作品に出会うタイミングについて

世の中に失望した。自分の無力さに絶望した。なにをやってもうまくいかない。なにもやる気が起きない。そんな人生の苦しい局面を迎えたとき、たまたま見ていたドラマ、映画、漫画、あとは音楽だったり、つまりは誰かの作った作品が、自分の現状を肯定してくれたり、麻酔を打たれた皮膚のように外からの刺激に反応しなくなった心に感情を呼び覚まさせてくれることがある。

どこかのテレビマンがラジオで言ってた。

作品に出会うタイミングはとても重要で、自分の状況や心の持ちようによっては、同じものを見ても全く刺さらないなんてことはよくあるんだと。

昨日「コーダ あいのうた」という映画を見た。

(以下ネタバレあり)

この映画を見た皆さんが語っているであろう、無音の演出や喉押さえパパ(喉押さえマンみたいに書いてみた)のシーンの話はしない。確かにこれは愛の物語だった。だけど僕が注目したのはそこではなく、ルビーが歌に力を入れ始めてから漁業の方も話が進みだして急に忙しくなる場面だ。歌と漁業の両立。がんばるけれど少しずつ限界が見えてくる。ヴィ先生ともう二度と遅れないと約束したのに新しく始めた漁業組合に関する取材と稽古の時間が重なる。家族は通訳者としてルビーしか頼れなくて仕方なくルビーはインタビューを優先する。

あの時、僕は思った。自分は今どれほどの時間を無駄にしているんだろう、と。ルビーのように集中したいことがあるのに家庭のことも精一杯でやりきれない人が世の中にはたくさんいるだろうに、僕は今、ろくに働きもせず怠惰な生活を送っている。その上、何かに全力を捧げて生きているわけでもなく、心が疲れて休んでいるわけでもなく、ただ、スッカスカの低密度人生を送り、サボり野郎と化している。(情けなすぎる!)

その後、ルビーは自分のやりたいことのために何度も家族と衝突する。しっかりと家族に向き合っていた。今を全力で生きている感じがひしひしと伝わってきた。苦しいこと理不尽なこと全て乗り越えてほしいと思った。結局その頑張りは家族の心に届いた。ルビーは外側にもエネルギーが伝わるくらい必死に今を生きた。そして周りの人たちの気持ちを変えた。心を動かしたのだ。ルビーは見事、自由を勝ち取り、音大へ入学する。僕にはこれが世の中の理不尽さに打ち勝つ物語にも見えた。

「周りを突き動かすほど全力で今を生きているのか?」

そんな問いを自分に投げかける。残念ながら答えはNOだ!でもルビーに全力で今を生きるお手本を見せてもらった。ありがとうルビー。ありがとう「コーダあいのうた」。今このタイミングで出会えて本当によかった。

そしてもう一つ。

別にこの映画に限ったことではなく主人公が自分ではどうすることもできない遺伝や環境みたいな問題に直面してやりたいことを諦めざるを得ないみたいな展開は物語ではよくあること。

なんだけど、そんなありきたりな展開が今の僕にはすごく刺さったというか、今の自分が見たことにすごく価値があって、このタイミングでこの映画に出会えたことで、この映画が人生の中で少しだけ特別になった。

全力で逆境を乗り越えるみたいな展開の映画であれば、この映画でなくても今の僕が見れば人生で少しだけ特別視される映画になっていたと思う。

だからやっぱりタイミングってとても重要なんだと思う。似たようなものなんて世の中いくらでもあるんだ。時と場合によってそれの見方、受け取り方は大きく変わってくる。

つまり、なにが言いたいのかっていうと、常に発信し続けなきゃ、表現し続けなければ、誰かにとってのそういう特別なコンテンツになれないということだ。

よく作品に救われたから作品で恩返ししたいみたいなことを言ってる人がいて、僕もわりとその思想は強い方の人間だけど、そんなやつが表現を発信し続けなかったら、お前の、その第一に掲げた目標あるいは信念みたいなものは何の魂もこもってない脱け殻のように軽い言葉だったってことだ。そうならないためにも、何かを表現することを決して怠ってはならないんだ!!

ドーンっ!!!

小さい頃からお金をもらうことが好きでした