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コンプレックス商法、カテゴライズしたがりすぎ、もうやめよう。

国の特性個性色々あり、アメリカに来て3年目、様々な文化の違いに衝撃を受けつつも、日本では信じられないような不便やびっくりには「ははは、またか」と笑って受け流し、自分に心地いい部分には都合よく快適に慣れていく、NYジャングル生活。

「ああ〜日本はここがすごかったよな〜」と客観的に思い知ることも多いですが、最近逆に日本のことで無性に腹が立ったことが。

YouTubeの広告が、これまではいつもアメリカにいればアメリカの電波を使うので、アメリカの広告ばかり流れてたんですけど、おそらく何かの都合でGoogleアカウントの設定を細かく入力したのがきっかけで、ある日突然全部の広告が日本のものに切り替わったんですよ。

そして、まあその広告が、どれも全部、すごく腹が立つ!

多分会社の住所(東京)、生年月日(つまり年齢)、性別、でがっつりターゲティングされてるのが完全に明らかなわけです。

それも、逐一全部が
「アラフォー女性だったらシワ、シミ、白髪が増えて旦那から女として見られなくなった、もうおしまい!」
「私は太ってるから恋愛とは一生無縁・・・」
って感じなんですよね。。
あと、嫁姑問題がどうとか。

ほんと、「何歳の女性だから当然こういう生活してるよね。これに悩んでるよね。それって最悪だよね。そうならないためにこの商品がありさえすれば!!」
みたいな煽りばかり。「不適切・不快な広告」としてレポートしようとしたら、全部がその繰り返しで、全部レポートになってしまい、ぬぉあああーーーーーーーー!!!!!!!!
ストレス爆発してGoogleの設定を変えてまたアメリカの広告に戻り、ホットしました。

その売り方がマーケティングの王道なのは知ってますが、まあ本当に不快ですね。もともとそのやり方は好きではなくて、以前もブログで「コンプレックス商法はよくない。」という記事を書いたことがあったと思うのですが、なんとなくアメリカの広告具合に3年慣れてふと日本に戻ったら逆文化の違いで衝撃を受けた次第です。

マーケティングの話をしたい訳ではないので詳しくは省きますが、「ネガティブな理由やモチベーション」で選ぶ選択肢って、なんかエネルギーが重たくて不快だし、あまりいい未来に繋がる気がしない。
いや、いい未来に繋がることはあると思うけど、「ポジティブな理由」で選んだ同じ選択肢に比べたら、かなり精度が落ちると思うよね。

それから、私的にはこっちの方が本題なんだけど
「何歳の女性だったらこう」みたいなレッテル貼りが、本当に本当に不快なんです。なんでやねん!
これは、私小学校の頃からずっと言い続けてきて、つまりここ30年同じことを言い続けてるんですけどね。

(10年前のライブOPムービーでも、とうとうと語っていました。)
https://www.youtube.com/watch?v=eWKWv2mAID0

そもそも、この地球に生まれてきて、さあ!いろんな体験をするぞ!!
って意気込んで来たら、
小、中、高、大、就職、結婚
みたいなレールがもう生まれる前から決まっていて
(うちに関しては母が中学生の頃から彼女の子供は私立のいい中学に入って、エリート進学というルートが決定していました。)
もう全く解せなかった訳です。

なんでせっかく生まれてきて全部テンプレが決まっとるんじゃ!と。

つまらないし、窮屈だし、全くワクワクしない。
そんな人生面白い訳ない。
そんなの当たり前なのに、「なぜ?」と聞いても大人たちは「大人になったらやりたくない仕事でもやらなきゃいけないんだよ」と言い聞かせられたものですが、私は全くそう思わなかったので、「それは違うと思う」と意見をしては周りに「子供のくせに偉そうなことをいうもんじゃない!いつかわかる」なんて叱られてました。

そして、今月全然自覚ないまま40歳を迎えてしまった私は、あいも変わらず同じことに理解ができず腹を立てていることに、何かホッとしている自分を面白く感じます。

うちの母は61歳なのに、いまだに30代半ばくらいに見られるほどの美魔女なんですけど、そんな魔女というか、むしろ妖怪な母を見習って?
「よし!私も物理的な時間や年齢に左右されない人生を生きよう!」
と思った瞬間があってですね。
何歳だからこう、ファッションはもう若くないからこれを来てはいけないとか、落ち着いた色にしなきゃとか、そろそろ子供がいなきゃいけないとか、年収はどれくらいなはずとか、そういう全ての決めつけが逐一めんどくさくて合理的ではなくて、合わせるだけ疲れるし

むしろ、人々がその「レッテルに合わせて自ら老け込んでいく」ように、割と昔から見えていたんですよね。
若さなんて相対的でしかない。
私が中2・14歳の時に、高2・17歳の先輩が言い放った言葉

「14歳とか若くていいよね〜!17歳なんてもうオバさんだよ!?」

わかります?この衝撃。(笑)
ある意味その先輩の言葉のおかげで「若さとは何か」について14歳からよく考察することができたので感謝していますが、それくらい阿呆らしいものなんです。
30歳から見て40歳がおばさんだとしよう。政治の世界でいったら40代なんかまだ超若手だし、50歳から見たら「まだまだこれから!」
志村けんさんは70代で亡くなったけど、誰もが「まだ若いのに!」って覆いましたよね。

17歳でも「オバさん」とも定義できるし
40歳でも「まだまだ若造」とも定義できるなら


どうせどう定義したって生きた分の時間は減らないんだから、「まだまだ若くて青くてやりたいこともいっぱいあるし、この後の人生楽しみだなぁ!」って思いながら過ごせた方が楽しくないですか?

そして、人生経験が色々増えるって素敵なことなのに、嫌なことも嬉しいことも含めて色々引き出しが増えて、だからこそ選べる未来の選択肢も増えることもたくさんあるのに、そんな一貫性のないあやふやな「もう若くないから」という理由で自ら様々な可能性を閉ざしていくのは、ナンセンスにしか見えないのです。

さらに、うちの母を見ててまざまざと思い知らされるんですけど、彼女年々美しくなっていくんですよ!
で、私の人生のほとんどは「しほりのお母さん本当に綺麗だよね」とか、同級生が「俺、しほりよりお母さんのが好みだわ!」ってナンパしにかかる、みたいなシーンを散々見てきた人生だったので、

「年齢を重ねた女性の色気には若さだけでは全く太刀打ちできない・・・」


ということもよく知っておりまして。
なので、余計

「アラフォーだったら今肌や髪が超劣化して辛いよね、もう若くないって恥ずかしいよね、女として見られなくて最悪だよね、この先の人生真っ暗だよね」

なんて、繊細な女心につけこんだ、失礼極まりない洗脳広告を、じゃんじゃん流しまくる企業の方々に怒りがおさまらない。
(ちなみに私はいまだに白髪がないぞ!)

でも、思えば日本ではずっとそうなんだよね。
ファッション誌を見れば、全部細かく年齢別にカテゴライズされてるし、トピックのほとんどは

コンプレックス商法。

「ぽっちゃり体系を隠すには」
「太い脚を隠すには」
「面長さんには」「丸顔さんには」

全部のモチベーションがネガティブ由来。
「こんなコンプレックス嫌だよね、その恥ずかしいところを隠しましょう!」
というアプローチばかり。
面長の何が悪いんじゃ。
痩せすぎてても苦しんでる人だっているんじゃ!!

逆にそれしか見たことがなかったから、国の外に出てみてやっと「あ!だから違和感があったのか!」と理解できたけど、
それまでは、いつも雑誌を見ては不安を煽られ、コンプレックスを隠すことばかり考えてしまったり、シーズンごとにトレンドのファッションアイテムをゲットしないとちょっと恥ずかしくて街を歩きたくないなぁと思ってしまったりしていて、それが疲れるし不快だったんだよね。

私はファッションセンスがあまりよくなかったので、センスが本当にいい友達が、別に新しく何かを買わなくても古着やおばあちゃんのお下がりとかをオシャレに着まわしているのを見て、「本当はあんな風にあれたら理想だなぁ」と思っていたけど、そのセンスに自信がない私は、漠然と世のトレンドに一応ついていかないと恥をかく、と思っていた節がある。

それが、NYに来たらば
美の価値観が全く違うもので。
ファッション誌とかは一般的ではないし、あまり細かいトレンドを気にしているように見える人は滅多にいない。
スパッツにサンダルで歩いてる率高すぎるし、季節とか気にせず、まだ冬でもうっかり1日だけ夏日だったら平気でTシャツやタンクトップ来てるし、オシャレな人たちは完全にトレンド関係なく、誰が見てるとかも関係なく我が道を行ってるし、一番すごいなと思うのは、裕福なおばあちゃんみたいな方が大体一番オシャレで、「一体そんな素敵なアイテムどこで見つけてくるんだろう?」というようなとんでもないオシャレをしている。
もう、プロモデルのレベル。マンハッタンによくいます。

NYにいると、オシャレは若者のものとか、若い方が価値があるという概念はゼロ。
若い女性よりも年齢が上の女性の方が価値が高いという人が多いし
(経験値があって賢いから、というのが理由。)
そして、体系でジャッジしたりする概念がない。

そもそも女性に年齢を聞くのは仕事であってもありえない失礼なこと
企業の面接も、役者のオーディションなんかも、男女問わず年齢を書く欄はない。

太ってるからモテない、みたいなのもない。
そんなこと口にする人もいないし、したら猛烈に批判されるだろう。
実にどんな体系の女性も、ぴっちりと体系が出る服を着ていることが多い。
その堂々っぷりに、特に最初の頃はかなり圧倒されて、すごい!!と思うと同時に、

どれだけ日本が「コンプレックスの呪縛」でガッチガチにやり込められているのかを思い知ってしまった。

そういうような美的感覚の違いに圧倒されまくった当初から比べると、本当にすっかり慣れてしまって、そういうものだとなっていたので

3年ぶりに日本のコンプレックス商法広告攻撃に遭って、まぁ、イライラしたし、それで疲れてしまった。

そういう奴らのせいで、日本人女性は軒並み自信を失い、年齢を重ねることに負い目を感じるように教育されてしまい、社会全体がコンプレックスを隠すことを礼儀のように監視しあい、牽制しあい、国民がどんどん疲れていってるんだよ。


世界では、よりレッテルを剥がす方へどんどん動いていますね。
BLM運動もその一つ。
黒人問題に関してはもっともっと根深いのでここだけではくくれないものがありますが、
肌の色や人種で「こう」と決めつけるな、というトピックは、人種のるつぼであるアメリカでは本当にあるあるで、様々な差別が日々たくさん起こって、戦ってきた人たちがいて、それで「人種差別反対」というムーブメントになったわけです。

そういう意識が高いから、問題が起きていないという意味ではなく
(日本ではそのように誤解している人も多く見受けられます。)
問題が多く起きてきたからこそ、よりセンシティブに反応するようになり、そんなの間違ってる!社会全体を根っこから変えていこう!
という動きが起こっている。

そういう積み重ねで、社会では当たり前に「女性に年齢を聞くのは失礼」「年齢や性別、体系などでレッテルを貼るのは非常識」というような常識が当たり前になっていったのだと思います。

だからか、アメリカの広告はコンプレックス商法をまるで感じない。
日本の「稼ぐで〜!」というあのガッツと比べると
「え、本当に売る気があるのかなぁ?」と最初拍子抜けしてしまったくらい、時には「何か綺麗なCMだったけど、ところでなんの商品の宣伝なんだろう?」というものも実は多い。

TVCMのみならず、地下鉄の宣伝もそういうひねりの効いたものが多くて、デザインもやかましくないし、「なんの宣伝なんだ?」と思うんだけど
多分それで逆に気になって調べちゃったりするんだよね(笑)
(なるほどそういうことか)
街の看板も、道の見えるところにはさっぱり出ていない店が多く、そのおかげもあって街の外観がとても綺麗。

街の喧騒はうるさいけど、目に飛び込んでくる情報がうるさくなくて、その点頭と心が邪魔されにくい気がします。
それでどうやって商売になっているのか、日本とはちょっと違うルールがあるように思いますが、ネガティブな気分を煽ってこられることが少ないのは、何気に将来的な国力に左右してくるんじゃないかな。

広告の洗脳パワーってすごいですよ結構。
コンプレックス商法、いっとき儲かっても、今の時代と世界の流れからは完全に逆流ですから、今そっちの人たちは、考えを早めに改めてもっと気分のよくなるようなマーケティング方法を考えた方がいいと思う。

日本でも、最近コロナを通じて、外国人のみならず医療者や患者への村八分など、様々な差別が噴出して、これがよくない、変えないといけないと声をあげる人が急激に増えていて、これはようやく日本の「闇=病み」のあぶり出しが出ているんだなあと微笑ましく思ったりします。

時代の節目だから、色々噴出しますが
私はなんやかや、とてもいい流れがきているなあと感じます。
30年前から(個人的に)物申してきて、やっと時代が来てるような気がします。

アップデートしていきましょう!!!


しほり。

あ、ついでに、8月9月連続配信リリースされた2つのシングル、MVが共にリリースになりました!!
ぜひご覧いただけたら嬉しいです。
世界中どの配信サイトでも聞けます♪

SHIHORI - 「Perfect Imperfection」
https://www.youtube.com/watch?v=MLfulHh6lr4
LA郊外の砂漠地帯にある「ジョシュアツリー」というパワースポットと、水中で撮影をしてきました♪

SHIHORI - 「Soul Trip」
https://www.youtube.com/watch?v=InsPfUeam7g
打って変わって、自宅で自粛自作チャレンジ作品。
ヘアメイクからセット、撮影、編集まで全てを自分で行いました♪

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