自分史的なクリッピング史料

今朝は相変わらず北朝鮮よりロケットが発射されたりしている。こうした挑発的な行為にも日本は安心だというなんとなくだけど暗黙の安全神話がはびこっているのではないだろうか。憂うつではあるけど、皆が同じ立場に置かれているところにその背景がありそうだ。でも日常とは職場や家庭でのことで、そこでのフラストレーションってどう考え、どう解消したらいいのか?とついつい考えることが多い。

2023年2月27日 日経 新興人図鑑 ありのままの自分肯定
KOU社長 中村真広さん

KOUは、組織内での対話支援ツールの開発を手掛けるツールを開発していて中村さんは、中古住宅の売買仲介サイトを迂遠にするツクルバの共同代表を退いて、本音で話し合える場づくりに力を入れるということがポリシーのようだ。特に組織内では本音=恐れや負の感情と言ってもいいかもしれない。なかなか本音を明かすことなどないというのが社会人。なぜなら競争にさらされているから、弱みをみせたくないという感情を多くの人が持ち合わせているのではないか。

中村さんは、子どもの頃にはたくさんの習い事をして、小学校も受験も経験した。常に塾通いが当たり前のようになっていていい成績を取ることで親を喜ばしたいというのがモチベーションだった様子。そして名門・開成中学に進学した。クイズ王・東大王を席巻する名門中学だし、周囲は秀才ばかりだったけど、高校生の頃にバンド活動にはまってしまい、勉強の世界だけがすべてではないと知ったとある。図書館で出会った黒川紀章の著作に感激して大学では建築学を専攻する。社会人になってからは「人の3倍生きる」をモットーにひたすら働いた。本業のみならず、カフェづくりやウェブメディアの運営、環境NPO法人の活動など、モットーに則り、手広く手を広げたと記されている。でも人間の時間は有限だから、目一杯にやると、或る時虚しさがわいてくることがあるのではないかとも思う。中村さんも一時の心の充足感は得られるけど、もっと頑張らなくてはと思ったとあるので、相当な頑張り屋さんだ。そして同僚とツクルバ(上場企業)を創業して、成功しなければ自分に価値がないという強迫観念に追い立てられるように仕事をしたけど、ついに限界を迎えた。

そんな時に訪れた屋久島で、素晴らしい自然環境に五感が刺激されて、自分と地球の関係性を問い直して感謝の気持ちに至ったとある。自分の心の声に従って人生の時間を使いたいと思ったと綴られている。本当の願いはありのままで十分な自分の価値を認めることだった、とあるから結構多くの人の同感を得られるであろう帰結。

ツクルバの共同代表を退いた後、在職中に立ち上げたKOUで、1 on 1 の支援ツールの開発・販売にまい進した。弱みや恐れをさらけ出しやすい仕組みを提供することで、上司と部下など社員同士がわかり合える職場づくりを支援するとあるので、その志は素晴らしいとしてもこの本音ツールを有意に使いこなせる企業は多いのだろうか?と疑問も残る。確かに本音ベースでということはある意味性善説的だろうと思うし、大手企業では脅迫観念から不祥事が多発している。本音が内部告発など、負の連鎖につながることなどないのだろうか。或いはいじめなどにつながらないだろうか、とついつい性悪説に立って考えてしまう。

中村さんの主張には賛意を示さずにはいられないんだけど、自分が現役の頃は余りにも性善説に立ち過ぎたところがあった。管理職の時代には、まさかの配下の人たちに故意に足を引っ張られるということも多かった。そういう時代だと割り切ってしまった自分もいた。下請けいじめではないけど、上司が指導すれば、それすらも〇〇ハラスメントだと言いかねない人たちも結構いたりして、本当にストレスを感じていた。もっと本音でぶつかり合うことも大事だけど、体育会のクラブのようにはいかない。試合と違って明確な勝利というスコアで表される共通ゴールがないから。

中村さんは私生活では虫村(バグソン)と呼ぶ家賃設定のない集落の取り組みを始めたとある。Websiteを見ると活動は継続されている様子だし、信頼や感謝でつながる人間関係構築に挑むというのは本当にチャレンジングな試みだと思う。「あらゆるものが金銭的価値にひもづけられる資本主義社会のバグのような存在になりたい」とおっしゃっている。痛みや弱さも含めて自分の感情と向き合えることこそが強さであると結ばれている。確かにアナ雪ではないが、「ありのままで」を肯定していく人生って素晴らしいなぁと感じる。きれいごとばかり言うなという人も少なくない。でもどれもが正解であると考えれば気楽になれる気がする。犯罪は絶対だめだけど。



 

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