見出し画像

『書く習慣』1ヶ月チャレンジ Day8 最近怒ったこと


またちょっと日にちが空いてしまった。

季節の変わり目の体調不良はなかなか長引くことが多い気がする。
特にここ1週間くらいは気分が塞ぎ込んでいたのもあって、余計にnoteを書く気も起きなかった。
正直今も、完全に回復したという訳ではなく、ただボーっと画面を見続けている。

でもずっとボーっとしていても仕方ないし、丁度今回のテーマは自分の今の塞ぎ込んだ気持ちを解消してくれるかもしれないし、とにかく無心で文字を打ち込んでいこうと思う。


最近怒ったこと

私はあまり他人に対して怒ることはない。

そもそも何か他人に嫌なことをされてもすぐに怒りが沸かないし、「何か理由があったんだろうな」と大体は自己完結する。

これは別にこうしようと思って怒らないでいる訳ではなく、生まれ持った考え方の癖だ。

1年半前に「あなたはうつ病ですよ」と医者に言われてからやっと最近「あ、これって自分は嫌だと思ってたんだ」と自分の怒りに気が付き始めた。

だから最近少しずつ「自分の怒り」に気付いては怒りという感情に振り回され疲弊することを繰り返している。

ずっと怒って怒鳴り散らしている人を朝の電車でよく見るが、ああいった人たちは疲れないのだろうか。
嫌味のような言い方になるが素直に感心する。


少し話が逸れたが、私が最近怒ったことは
「分かるよ」という言葉である。

相手は素直に共感しているだけだろうし、共感することで私の気持ちに寄り添おうとしてくれているのは重々承知している。

だが「分かる」という言葉は時として軽薄に、うら寂しい私の心を余計に孤立させる。


私は人を好きになったことがない。
ここでは恋愛感情としての「好き」である。

交際を申し込まれ異性と交際したことはあるが、それでも「好き」という感情は生まれなかった。
そういう行為をしたいとも思わない。

こういう人間のことを『アロマンティック/アセクシャル』と呼ぶこともある。
実際私がそれに該当しているかは分からないが、とにかく本当にそういう感情がないのである。

「分かる、私もそうだった。でも良い人に出会ってないだけだよ。」
そう言われた時、私とあなたは違う人間じゃないかと怒りが沸いた。


確かにそういう相手と出会っていないだけかもしれないし、自分がこれから人を好きになる機会が無いとは言い切れないだろう。

でも、私の「人を好きになれないなんて人間としてどこか欠陥してるんじゃないか」とか、「こんなに好きでいてくれるのにその気持ちを返せないでいて申し訳ない」とか、「このまま人を好きにならず結婚もせず、なんて親不孝なんだろう」とか、思い悩んで苦しくて苦しくて、時々ふと涙が溢れて、怖くて、そういう気持ちを「分かる」の一言で終わらせられてたまるか、と悲しくなったのだ。

「分かる」の一言が、私を余計に孤独にさせたのだ。


私もその人の気持ちは分からない。
どんな思いの「分かる」だったのか、彼女の経験も何も知らない。
彼女が私を知らないように、私も彼女のことなど何も知らないのだ。




そしてその後私の怒りと悲しみに追い討ちをかけるような出来事があった。

彼女がまた別の三者に私のことを
「椎名はさ、そういう特性の人だから。最近LGBTとか聞くでしょ。そういう人だから人を好きにならないし結婚もしないんだよ」
と説明したのである。

彼女は私のことを理解していると思っている。
そういう特性を自分は分かっていて、他者に教えることで私の手助けになると思っている。

しかし私の心はそういう括りに入るのか揺れ動いているし、他者に決め付けられるとその枠にいきなり閉じ込められてしまったような感覚に陥った。

「特別」とも「特殊」ともとれる枠に入れられて、みんなのいる「普通」から追い出されてしまったようだった。

しかもそれを、私と彼女だけの空間ではなく第三者も含めた場所で言われてしまったものだから、余計に「区別」されてしまったような気がした。


決め付けて勝手に人に話さないでいて欲しかった。
それだけなのだけど、人の想いというのは難しい。


こうして見ると、怒りは悲しみにも寂しさにも近い気がする。


私の怒りと悲しみをここに残しておこう。
私がいつかここに戻って来て、孤独な私を癒しますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?