自分史的なクリッピング史料
さあ、今日から7月。いよいよ今年の後半戦(カレンダーイヤーで)に突入した。いよいよ自分のやりたいことの具体化をしなければと思っている。でも世間では、7日の都知事選(七夕選挙)を境に、一気にオリンピックへと耳目が集中していくのではないだろうか。そうした歓喜の渦の中でも、世界では別の戦闘モードの話題は尽きない。今朝も相変らず北朝鮮のロケットマンによる弾道ミサイルの発射ニュース。
そうしたことから離れてみると、当然日常の生活周りの話。昨日、開店記念のラーメンチェーン(以前も同じ企業系列の別ブランドのラーメン店)に列をなしてみた。当日は特別価格だったのでありがたい価格ではあったけど、息子(次男)によれば、列をなしてまで食べるほどの価値はどうかなぁ?と言っていて、味は「普通」というコメントだった。近所には比較的食べログでも高評価を得ているラーメン店は数多あるけど、確かに家系のラーメンはないなぁと思い、久しぶりにそれを堪能しようと見参した次第。すごい行列だった。でも多分息子の評価が正しいと思った。店舗戦略っていうのも難しいなぁと改めて。
2014年10月5日 朝日 波聞風問 編集委員 多賀谷克彦
マーケティング後進国 日本企業、より顧客目線で
この記事は都内で開かれたマーケティングの世界大会の話。かのフィリップ・コトラー教授(米・ノースウェスタン大学)も来日されていたらしく、日本企業への厳しい評価をなしていたと。「21世紀型マーケティング」がテーマだったそうだけど、議論は度々「日本はマーケティング後進国なのか」に揺り戻されたとある。自分もマーケティングの会社に籍を置き(というか幸いにも?マネージメントの立場を経験させてもらっていた)、結構な数の貴重な経験をさせてもらっていたけど、やはり日本では「マーケティング」と聞けば、すぐに広告・宣伝、販売促進などの業務が想像された。今はデジタル・ムード一色なのでそれも変わってきたのかも知れない。
でもコトラー教授は、その定義として「企業の業績向上と顧客の満足の割合によって、人々の生活の改善を目指す学問」と間口は広いんだと強調されていた様子。自分もCustomer Equity(顧客資産)、CRMなどの横文字が謳歌していた時代だったし、対広告投資効果と言った論理的なアプローチっぽいものに慣れ親しんでいた時代でもあった。要は学問なのだと。
そう考えると学問的素地を受け入れる気質は日本(企業)にもあると思いがち。企業側のコメントは「日本では優秀な技術が売りだった時代が続き、マーケティングは軽視されてきた。そうした成功体験から抜け切れていない」といったコメントが。また「機能・性能での差別化の時代は終わり、顧客が何を望んでいるのかなどを捉え、新しい生活様式や感動を提案しなければならない時代になった」とのコメントもあったとか。
そして、マーケティング成功企業の例示。
パンパースは、紙おむつをつけると赤ちゃんの眠りが深くなって夜泣きが減るという宣伝文句で活路を見出した。これは顧客目線の成果だと。
次に、ネスレ日本ではコーヒーマシンを無償でオフィスに貸与し、定期的にコーヒーそのものを導入してもらうビジネス、ネスカフェ・アンバサダー戦略で新たな活路を見出した。マシンの周りでは新たなコミュニケーションが生まれると。まぁ、これは自販機の周辺や、喫煙室周辺での効果と余り変わりはないと思う。むしろ、缶コーヒーに飽きた人たちも多かったのではなかったのだろうか。自分も地方のデベロッパーのマンション投資に誘うメーケティングを会社として担ったことがあるけど、その当時は「戸建」か「マンション」かという選択肢ではなく、その地方の方々の選択肢は「ベンツ(高級車)」か「マンション」かという調査結果だった。とても興味深い結果だった。
一橋大の先生も最後に「顧客ニーズ重視への方向転換」というコメントで締めくくられているけど、それそれで至極当然だと思う。作り手はどんな消費者をターゲットを思い浮かべるのか、消費者はどんなライフスタイルを望んでいるのか、ということはずっと昔から変わらない。
でも今はどうなんだろうか。Googleは新たな世界を提供すべく、ゴーグルを発売し、きっとその世界に熱狂していく若い世代の人たちも多くなってきているはず。新しいライフスタイルとは何かを常時突き詰める力が必要になってくる。でもその変化はとても速い。マーケティングも速さを求められる。そうなってくると、やはり普遍的な価値のある技術に戻って言ったりして、
自己評価が難しい。だからこそマーケティングに携わる人たちはそれを面白いと思うのかもしれない。10年前の記事だけど、マーケティングという領域は本当に難しいと思う。