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泥臭くなくなった社会で泥臭くあり続けること?

以前、僕がいた卸売の会社は各地方に営業マンがいて、小売店を足繁くフォローしていました。

いわゆる「本部」と言われるところだけでなく、「北なんとか店」や「東なんとか店」といったお店単位まで回る強者も。「足を使ってナンボ」のモーレツ系世代は賞賛に値します。

しかしながらコロナによって対面営業の機会が外部要因で激減。そして今、少なくとも僕がかつていた業界では2局化が起こっているようです。

  • それでも泥臭くやるか

  • スマートにやるか

前者について触れる前に。後者はコロナを契機に、テキストベースのやり取りやオンライン通話といったデジタルコミュニケーションにシフトしたタイプ。大半は効率も考慮してこちらに移ったそうです。

一方の「それでも泥臭くやる」派は絶滅危惧種になってしまった、と。この2局化の話は先日、たまたま知り合った業界人にお聞きしました。僕が在籍していた会社もスマート志向に走っているということでした。

「だからこそ、ウチは泥臭くやるんだ」。

業界人さんの会社では、泥臭くあり続けることを選択したそうです。

これは「ウチはこういうやり方でやってきたのだから、デジタル化なんて受け入れない!」というような、近視眼的な話ではありません。

デジタル化にも取り組むけれど、うまくいっていたことを、社会の変容に釣られて変える必要はない、ということを示唆しています。

実際、アフターコロナになり、この業界人さんの会社に対する顧客の評価は変わったそうで、

「(他社は)どこも会いに来なくなったけど、おたくだけはしつこく来てくれるね」

と、以前にも増して好意的に受け入れられていると聞きました。

長期的に「こうなる」と見越していたかどうかは分かりませんが、変わらなかったからこそ得られた顧客満足だと思います。

  • それでも泥臭くやるか

  • スマートにやるか

これはどちらが良くてどちらが良くないというように、軽々に答えを出すものではないと思います。一方に“全フリ”するものでもありません。

ただただ、続けて得られることもあれば変わって失うこともある、という興味深いデータを僕たちに教えてくれます。(個人的には、見せても得にならないから見せていないだけで、成功している人ほど泥臭くやっているものだと考えていますが)

結局は他者ではなく自分が「どうあるか?」ですね。他者なり社会環境なりを知ることは大切ですが、その中で何を選択するかは自分です。

盲目的な自己中とは違いますよ(汗)。知って・決める、ということです。


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