先の事を考えず、目の前の事を必死にいつも自分に後悔のないようにただただ全力でやってきた。 自分らしく生き 意志をいつもしっかり持ち 自分の信念のままに生きる これが俺だった サッカー選手としてしっかりとした形で 引退する事が出来ず このハッキリしない所もどこか 俺らしいとも思っていた。 身をすぐに引けない所 本当に情けない男だなとも感じている 潔くない。だから2流、3流なのだろうと 俺は思う。 岡山退団 武蔵野に移籍、すぐやめ 入社し2ヶ月でやめ 色々な場所でGKに指導
夫婦の間に子供がいれば 離婚する時に1番 問題になるのは「親権」ではないだろうか どちらかが 引かない限り 調停⇒裁判となる 私の時の調停は 調停する日が決まっていて 決まった時間に 裁判所の待機室で待つ すると調停員が呼びにきて 調停の始まり。 双方で話すことはなく 調停員が夫婦の間に入り どうにか和解策を 話し合う場というのが 私が感じた場でした。 私は調停が一年続きました。 1ヶ月に一回 もしくは2ヶ月に一回やりました。 親権や財産や養育費や面会交流 色々
サッカー選手をやりながら 2人の子を育てる。 大変な事を沢山ありました。 でもサッカー選手だからこそ 2人に寄り添い育ててこれたと 今は感じます。 3人で生活が始まったのは 上の子(みゆき)は5歳で 下の子(あやね)は3歳でした。 3人で暮らすようになり 2人とも保育園に通うようになりました。 私の練習は朝9時からで 保育園は朝7時半から夕方の18時まで預けられる事ができ、朝は6時過ぎには起き 6時半にはご飯を食べるようにしてました。 みゆきは姉ちゃんで色々とできました
2017年2月 私と娘2人、3人暮らしになった。 ひとり親になってからと これからの私達をnoteにノートに載せていこうと 思います。 私の考え方 ひとり親の大変さ 子供の事 調停の事 離婚の事 全て大変な事があり 全て経験になりました。 そして子供には深い傷を与えてしまったと 感じます。 その傷とどう寄り添うか その傷を乗り越え 子供達がどう生きていくか。 これから長く続く親子3人の物語。