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aftersun/アフターサンを夏の終わりに



5月に日本でも公開されて気になっていた映画。
なんだかんだと夏があっという間に過ぎて、いつの間にか夏も終わりになっていた。
これは夏が終わる前にと急に思い立って急いでチケットを取ったらほぼ満席。当日になったら完売していた。
危ない危ない。

そうして滑り込みで劇場に足を運んだのだが、劇場から出ても余韻が冷めやらず、とにかくこの余韻と感情をどこかに置いておきたい気持ちになった。

ここからネタバレを含みます。

〈あらすじ〉
11 歳の夏休み、思春期のソフィ(フランキー・コリオ)は、離れて暮らす 31 歳の父親・カラム(ポール・メスカル)とトルコのひなびたリゾート地にやってきた。 まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、ふたりは親密な時間をともにする。 20 年後、カラムと同じ年齢になったソフィは、懐かしい映像のなかに大好きだった父との記憶を手繰り寄せ、当時は知らなかった彼の一面を見出してゆく……。

Filmarks


筋書きだけ見ればなんてことない単純な話に見える。
特にこれと言って大きな事件が起きるわけでもなく、20年前に二人が撮ったざらついたビデオカメラと35㎜フィルムの映像が淡々と二人の夏を映している。

どこか単調ともとれる映像だが、その中に11歳のソフィの大人になっていく少女の心の揺れ動きであったり、父カラムのどことない不穏な空気が入り交じる。

早く大人になりたくて、同じ年頃の子どもと遊ぶのは嫌。自分よりも少し大人な少年少女と遊ぶが、彼らのように酒やたばこにはまだ早く水球も深く潜ることもできないソフィ。

一方で兄妹に間違えられるほど若く、不安定さが残る父カラム。ソフィが生まれてからすぐ離婚し、新しい恋人とも仕事も上手くいっていない様子だ。
ソフィの前では良い父親だが、どこか気怠げで車に轢かれそうになっても気にも留めず夜の海に一人向かう。生気を感じず、その姿からは死の気配が感じられた。

思春期で色んな遊びや恋愛に興味いっぱいのソフィと、どこか影のあるカラムは「生」と「死」の対極にあるようにも見えた。

そんな二人が夏のつかの間の旅行の間お互いを気遣いあっている姿が印象的だった。

11歳。子どもだけれど子どもではない年頃だなと思う。
父があまりお金を持っていないこともなんとなく分かっているし、少し不安定なのも分かっているからか大人な対応だ。
だけど子どもらしく全身の体重を父親に預けて甘えたい時もある。

そんなソフィからすると、ダンスには無理に誘うくせにカラオケで一緒に歌ってくれなかったり感情が乱れてしまうカラムは「頼りがいのある理想的な父」ではないのかもしれない。
しかし護身術を教えたり、「何でも話して欲しい」とソフィに伝えるカラムは紛れもなく愛情深い父だった。

最後に空港でソフィを見送るシーンで、列に並び壁に隠れてはまた出て来て明るく振る舞うソフィをカメラで追う映像に、カラムの娘を愛おしく思う心情が痛いほど表れていた。


カラムはきっとその後亡くなったのだろう。

お金もないカラムが形見のようにこっそり買った絨毯の上で、当時のカラムと同じ年齢になったソフィがビデオを観る。
点滅するレイヴシーンに31歳のカラムと、31歳になったソフィが映る。
ビデオを通して彼と自身を重ねているのだろうか。
彼の痛みを理解しているのだろうか。

作中に二人がローションや泥を塗りあうシーンが何度も出てくる。
その手付きや視線には愛情が感じられる。
「aftersun」とは日焼けをした後に塗る保湿ローションのことなのだそうだが、まさにこの幸せな夏休みを二人がビデオで撮った視点を通すことで、
優しくもヒリヒリと心に残る映画だったなと思う。
ラストのQueenの「Under Pressure」がガンガンと頭に響いて離れず、二人が力強く抱き合うシーンがフラッシュバックし、劇場から出ても胸を締め付けるような余韻から抜け出せなかった。


随所に意味深な伏線のようなものが散りばめられていたり、考え始めると次から次へと出てきそう。
私が子どもを持つ親になってこの映画を見ると考えることも変わるかもしれないなと思った。


あそこのシーンはどうだったんだろうこのカメラの色合いはこんな意味だったんじゃないかとか、終わってからたくさん考えることが出て来て、早くまた見たいなと思ったがもう9月からの上映はないらしい。
観たのが遅かった。

この1回の記憶や感情を大事に留めておくのもまたそれはそれでひと夏の思い出らしいかな、と思うことにしよう。するしかない。

いつかどこかでまたこの作品をいつかの夏に見たいな。




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