《週末アート》 技術が芸術に昇華した「金継ぎ 」
《週末アート》マガジン
いつもはデザインについて書いていますが、週末はアートの話。
金継ぎ
「金継ぎ」(きんつぎ)は、陶器などの割れや欠け、ひびなどを修復する日本の伝統的な修復技法です。「金繕い」(きんつくろい)とも呼ばれます。
金継ぎの技法は、割れたり欠けたりしてしまった陶磁器や漆器などを漆(うるし)(の樹液)でつなぎ、修復するものです。漆は、ウルシ科のウルシの木やブラックツリーの木から採れ、乾燥させると人体に無害で非常に強力な硬化作用を持っています。
金継ぎでは傷跡を景色としてとらえ、継ぎ目を金や銀などの金属粉で装飾します。傷をなかったことにするのではなく、傷もその品物の歴史と考えて、新しい命を吹き込むという思想が、金継ぎの背景にあります。
このような技法の歴史は古く、縄文時代にも似たような技術が用いられていたと伝えられています。割れや欠けを修理して使う考え方は、古代から日本人の暮らしの中にありました。
金継ぎでも、装飾として必ず金粉を用いていたわけではなく、銀を使った銀継ぎ、黒呂色漆や弁柄漆を使った色漆継ぎ(漆直し、溜め継ぎ)なども同様の方法で多数作られています。
上絵付けが特徴である古九谷や古伊万里などは、漆による接着だけ行われ装飾は行われておらず、『赤楽』と呼ばれる楽焼(らくやき)の赤茶碗には弁柄漆を用いて装飾された例がよくあるため、基本的には修繕こそが何より重要であり、修繕対象の陶磁器固有の価値、色や存在を邪魔しないことに重きを置かれていたと考えられています。
近年では、エコロジー、SDGsの観点から日本の文化・思想の一つとして、海外を中心に高く注目されており、その流れを組んだビジネス化、あるいはデジタル情報化社会の影響によって、簡易金継ぎなどの一般人による金継ぎが盛んに行われているようです。
金継ぎの歴史
漆を用いて修繕を行う技術自体、古くは縄文土器や建築に存在し、その際に使われた漆は現在で言うところの刻苧(こくそ)漆と近い素材にて構成されている物も存在しています。
陶磁器における金継ぎの技法が生まれた原初としては、重要文化財に指定されている『青磁茶碗(馬蝗絆)龍泉窯』と関係があると考えられています。
江戸時代の儒学者、伊藤東涯(いとう とうがい/1670–1736年)によって享保12年(1727)に著された『馬蝗絆茶甌記』(ばこうはんさおうき)によると、この茶碗は安元初年(1175頃)に平重盛が浙江省杭州の育王山の黄金を喜捨した返礼として仏照禅師から贈られたものであり、その後、室町時代に将軍足利義政(在位1449~73)が所持するところとなりました。
このとき、底にひび割れがあったため、これを中国に送ってこれに代わる茶碗を求めたところ、当時の中国にはこのような優れた青磁茶碗はすでになく、ひび割れを鎹(かすがい)で止めて日本に送り返してきました。
あたかも大きな蝗(いなご)のように見える鎹が打たれたことによって、この茶碗の評価は一層高まり、馬蝗絆(ばこうはん:金属製の鎹(かすがい)によって割れた陶器をつなぎ留める伝統修復技術)と名づけられました。
この茶碗が陶磁器を修復し復元させる発想の原点であると伝えられています。
金継ぎを高く評価し、その知見を拡めた人物として千利休(せんの りきゅう/1522–1591/享年70歳)が挙げられ、当時金継ぎにて修繕された陶磁器は、黄泉の国より蘇った物として特別な評価を与えられたとされていました。
このような金継ぎの評価や、豪華絢爛さより情緒を重んじた侘び寂びを求め、作為的な物より不完全な物の中に美を見出そうと取り組んでいた千利休の思想をとっても、当時、禅の思想が政治や茶の湯を含めた文化、また、金継ぎが特別視されていた認識に大きく影響していたと考えられています。
逸話
豊臣秀吉が愛玩していた大井戸茶碗(銘『筒井筒』戦国の武将「筒井順慶」が興福寺の寺侍・井戸氏から譲り受け、所有したことからこの名前がついている)を小姓(こしょう:武士の職の一つで、武将の身辺に仕え、諸々の雑用を請け負う)が割ってしまい、罰せられかけたところを、その場に居合わせた武将にして歌人の細川幽斎(ほそかわ ふじたか)が
「筒井筒 五つにわれし井戸茶碗 咎(とが)をば我に負ひにけらしな」
と詠み、その後金継ぎを行い命を救ったと言われています。その大井戸茶碗は昭和25年に重要文化財に指定され、現在は金沢県の嵯峨家(元・侯爵家)の個人蔵となっています。また、本阿弥光悦作の赤楽茶碗(銘「雪峰」)の逸話が有名。
漆
漆(うるし)(Japanese lacquer)とは、ウルシ科ウルシ属の落葉高木のウルシ(漆、学名: Toxicodendron vernicifluum)から採取した樹液であり、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料および接着剤です。
金継ぎは、ウルシの木の樹液を精製して作られる天然の接着剤である漆を中心に使用して、多数の工程を数週間かけて行われます。
漆に含まれるウルシオールという成分が空気中の水蒸気が持つ酸素を用い、生漆に含まれる酵素(ラッカーゼ)の触媒作用によって常温で重合する酵素酸化、および空気中の酸素による自動酸化により硬化するため、接着を中心とした修繕が可能となります。
液状の漆では、かぶれる場合がありますが、硬化した漆は安全性が極めて高く、漆による接着の強度は長い歴史が証明しており、あらゆる接着剤の中でも非常に優秀なものです。
漆で出来た工芸品を漆器(しっき)と言い、日本の漆器はその高い品質により中世の頃から南蛮貿易を介して世界中に輸出されていた。
※南蛮貿易:南蛮貿易(なんばんぼうえき)は、日本の商人、南蛮人、明時代の中国人、およびヨーロッパとアジアの混血住民との間で行われていた貿易である。南蛮人とは、ポルトガル人とスペイン人を指す。例えばキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルがいる。時期は16世紀半ばから17世紀初期、場所は東南アジアから東アジアの海域にかけて行われていました。
まとめ
金継ぎの技術は、縄文時代からあるものの、それが文化的な価値を持ち始めたのは、禅の思想以降。不完全な物の中に美を見出そうとした茶道、禅が、金継ぎを美しきものとして昇華させました。
茶の文化を理解するには、岡倉天心の『茶の本』がおすすめです。元々は英語で書かれていたものですが、翻訳されたものも読みにくくありませんでした。
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