見出し画像

幸せという殻に閉じこもる人たち

自分よりも明らかに評価されている人よりも頑張れてない奴は、そいつの位置までたどり着くわけがないと思ってる。才能があるのは前提で、その上で努力しなければ、追い越すことも追いつくことも背中を見ることもできない。俺にとっては当たり前のことに思えるし、みんなにとっても納得のいかないことではないと思う。これは確かな情報なんじゃなだろうか。それなのに、なにもやってない人で、どうにかなんねえかなとか言っている人は俺もあなた方も含めて、どうにもなんないと思う。幸せという言葉に逃げて、甘えた生活を送ろうとする人に俺はなりたくない。幸せはおのおので定義できるもので、本人以外は尊重しなければならない風潮だから、そこに逃げ込めば楽に生活できる。自分を安全な場所に持ち込む一番簡単な方法だと思う。結局、他人が口出しできないところに逃げているだけなんじゃないだろうか。しかし、幸せのシェルターを前にすると、どうも自分の主張が間違っているような気がしてならない。他人が殻に閉じこもっていることにごちゃごちゃ言う暇があったら、幸せではない別の殻に閉じこもっている自分を非難するべきだ。他人のことなんかほっとけ。周りが見えなくなるくらい、ただ一つ俺にしか見えない星を見つめ、その距離を測る方法を考えろ。測量士の友人がいる。残業してもお金が入ってこないブラックな職場であると言っていた。辞めたくても、仕事場の人手不足な現状を考えるとやめられないという。搾取されてはいけない。自由に生きればと伝えたら、彼女は8月いっぱいで止めることを決めた。その決断がなされる3週間前くらいのこと。ある日、ラインで作業の写真が送られてきた。家と家の間の狭いところに黄色い計測器が立てられていた。「なにを測ってるの?」と送ったらこう返ってきた。「退職までの距離かな」。

小さい頃からお金をもらうことが好きでした