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2/2 真夜中の大移動。1人での荷物運搬が招いた「人の限界」の瞬間

午前0時、実家の前には、僕の部屋で僕と同じようにくすぶり続けていた家具や収納ケースが並んでいました。これから始まるのは真夜中の大移動。引っ越し先は2キロ離れた激安物件。それが新しい部屋でした。

ほぼ全財産を引っ越しの初期費用にぶちこんだ僕はお金を使いたくなかったので、業者に任せずに自力で6畳分の荷物を運搬することにしました。荷物を詰め込んだバッグを背負い、荷物を乗せた自転車を漕ぐ、この繰り返し。何往復したのか覚えていません。1往復につき40分かかっていました。

最初のうちは新居までの道を何度も間違えて、その度に精神が削れる音がしました。極寒の夜空の下でも額から汗がにじみ出る。もうダウンを脱いでシャツ1枚になっても問題ない体温です。

2時半くらいでしょうか。ようやく半分荷物を運び終えた時、なんて効率の悪いことをしているんだろうと思いました。レンタカーを借りて知り合いに手伝ってもらえば良かった。そんな後悔が心に重くのしかかり、肉体的な疲労も溜まって、1往復にかかる時間は1時間を越えるようになりました。それでも、自分の勝手な思い込みで1日で終わらせるという選択肢以外なくなっていた僕は、懸命に自転車を漕ぎ続けるしかありませんでした。

大変だったのがハンガーラックの運搬です。キャスターが付いていたため押して運べたのですが、代わりに自転車には乗れなかったので牛の歩みで進んでいきました。荒れたコンクリートの上ではキャスターの音が鳴り響き、おぞましいほどの近所迷惑になっていました。仕方がないのでゆっくり押して歩いていたら、温まっていた体が少しずつ冷えていき、くしゃみが出るようになりました。それでも、耳元で流れる音楽だけを頼りに心の平静を保って前に進み続け、なんとか新居にたどり着きます。終わりの見えない引っ越し作業は気球に乗って月を目指すような感覚でした。

実家に戻り、たくさん服がかかっている次のラックをまた運び始めます。先ほどとは違って上に布団を被せていたので、移動速度は死ぬ前のカタツムリに等しいものでした。荒いコンクリートの上を通るとき布団の重みに耐えきれず、キャスター部分が割れて破損しました。バランスを崩した組み立て式のラックは繋ぎ目部分からバラバラになり、ハンガーにかけられた服がさーっと横一列綺麗に地面に落ちていきました。もちろん布団も地面に落ちて、重労働のすえ痩せ細った炭鉱夫の頬のように黒く汚れました。しかし、僕は全てのアクシデントを当然のものとして受け入れて、無言でラックを直し、拾い上げた衣服や布団を元の状態に戻して再び歩き始めました。

僕は自分でも何が、自分自身の肉体を動かしているのかわからなくなっていました。どうしてこんな大変なことをしているんだろう。そんな考えが浮かびながらも足は勝手に前に進んでいく。僕はすでに運搬の兵士と化していたのです。

新居に着いたとたん、何かがぷつんと切れたような気がしました。そろそろ自分にごほうびを与えなければやってらんない、そんな気持ちがぐわっと沸いてきたのです。近所のコンビニでポテトチップスを買い、深夜の小さな背徳感に心を震わせました。真夜中の冬にシャツ1枚でポテチを食べて満足げな顔をしていた僕。はたから見れば狂気の笑顔に映っていたでしょう。しかし、その喜びは一寸の油断も許されない死と半殺しの境目にある過酷な状況下での緊張感を解き、よからぬ事態を引き起こしたのです。

再び実家に戻ったとき、新居に自転車の鍵を置き忘れたことに気づきました。残りの荷物はこたつとタンスの2つでしたが、どちらも自転車がなければ運ぶことはできません。仕方なく何も持たずに新居へと歩いていきました。

思えばいつも無駄足ばかりの人生でした。人と同じことをやっているのに、なぜか自分だけが置いていかれる。一つ一つの不注意の積み重ねで周りから遅れを取り、自ら、いばらの道を進んでいく。自分でも意味のわからない生命体でした。そんな人生でも楽しく生きていたいし、そんな人生を誰かに還元できるものにしたい。その思いだけで死を選ばずに生き抜いてきたのかもしれません。

気づけば朝日が昇っていました。冬の早朝は秋の夕方と区別がつきません。オレンジ色の世界は僕の味方でいてくれているような気がしました。

自転車の後ろにこたつを乗っけて、いざ出発進行。こたつはかけ布団を挟むために脚と天板の部分に別れています。移動すると振動で天板がずれていくので片手で押さえながら自転車を漕ぎました。脚の方はグラグラと不安定に揺れていました。自転車の荷台は支えるのに十分な幅がないのです。

緩い下り坂に入ったとき、漕ぐ必要がないのでホッとしました。ところがスピードがですぎてこたつが一気に横にスライドしていき、自転車の進行方向も斜めにずれて標識に衝突し、天板も脚も全てコンクリートの地面に雪崩れ込みました。

「うわあーーーーーー!!!」

僕は思わず叫びました。叫ばずにはいられませんでした。これ以上、耐えろと言うのはいくらなんでも無理な話です。日々不必要な苦労を自ら産み出して過ごしてきた僕でも1日でこれほどの苦を浴びせられたことはありませんでした。

犬の散歩をしている老人にも見られましたが、すでに僕は放心状態にあり、呆然と立ち尽くして、ただ回転する車輪を見つめていました。客観的に現状を理解できるようになったとき、僕は笑っていました。壊れてしまったわけではありません。「俺、人間の限界に到達してるじゃん」と思ったのです。全て自分が招いたこと。ギリギリの金銭状態で引っ越しを決意し、業者も頼まずに一人で荷物を運び、何時間もかけて心も体も疲れて限界に到達している自分がバカすぎて笑ってしまったのです。こんなやつ哀れでどうしようもなくてアホすぎるだろ。なんてやつなんだ。自分がとても愛おしくなりました。これが人間であり、人生であり、生きることの肯定なんだ。

大事なことにたどり着いたような気がして、今日の出来事の全てがこの感情に出会うための経路であり、この新しい発見に気づけた喜びこそが僕の人生の原動力であると悟りました。

タンスや細かい荷物も全て運び終えたのは朝の8時頃。これでは8時間労働と一緒です。その時間でバイトしていれば引っ越し業者に依頼してもお金が余ります。自分はつくづく愚かだと思いながら、なぜかその自分に満足していました。

汗を流すために新居のシャワールームに入り、お湯を出そうとしましたが、水しか出てこないことに気がつきました。ガスを通すのを忘れていた……。これにはさすがに自分でも自分にイラッときました。 

この1日はなんだかたまに思い出されます。あの時叫ばずにはいられなかった自分の、限界に到達したときのエネルギーの爆発を、連続した日常がギュッと1つの真理になって目の前に現れる瞬間を、激しく待ちわびているのでした。

小さい頃からお金をもらうことが好きでした