運命という「こじつけ」をはねのけろ

              ①

僕の父は埼玉で生まれた。成績は優秀でスポーツは万能だったと言う。しかし16歳の時、悲劇は起きた。祖父が全財産を持って行方をくらましたのだ。そして埼玉に残された家族は余儀なく解散することになった。父以外は祖母の実家である群馬に帰り、父は在学中の都立高校に通い続けるため、新聞配達をして寮での一人暮らしを選んだ。

ところで僕は2年前から東京に住み始めたのだが、1回の引っ越しを経た末、今は父が通っていた高校から自転車で10分のところに住んでいる。意図的にそうしたわけじゃない。たまたま近づいてしまっていたのだ。

しかし、こんな偶然あり得るだろうか。気づいたのは引っ越しが終わり周辺を探索してからだった。聞き覚えのある高校だ。最初はそれくらいの印象だった。後日、妙に気になり始め、母に確認したところ父の高校であるとわかり、正直気味が悪かった。運命の枠に放り込まれたような気がしてこの地域から2度と出られなくなるのではないかと根拠のない恐怖を抱いた、

なんてことは一切なく、へぇーお父さんってこの周りを部活で走ってたんだーとか埼玉からここまで来るの大変すぎでしょとか、どうでもいい質問ばかりが思い浮かんだ。

しかしわからない。なぜここに引っ越したのか。これは運命のような気がする。意味のあることなのか。それとも無意味な運命でもあるのだろうか。わからないーーーでも生き続けなければ、その答えは見つからないーーーー。


(「ーー」に囲まれた部分は個人的に笑いポイント。「なんだこれ?」という違和感)

一応、僕の予想を立てておく。「父親の通っていた高校の近くにたまたま移り住んだ」という事実は運命などではなく絶対に意味のないことである。こんなことも、偶然なのだ。もし意味のあることならばそれは意味があるように解釈しただけだ。

つまりどんな偶然にだって運命を無理矢理紐付けられるってことだ。だとしたら全ては運命的な出会いであり、運命的な出来事であり、運命というものには、ロマンなどない。

もし本当に意味のない出会いや出来事があるのなら、それこそ、運命を覆した、と言えるのかもしれない。

              ②

僕が小学生になった時、両親は離婚した。父は毎月1回僕と会ってくれていたが、借金がかさ張ると僕の前から姿を消し、1~2年会えなくなるということはちょくちょくあった。

しかし、今は借金を完済し未納だった年金も全て払い終え、会いたいときにいつでも会える存在に変わった。父はなんとか、お金を持ち逃げして家族の前から消えた祖父のようにはならずに済んだのだ。父は運命を、乗り越えたのだ。

そんな父も来年で還暦を迎える。人生で一度きりしかないその記念日をできれば豪華に祝福したいのだが働いておらず貯金も底をつきそうな僕はあいにく大金を持ち合わせておらず、それにとどまることなく、怠惰の度合いもますます加速する一方である。

ドラ息子も運命を乗り越える時が来たようだ。





小さい頃からお金をもらうことが好きでした