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「ゴシック」ってにゃに? 建築、文学、美術、書体そしてゴスロリ

「週末のアート」マガジン

日頃は、デザインについての記事を書いていますが、週末は、アートの話を書いています。アートとデザインは別物ですが、アートがデザインに及ぼす影響は大きいので、アートについても何かと抑えておくと(デザイナーにも、デザイナーじゃない方にも)便利です。


ゴシック

フランドル派の画家が描いたゴシック聖堂の内部
Pieter Neefs the Elder - ウェブ・ギャラリー・オヴ・アート:   静止画  Info about artwork, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15610967による

ゴシック(英: Gothic)は、もともと12世紀の北西ヨーロッパに出現し、15世紀まで続いた建築様式を示す言葉でした。しかし、この言葉は、絵画や彫刻など美術全般の様式にも適用され、それを「ゴシック美術」と言います。さらにゴシックの概念は、哲学や神学、政治理論などの知的領域の様式にも適用されていきます。また、今日においても「ゴシック」という言葉は広く使われ、「闇、死、廃墟、神秘的、異端的、退廃的、黒というイメージと関連して使われています。このようにゴシックということばは、現代ではけっこう多義的で曖昧。今回は、「ゴシック美術」を中心に扱います。ところで上記の絵画には、ゴシック建築の特徴のひとつ、リヴ・ヴォールトが描かれています。

リヴ・ヴォールト
画像引用:ARTFANS 『「ゴシック美術」の代表作や特徴、時代背景を分かりやすく解説!』


「ゴシック」という言葉の意味

ゴシックという言葉は、本来「ゴート人の、ゴート風の」という意味です。

ゴート人に福音書を解説するウルフィラ司教

ゴート人とは、古代ゲルマン系の民族で、東ゲルマン系に分類されるドイツ平原の民族です。彼らは、ゴットランド(かつてのスウェーデンの地方の一つ)からウクライナに移動した後、いわゆる「ゲルマン民族の大移動」によってイタリア半島やイベリア半島に王国を築きました。ローマ帝国の軍勢と戦い、壊滅的打撃を与えたこともある精強な軍を持った民族でした。また、ゲルマン系のなかでは早くからローマ帝国の文化を取り入れて独自のルーン文字を残したほか、ローマ軍に傭兵として雇われるなど、後期のローマ帝国の歴史において大きな役割を担っていました。

12世紀後半から15世紀にかけてのアルプス以北の建築様式を、ルネサンス期のイタリアの文化人たちが、北方のこの教会建築様式を侮蔑的な意味合いを込めて、「ゴートっぽい」と呼んだのが始まり、ゴシック建築という呼び名の始まりでした。その後、中世風の様式を意味する言葉として使われました。啓蒙の世紀である18世紀には、中世は暗黒時代であったと考えられ、結果、

“ゴシック”は、奇怪さや不器用さを表わす言葉として受け取られていきました。

そのような時代にゴシック趣味の自邸を建設して、19世紀のゴシック復権の先駆けとなった小説家、ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)(1717-1797)は、幻想の中の暗黒の中世を舞台にした小説『オトラント城奇譚』(The Castle of Otranto)(1764年)を書きました。

ホレス・ウォルポール

この小説が18世紀後半から19世紀前半に流行したゴシック小説と呼ばれる文学の始まりとなりました。19世紀に入り、ゴシック小説は、メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』や吸血鬼といった近代における闇の暗喩としての怪物の表象を生み出していきました。このゴシック小説が、現代のゴシックのイメージを形成しています。

ゴシック建築

フランス・パリのノートルダム大聖堂
Steven G. Johnson - 投稿者自身による作品 via Wikipedia, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=223969による

ゴシック建築(Gothic Architecture)は、12世紀後半、フランスを発祥とする建築様式です。最も初期の建築は、パリ近くのサン=ドニ(聖ドニ)大修道院教会堂(Basilique de Saint-Denis)の一部に現存しています。やがてイギリス、北部および中部イタリア、ドイツのライン川流域、ポーランドのバルト海沿岸などまで電波していきます。ルネサンス以降、ゴシック建築は、顧みられなくなっていましたが、その伝統は生き続け、18世紀になると、主として構造力学的観点から、合理的な構造であるとする再評価が始まりました。18世紀から19世紀には、ゴシック・リヴァイヴァルが興り、ゲーテ、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン、フリードリヒ・シュレーゲルらによって、内部空間は、ヨーロッパの黒い森のイメージに例えられて賞賛され、当時のドイツ、フランス、イギリスでそれぞれが自らの民族的様式とする主張が挙がるなどしました。

ゴシック建築の特徴

ゴシック建築は、尖頭アーチ、飛び梁(フライング・バットレス)、リブ・ヴォールトなどがその特徴です。これらを美的に総合させているのがゴシック建築のすぐれたところであり、ロマネスク建築が部分と部分の組み合わせで構成され、各部がはっきりと分されているのに対し、ゴシック建築では全体が一定のリズムで秩序づけられています。

ミラノのドゥオーモの尖塔群と飛び梁
クータンセ大聖堂。ゴシック建築は高い天井が特徴。
Eric Pouhier - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=670590による


ゴシック美術

ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ「マエスタ(荘厳の聖母)」
1308〜1311年/シエナ大聖堂付属美術館(イタリア)
画像引用:ARTFANS 「ゴシック美術」の代表作や特徴、時代背景を分かりやすく解説!

ゴシック美術とは、12世紀中頃から15世紀にかけてフランスから西ヨーロッパに広がった美術様式。当時主流であったビザンティン様式からの逸脱から始まり、最終的にはヨーロッパ全土に広がって、細部描写優雅装飾的な表現世俗的主題への関心を示した国際ゴシック様式として発達しました。ゴシックは、本来建築に使用された言葉で、絵画よりも建築や彫刻にその特性がよく表れています。11世紀後半から12世紀にかけて興ったロマネスク美術の延長線上に位置づけられますが、ロマネスク美術の象徴的・抽象的な表現とは対照的に、人間的で写実的な表現を特徴とします。建築では、ロマネスクの半円アーチに対し、尖頭アーチ、複雑な曲面天井、外壁を支える飛び梁などを組み合わせ、軽やかに天に向かう独特の聖堂様式を生み出しました。また壁面は、厚い壁に代わり色彩豊かなステンドグラスが取り入れられ、聖堂を光で満たしました。彫刻にも自由で新しい人間主義が目覚めます。イタリアでは壁画を中心とする絵画で急速な発展を示し、14世紀前半にはプロト・ルネサンスとも呼ばれるルネサンス美術への前駆的飛躍を成し遂げました。ローマの末期から始まった硬直した人間表現が、自然な描写へと戻り始め、卵などを固着材とするテンペラの使用により、軽く明るい色を見せています。この頃の代表的な画家はチマブーエ、ジオット、ドゥッチオ、シモーネ・マルティーニなど。

ゴシック美術の特徴は、

  • 人の表情が豊かになった

  • 影がグラデーションになり立体感が増した

  • 奥行きを表現している

ゴスロリはどこから来たのか?

ゴルロリファッション
画像引用:ロリータ ファッション通販RonRon(ロンロン)

1970ー1980年代にイギリスでゴシック文学の世界を踏襲した誕生したゴシック・ロック。このジャンルが音楽を超えて多くの国でサブ・カルチャーとして根づいていきました。これが、日本では、1980年代のポジティブ・パンクの妖しい装いやメイク、黒装束といった要素が、ヴィジュアル系の人々に受け継がれ、さらにゴシックとロリータをむすびつけたゴシック・アンド・ロリータ(ゴスロリ)というサブカルチャーがうまれていきました。


ゴシック体とは

ゴシック体の特徴
画像引用:TOGU 「ゴシック体」と「明朝体」の特徴と人に与える印象

15世紀の中頃に、ヨハネス・グーテンベルクが、発明した印刷に用いられたラテン文字は、後年にドイツの国字となり、「ドイツ・ゴシック」と呼ばれました。その後、印刷技術が各国に伝播するとともに、この書体も普及しました。しかし読みにく、イタリアでは、ローマ時代の書体を基にローマン体が創作されました。ヨーロッパでゴシックと言えばこの装飾された文字を示します。

ドイツ・ゴシック

20世紀になるとサンセリフ(Sans-serif)という書体が開発され、これは、太さが一様でセリフ(ウロコ)の無い文字でした。アメリカ合衆国の書体デザイナー、モリス・フュラー・ベントンがデザインしたサンセリフ体に“Alternate Gothic”(オルタネート・ゴシック:ゴシックに替わる書体の意味)と名付けました。

Alternate Gothic
source: Alternate Gothic

この活字が日本に輸入され、長い書体名を略して「ゴシック」と呼ばれて、そのまま定着してしまいます。当時の日本では、印刷の題名や見出し書体に隷書体を用いることが多かったのですが、欧文のゴシック活字(活版印刷につかう文字の形をした金属)が輸入されると、これらデザインに触発され、和文のサンセリフ体が設計されました。

右が隷書体。左は楷書。

これを日本では、「ゴシック体」と呼びました。「呉竹体」と漢字書きされることもありました。これが、日本で、サンセリフ体に相当する書体を「ゴシック体」と呼ぶようになった経緯です。日本で言うゴシック体のは、欧米のサンセリフなんです。


まとめ

ゴシックということばは、このように結構あいまいな意味を持っています。しかしルーツは、12世紀後半から15世紀にかけてヨーロッパに広がったゴシック建築。その特徴は、尖頭アーチ、リヴ・ヴォールト、フライング・バットレス、そしてステンドグラス。荘厳で暗く、一体感のるこの建築様式は、時間が経ってから、中世の建築様式として振り返られるのですが、このとき中世は「暗黒時代」を意味していました。ゆえにゴシック建築=暗黒というイメージが形成され、これがやがてゴシック文学を産むモチーフになっていきます。これがゴシック・ロックを経て、現在のゴスロリなどのサブカルチャーへと変容していきます。

そして文字のほうの「ゴシック体」ですが、これはちょっと別のルートでドイツ文字であったブラックレターを「ジャーマンゴシック」と呼んでいたのですが、サンセリフ体という文字がアメリカ合衆国でデザインされはじたとき、書体デザイナーであるモリス・フュラー・ベントンが、この「ジャーマンゴシック」に代わる書体として、「オルターネート・ゴシック」という書体をデザインします。これが日本に伝わり、肝心の「オルターネート」の部分を割愛され、「オルターネート・ゴシック」が「ゴシック体」になっていきました。

ドイツゴシックであるブラックレター

というのがゴシックというものの概要となります。

参照



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