自分にしか」なのか?
また、情報があふれすぎていて、比較対象が多すぎてかえって探せないというのもあると思います。極端な話、「めんどいから比べなくてもいーや」ということです。
比較したり比較されたりすることが感情的にイヤというのは分かります。生きていくうえで何もかも比較していくべし、というつもりもありません。(1円安いからって遠くのスーパーまで行って野菜を買うのは面倒ですから)
しかし、仕事なのか生き様そのものなのか自分を生かす軸に対しては、それを守るための比較は避けられないと思います。負けそうだったら負けない座標に軸を移せばいいんです。
比較するってそんなにイヤなことばかりじゃないですよ。繰り返しますが、比べてはじめて、自分のことが分かることのほうが多いですから。伸ばすべきポイントも分かります。
「強みを磨け」「自分にしかできないことを伸ばすべし」
言葉通りとらえるとかえって迷宮をさまよってしまうこの言葉。現代の病です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?