安藤忠雄の真逆:「負ける建築」の隈 研吾
知っておきたい建築家たち
何人かの重要な建築家を知るとそれだけで建築や家具の全体について、ざっくり知ることも楽しむこともできるようになります。そんな建築家について紹介していきます。
隈 研吾
名前:隈 研吾(くま けんご)
誕生:1954–
国:日本
隈 研吾氏は、神奈川県横浜市出身の日本の建築家。東京大学特別教授。株式会社隈研吾建築都市設計事務所主宰。
株式会社隈研吾建築都市設計事務所のウェブサイト
木材を使うなど「和」「日本」をイメージしたデザインを旨としている。多作。2020年夏季オリンピックのために建設された東京の日本国立競技場の設計者。
来歴
1954年 三菱金属鉱業(現・三菱マテリアル)の社員であった父親が45歳の時の息子で、医院を営んでいた母方の祖父が建てた大倉山駅近くの家で育つ(※1)。神奈川県横浜市大倉山出身。
初めは猫好きゆえに獣医を志していたが、家屋の修繕をするデザイン好きの父親に付き合ううちに、建築に興味を持つようになる。大田区立田園調布小学校に通っている時、1964年(10歳)の開催を控えた東京オリンピックの建築物を目にし、建築家を志す。中学受験をして栄光学園中学校・高等学校に進学。高校時代は183cmの長身を生かしてバスケットボール部でセンターを担当。高校卒業後は東京大学理科一類に進学。
1979年(25歳) 東京大学工学部建築学科を卒業後、東京大学大学院建築意匠専攻修士課程を修了。在学中は、芦原義信、槇文彦、内田祥哉、原広司らに師事。
大学院で修士論文を書いていた時期に、同級生の多くは当時話題の安藤忠雄氏に憧れていたが、隈はその逆を行くことを選択し、アトリエ系事務所ではなく、社会に揉まれるためにと大手設計事務所の日本設計に就職する。その後、戸田建設、米国コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員(1985-1986年)を経て、1990年(36歳)に隈研吾建築都市設計事務所を設立する。
1998-1999(44-45歳) 法政大学工学部建設工学科非常勤講師、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授、
1998-2002(44-48歳) 早稲田バウハウス・スクール講師(
2002-2007(44-49歳) 慶應義塾大学理工学部客員教授
2007-2009(49-51歳) 慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科教授
2007-2008(49-50歳) 米国イリノイ大学建築学科客員教授
2009年(51歳)–東京大学工学部建築学科教授に就任。2
2008年(50歳)フランス、パリに Kuma & Associates Europe を設立。
2018年(60歳) 高知県立林業大学校の初代校長に就任]
2020年(62歳) 東京大学特別教授。岡山大学工学部特別招聘教授に就任。
人物
初期はドーリック南青山ビル(1991)やM2ビル(1991)などポストモダニズムに一部脱構築主義要素を加えた建物を発表していましたが、高知県高岡郡檮原町の「ゆすはら座」(1995)存続への関わりをきっかけとして、木材などの自然素材を生かした建築や、縦格子を多用したデザインが特徴的な作品を多く手がけるようになっていきました。
木材を使い始めた理由
木材を多用するようになったのは、1995年に起きた阪神大震災と2011年の東日本大震災を見て、コンクリートなどの人工物で自然に立ち向かおうとする20世紀の思想が破綻したと感じたためであると回顧しています(※1)。森林を手入れして生み出す木材は、人間と地球をつなぎ合わせる存在と、隈研吾氏は位置付けています。また大型の公共建築物が「税金の無駄遣い」「環境破壊」と批判されるようになった時代に育ったうえ、経済成長の鈍化と高齢化が進んでいる日本の現状を見据え、周囲に調和した「負ける建築」や、「コンクリートと鉄の時代」を「木の時代」に変えることを志向しています。
海外にも活動の場を広げ、国際コンペでの受賞も着実に増やしており、世界的に注目される日本人建築家の一人として認識されています。設計のほか、ホテルやマンションの監修、室内演出や家具、食器、スニーカーなどのデザインも手掛けています。
現在は早稲田大学特命教授であり、兼ねてより親交の深い村上春樹氏の要請により、2021年(67歳)に早稲田大学国際文学館、通称「村上春樹ライブラリー」の設計を担当しました。
隈研吾氏の作品
ONE 表参道(2003)
LVMH大阪(2004)
東急キャピトルタワー(2010)
高尾山口駅(2010)(東京都八王子市)
川棚の杜(2010)(山口県)
パークコート赤坂檜町ザ タワー(2018)
まとめ
現在、世界的に有名で、且つ一般的にも名を知られた日本の建築家といえば、安藤忠雄氏と隈研吾氏ではないでしょうか。奇しくも(奇しくないんだけれれど)、二人は真逆のアプローチ。安藤忠雄氏は、コンクリートを石や木のような自然由来の素材として多用し、自作の特徴としています。そして元ボクサーの安藤忠雄氏は「勝つ」ことを目指して生きています。一方の隈研吾氏は、震災を経て、自然に勝とうとしない建築「負ける建築」を目指しています。自然に寄り添う、自然に溶け込む、自然に帰る建築。木材を人間と地球を結ぶ素材として多用した建築をしています。
隈研吾氏は、素材への追求や研究にも余念がなく、いつ寝ているのかと思うほどの多作と研究っぷりです。隈研吾氏の作品の変化を見るのもまた面白いでしょう。
最近では、海外での活躍も多いので、おいおい紹介していきたいと思います。
関連記事
参照
※1
よろしければサポートをお願いします。サポート頂いた金額は、書籍購入や研究に利用させていただきます。