【リブリオエッセイ】10歳(テンサイ)の記憶
▼2024年9月 ふみサロ課題本
『科学がつきとめた「運のいい人」』
中野信子(サンマーク出版)
▼本文
「10歳(テンサイ)の記憶」
運のいい人は、周りの目を気にしていない。運のいい人は、世界の中心に自分を据えている。私は運がいい。私が10歳(テンサイ)の時に、こんな事があった。
小学校5年生の時に級長を決める選挙があった。結果は、私に一番たくさんの票が入り、私が級長に選ばれてしまった。黒板には私の苗字の横に並ぶ、たくさんの「正」の字。その瞬間、私はなんと「級長やりたくな~い!」と言って、みんなの前で号泣してしまったのだ。その様子を見ていた友達のK君が「だったら代わりに僕が級長をやります!」と、手を挙げてそのままK君が級長をやる事になって、事なきを得た。これに対して先生が異論を挟むでもなく、文句を言う友達も皆無で、後になってK君から嫌味を言われるような事も一切なかった。まるで何事も無かったかのように、この出来事は過ぎ去っていったのだ。あだ名を言われて、からかわれたりするのは日常茶飯事だったが、イジめられたり、馬鹿にされたりするような事は無かった。自分では意識してはいなかったが、私は運のいい子だったらしい。
社会人になった時、新卒で入社した会社は、大手コンビニチェーンの本部だった。本部社員には店長経験が必須とされ、誰にも一度は店長の辞令が下りる。子供なら泣いて、やらずに済ませられた「長」の職も、流石に社会人にまでなってしまえば、やらずに済ます事はできない。その結果、私はこれまでたくさんの店長職の辞令を受け入れて来たが、数々の仕事をこなしていく内に、段々と奇跡が起こるようになっていった。子供の頃、愛に包まれながら生きていける事を無自覚的にではありながらも、感覚的に掴む事のできていた私は、自らが店長になってから以降は、愛で恩を返す仕事が出来る大人に自然に成長していっていたのだ。そのように思えば私はつくづく、運のいい人生を歩んできたとしか思えない。
長い人生の中では意に沿わぬ様々なトラブルに巻き込まれる事もある。しかし、それらを全て神様からの「それは止めておいた方がいい」というメッセージだったと捉える事ができるようになれば人生は変わる。世界を作っているのは自分だ。神様とは自分自身(自神)だ。その事が理解できるようになれば、人はすべて「運のいい人」になる事ができる……と、科学的にも言い切る事が出来るのである。
▼今回の作品の執筆意図
細かい説明は省き、神様は自分自身の中にいる。運のいい人は、世界の中心に自分を据えるとは、どういう事? というのを、端的に説明するようなエッセイを書いてみたいと思い、それにチャレンジする事にしました。
▼エッセイの流れ
①「起・興味」
私は「全ての子供は天才である」理論の提唱者ですが、これには賛否両論があると思います。しかし、それを「全ての子供には10歳(テンサイ)の時期がある」に言い換えれば、誰でも1年間は、10歳の時があったと思います。このエッセイでは、私が小5で、まだ誕生日が来る前だった頃(実際に10歳だった頃)のエピソードを例として描く事にしました。
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②「承・納得」
このエピソードを読んだ貴方は、これをどのように捉えるのでしょうか? 当時の私は、どうしようもないワガママな子供だったのでしょうか? 当時の私には、まだガキ大将を努めるような強いリーダーシップは無かったので、自分には自信がないという素直な感情を周りにさらけだしてしまったのだと回想するのですが、その素直にさらけ出した私の感情に対して、見事なまでに周りの友達が完璧にフォローしてくれていたのではないか?というのを、思い起こさせてくれるエピソードです。(当時は、これに関してあまり深く考えていなかった……ほとんど無意識に何も考えていなかった……のですが、今から思えば、我ながら凄いエピソードだと思うのです)
#運のいい人は周りの目を気にしていない
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③「転・共感」
初めて店長になった時、なってすぐに、防犯ビデオのチェックによって、深夜アルバイトがタバコをタダでポケットに入れているのが分かり、それを糾弾したところ、深夜アルバイト全員が同時に、いっぺんに辞めてしまうという事件が起こりました。しかし、その時、私が運が良かったなと思うのは、その店舗が深夜時間帯は超絶にヒマな店だったので、それ以降、急に毎日一人深夜しなければいけなくなったのですが、売上的には全く影響無かったことと、逆に、それを機会に昼間の売上が異常なくらいに急上昇し始めたので、私の数値成績が異常に良くなったことでした。深夜アルバイトが全員いなくなった事により、人件費が一気に半分ぐらいまで下がり、開店以来、絶対に利益が出ないと思われていたお店で初めて私が利益を出した店長になれたのです。(これって、私の運がいいっていう事ですよね!?)今回、ここでは敢えて書きませんが、私が店長をやって、こういう風に売上が上がった、こういう風に奇跡が起こったというエピソードは、実はめちゃくちゃたくさんあるので、とてもじゃないですが、ふみサロで全てを語る事はできません。(以前、コーチングをしていた頃には、店長ネタをブログにたくさん書いていました)
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④「結・信頼」
私は現在、古代史(惟神の道)を自分なりに研究していますが、古事記には「人間そのものが神である」事が書かれています。神代とは、今よりも神様と人との間が、もっともっと近い状態だった頃の事を言います。自分の中にいる内神(うちがみ)様を信じている人は”運のいい人”、外神(そとがみ)様((自分の外側にいる神様(集合意識や神社))を信じている人の事も”運のいい人”と捉え直すと、内神様とも外神様とも、双方バランス良く上手くいっている状態が”真の意味での本当に運のいい状態”であると言えるのではないでしょうか? そして、その状態を維持していく為に必須の行為として、私達に遺されている神の作法が、いわゆる”祈る事”なのではないでしょうか?