自分史的なクリッピング史料

最近、昔読んだ本の再読や少し発刊が古い本を雑読している。これは、自分の若かりし頃の振り返りをかね、そしてその後の経過を知り尽くした今ならではの所感があったりして、結構線を引いたところなど、なぜそんなところに線を引いたんだろうと考えるのもそれなりに面白いものだ。本には、一切手をださない(線などをひかない、ラインマーカーをふさない、余白に何も書かない)人も多いだろうけでど、汚れてなんぼだと思っているのでおかまいなし。

2023年9月14日 朝日  文化  語る  人生の贈りもの  コラムニスト 中野 翠
伝説の部屋 憧れの人と密接なお話
2023年9月15日 朝日  文化  語る  人生の贈りもの  コラムニスト 中野 翠
自分語りは苦手 エッセー本の反省

このシリーズは今でも継続しているコラムで、大体15回前後で連載が終わる。その中でも日経の「私の履歴書」と似ているようで、似ていないこの連載は別の意味で味のあるものが多い。

コラムニストの中野さんが、8回目、9回目で書かれたコラムをピックアップ。森茉莉さんのエッセー集「贅沢貧乏」を読んだというところから、8回目(14日)の記述は始まる。森さんの文章はとぼけたユーモアと好き嫌いを鮮明にした姿勢に感化されたと言っている。女性の文筆家というのも当時は立場が難しかったのだろうと推測するも、ハッキリした態度が羨望だったのだろうか。

その森さんとのインタビューがかなったのは1981年。すっかりそのアポを忘れていた様子ながら、森さんの寝室に通されたとある。この部屋は「贅沢貧乏」にも記されている伝説の部屋。父である森鴎外全集が雑におかれていたりとベッドの周りは本の山だったらしく、そうした空気とは別に窓には長嶋茂雄をポスターが張られていたというから、なんかその気持ちわかるなぁと思いながら読んでいた。

中野さんは、本の座布団に座らされ、いわゆる女子トークを繰り広げたとのこと。その最中、森さんの大好きなドラマ「銭形平次」が始まると、テレビに首ったけで、森さんらしさを感じたという。森さんが手がけた週刊新潮の連載「ドッキリチャンネル」におけるテレビ評をよむたびに、素敵なことを乱暴に書いていることに羨ましさみたいなものを感じたとある。最近新聞の番組欄あとの紙面にその日の番組のテレビ評というか紹介があるけど、決して評ではなく、あくまで宣伝的。同じ書き手としてロールモデルを見出すこともとても重要なことだと思う。

翌日(15日)のコラムは、自身が書き下したエッセー「ウテナさん 祝電です」の刊行話から始まる。林真理子さんの「ルンルンを買っておうちに帰ろう」の直後に編集者に勧められて書いたエッセー本だと。決して乗り気ではなかったけど、自分を見直すきっかけにはなったと回顧している。

1985年から、「サンデー毎日」の連載が始まる。檀ふみさんの後任として登場。2ページの週刊連載は初めてで、当初とまどっていると友人に促されてこれを受けた。自身のエッセーの反省もあって、自分のことを語るより、見たり聞いたり読んだりしたことを書きたいと編集者に進言したところ、これを了承されたという。読者の関心をも考慮した時事的なネタを挿入しつつ、2~3のテーマを並べるスタイルで書いたとあり、そのスタイルは今も変わっていないだろうと自覚されている。

一般人(書き手では決してないという意)はなかなか自分のことを振り返りテキストに落とし込むようなことはないかもしれないけど、やはり自分の思いを形に残すということは自分への納得感や肯定感も育ててくれるのではないだろうか。仕事というひっ迫感があるからこそだとは思うけど、自分のスタイルを意識しながら、アウトプットできるというところが素晴らしい。

因みに、今読んでいる本は、前野隆司著の「脳はなぜ「心」を作ったのか」と荒木勇太編著の「在野研究ビギナーズ」。いずれの本も再読もの。そのた新刊も併せて乱読中。ベッドの周りは森さんとまではいかないけど、積読本だらけ。アウトプットしなきゃいけないと思う日々。

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