見出し画像

100均の飲み物のセンスはどうかしている (2022.3.01~3.31の雑記)

100均の飲み物のセンスはどうかしている 


100均に売られている飲み物のラインナップが気持ち悪い。写真ではそんなに違和感がないけれど、間近で見た時、確かに感じた。そこに異様な光景があると思った。なぜかわからない。スーパーではメジャーなものがだいたい80~90円で売られているのにたいして、100均にはマイナーものが100円で売っている。そこに変な引っ掛かりを感じたのかもしれない。奇妙なのは、近所の100均だけだろうか。他の100均は正常なのか。わからないけれど、確かめる気にもならないので、今度別の100均に行った時にドリンク売場に疑いの目を向けることにする。 


被害者は正義と悪のキューピット



今日も暇を持て余したわるい大人たちが仕掛けた陥穽に陥るかまびすしい若者が後を絶たない。知己は常にいぶかしむことを怠らずそのような大人を見つければ屈することなくたしなめようとする。彼らには押し合いへし合いを遠くから観察するという共通点がある。被害者を通して彼らはお互いの存在に気づくのだ。被害者がいることで警察と犯人は巡り合うのだ。被害者は事件を起こす者と取り締まる人とを結びつける、いわば正義と悪のキューピットなのだ。 


本を読んだ時に意味を知らなかった言葉を盛り込んで適当な文章を作った。その中で一番好きな言葉は「押し合いへし合い」。リズムがいい。 


陥穽に陥る…落とし穴に落ちる、罠にはまる 


かまびすしい…騒がしい 


知己…自分の心をよく知ってくれる人、または、単に知り合い 


いぶかしむ…怪しいと感じる 


たしなめる…反省をうながす 


押し合いへし合い…多くの人が押し合って混乱する



雷で壊すためだけにある部屋 


世の中には部屋が多すぎる。だからきっとどこかにあるはず。雷で壊すためだけにある部屋。完全に立方体のワンルームで、屋根は屋根史上一番薄い。グラフェンよりもちょっと厚いくらい。部屋の中心には天井すれすれまで伸びた避雷針。めちゃくちゃ太い。世界樹くらい太い。その圧倒的な存在感を雷は無視できずに部屋に向かって落っこちる。自由落下の比にならないスピード。そして部屋がぶっ壊れるだけ。黒こげになった一軒家の屋根から避雷針が顔を覗かせる。さっきまでは無表情にしか見えなかった避雷針の表面にはいたずらっ子の口元のような三日月型の光沢が表れる。避雷針は笑っている。嬉しそうに、雨に濡れている。 


また別の、雷で壊すためだけにある部屋の屋根には、雷を弾くフィルムが貼られた。雷が落ちても、そのフィルムに跳ね返される。再び避雷針に向かって落ちるが、またフィルムに跳ね返される。それが繰り返されて雷は屋根の上を振動し続ける。やがて雷はバグり、フィルムをすり抜ける。何も壊れない。雷が避雷針に吸収されるだけ。その後、雷鳴が遅れてやってくる。雷が母親なら雷鳴は子供。後を追って地上にやってきた雷鳴はいなくなった雷を想い、大きな声でドーンと泣き出す。避雷針は笑っている。三日月型の光沢はさっきよりも鋭く尖っている。 


バイトの面接に行ってきた


やる前は堂々と、静かに圧をかけて「なんだこいつ?ただ者じゃないぞ…?」と思わせてやろうと意気込んでいたのにアンケートを書いているうちに自分の中の勢いみたいなものが薄れて、面接が始まった頃にはもう人に接し慣れていない弱々しいいつもの自分になってしまった。結局「間違っていると思ったことは指摘する」とか「納得いかないことはやらない」とか面接落ちワードを散りばめて終了し、最後に「何か質問ありますか?」聞かれたときには一度「特にないです」と言い、椅子から立ち上がり脱いでいたダウンに腕を通すも、着終わった頃には何を思ったのか、ふと「あ、あの…質問いいですか?」と尋ねていた。店長は少し驚いてから「なんでしょうか?」というような優しい視線をこちらに向けてきたので「僕って変じゃなかったですか?」と渾身の1発を相手にぶつける。自分が他人からどう見えているのかが気になりなんとなく質問してしまった。一瞬の沈黙があった後「ごく普通でしたよ。ただ、笑顔が少し足りなかったかもしれませんね」と言われたので最後にニッコリ笑ってからバックヤードを出た。受かっていれば明日連絡するとのことだけど、さあ、どうなることやら。 


夜の妄想 


夜、歩きながら団子食ってたら暗がりに朱色の郵便ポストが立っていて、なぜかそのポストに、俺は団子を奪われる気がして、ポストは体が地面に固定されていて良かったーと思いながら帰っていった。  


コンビニで土日の夜勤バイトを募集しているところがあって応募したのに落つされた

この条件で落つされることってあるんだ。ガビーン。今度そのコンビニに深夜に行っておそらく俺の代わりに入った人に「どうやってバイト受かりました?」って聞きに行こうかなー。いやーしないしない冗談だよー。ガビーン。



8年前くらいからメモをするようになりました

今そのメモに書かれている漫才のアイデアをめちゃくちゃ雑に膨らましてnoteに残しているのですが、つまらないものやもう誰かにやられてしまっているものばかりで、それを消す作業がすごく大変です。 


アイデアは思い付いた時点で形にした方がいいと思うのでいち早くメモを完全処理したいのですが、コントのメモもあるのでもう地獄です。漫才が終わり次第処理していきます。 


ただ、お笑いナタリーの記事で見たのですが、ダウ90000蓮見さんは2ヶ月で100本コントを書いているそうなので、自分も2ヶ月で50本くらい書いてダウ45000になろうと思います。



世の中には「わかりやすく変なやつ」と「わかりにくく変なやつ」がいる

誰がどう見ても変なやつは「わかりやすく変なやつ」。キャラクターとしてみんなからは重宝されることが多い。一方、「なんかこの人、接しにくいな」と思われるのが「わかりにくく変なやつ」。なにかと誤解を招きやすい。 


完全に個人的な意見だけど「わかりにくく変なやつ」は本物の変なやつ。「わかりやすく変なやつ」はそう見えるように演じているだけで本当の変なやつではない可能性が高い。 


L.Sは「わかりやすく変なやつ」だ。そしてN.Hにかなり心を許している。N.HはL.Sに「俺は変なやつを演じているだけ」と何回も言われたらしい。その、やけに「俺は変なやつを演じているだけ」と言ってくることがN.Hは変だと感じたそうだ。自分にはその感覚が理解できないけど、独自の感性を持っていることは大切なことだし、それを他人に堂々と言えるっていうのがもっと大切なことだなと思った。自分の考えを恐れず周りに発信だ。




文末に「!」つけるの恥ずかしい 


こんなメモがあった。 


相手と気持ちのよいやりとりをするためにメッセージの最後には「!」を付ける。わかりやすくするためにメッセージの途中に喜怒哀楽の表情マークを組み込む。

自分のメモ


まだ自分の中では気持ちの悪いところだけど、多分慣れたら何も感じずにできるようになってしまうから常に「これは相手と円滑なコミュニケーションをするためだ」と思いながらやろう。そうしないと平気で嘘をつく人間になってしまう。あくまでも自分の感情を伝えるためにやるだけで偽りの感情マークは絶対に使わない。それでも文末に「!」つけるの恥ずかしいからちょっとだけふざけて「!!!」みたいに真ん中だけ半角にするみたいなしょうもないことを俺はする。



俺こんなとこにいていいのかな 


最近始めたバイト、昨日は初夜勤でした。職場の人はみなさん優しくとても働きやすいのですが、なんていうか…俺はここにいてはいけないなと思いました…表面上気を遣い合ってる、雰囲気の良い仕事場を作り上げている、そんな嘘が自分は苦手で…笑顔で接客するのとか、本来の自分からしたらあり得ないし(そもそも笑顔になりきれてないけど)、嘘の職場で嘘の自分を演じて、ああ早くここから、今のこの位置から少しでも早く上に行きたいな、そう思いました、そう思わせてくれました。それから寝て、起きて、スーパーに買い物に行って、その時、適当に音楽を聴いていたら、良い曲があって、画面を見たら小松菜奈が踊っていて、vaundy「踊り子」という曲で、調べてみたら2000年生まれのアーティストで…高校の帰り道での友達との会話を思い出したんですよね…「広瀬すずって15歳なんだって」「同い年じゃん」「なんか劣等感感じるよな」「まあでも勝負してるところが違うからな」…なんて。スカしてる方が自分なんですけど、当時は本当にそう思っていて、ただ、なんだろう、今になって、あれからすごい時間が流れて感じることは「ヤバいな」それだけでした。そして、同い年だけじゃなくてvaundyのような自分より下の世代の活躍にも焦りを感じているし、そもそもこんな、他人と比べている気持ちがある段階じゃまだまだ話にならないということなんですよね…人生で、何度か軌道に乗っていたことがあるんですけど、その状態に入れば周りのことはどうでもよくなって自分のその時やりたいことについてしか考えられなくなるし、そのためにしか行動しなくなる、あの状態に入ってる時の自分がすごい好きで…でも最近は、ここ3年くらいはそのゾーンに入れていなくて、そろそろあそこにたどり着かなきゃ、2度と戻れないような気がして…だから、少しずついい、少しずつでいいからチャンネルを合わせて、徐々にダイヤルを回していって、軌道に乗りたいと思ってます。そして、光速になりたいです。誰にも追い付けないスピードで進みたいです。またそれができたらいいな、いや、やらなくちゃいけないと思っています。本当に少しずつ、少しずつ、日々無駄な時間を削っていき、生活を洗練する、研ぎ澄ます、余分なものを削ることが、できるかな?どうやって今までやってきたのか、そのノウハウがわかれば…試行錯誤を繰り返すしかないですよ…



憧れの人間像 


「面白いやつがいた」と、彼は僕に言いました。その人は明らかに挙動がおかしく、どこを見ているのかわからないようなやつだったそうです。「目が据わっていて、自分に絶対に自信があるやつだった」とも彼は言っていました。そして僕は「ああ、なるほどな」とひとり合点がいきました。元来、僕は社会不適合者で、それは個性になるので問題はないと思っていたのですが、いつからでしょうか、社会不適合者であることをマイナスに捉えるようになってしまい、生きづらくなるるというか、自信を失くしてしまいました。そして自己表現にも悪い影響が出ていました。ですから、自信を取り戻すべく、今は意図的に周りと交流をして社会に溶け込もうとしているところなのですが、最近はなんだか平凡な人間に成り下がっているなと、少し現状を危惧していたのです。しかし、彼の話を聞いて僕の理想像がはっきりと形になり見えてきました。社会不適合者かつ自分に自信がある状態になることが今の僕の目標です。そのためには、まずは円滑なコミュニケーションを取り一旦社会不適合者を脱します。そして自己肯定感がある程度高まったところで周りを全部切ってまた一から孤独な道を進み続けます。その際、自分を下げるようなことを考えず自分が絶対に正しいと強く思い込む、間違っているのは自分以外のすべてだ、とこれくらいの情熱を持って、かつ修正、工夫する冷静さも兼ね備えることが重要だと思います。まだ整備されていない道とも言えない山道を力強く、そして大きく、一歩一歩歩き続けます。僕には見えています。今自分が何をするべきなのかが。今は創作に力を注げていません。ですが常に前進しています。社会からはみ出すために、今は社会に溶け込んでいる最中です、と熱く意気込んでいますけど、ここまでなんにも面白くないので今日見た映画で面白かったテロップを載せておきます。 

無上の、喜びであった。

爆発した感情を乗せて走る真夜中の自転車



真夜中に自転車で全速力で走りながら何かを叫びたくなる時がある人にはあると思うんですけど、例えば、好きな人(名前を「かなこ」とします)が別の人に取られて「なんでだよ、なんでだよかなこー!お前はあんなやつのこと好きじゃないだろー!うわぁー!」みたいな、そういう人がいた場合に、ランニングで並走して「泣きたくなる夜もありますよね、じゃ」とだけ言って横にフェードアウトしていったら、、面白いと思います。 


しじみみ


世の中面白いことが起きるとゾクゾクする。新宿駅西口付近を早歩きで歩いていたら路上シンガーがちょうど歌い終わりで「ハァ~」みたいな綺麗な余韻を響かせたあとに「これは、劣等感から生まれた曲です」って言っていて「あんなに気持ち良く歌っていたのに負の感情から生まれた曲なんかい!どんな歌詞だったのかめちゃくちゃ気になるわ」と心の中でツッコんで吹いてしまった。こういう日常で面白かったことや自分の妄想で思い付いたことを集めることが自分は好きなんだなあとしみじみ思いました。「しみじみ」なんて言葉も少し入れ替えたら「しじみみ」だしね。 


頑張った人には頑張った分だけ報われてほしい、否

『頑張った人には頑張った分だけ報われてほしい』という意見について思うことがある。僕は努力家だけど頑張った分だけ報われてほしいなんて思っていない。頑張った分だけ報われなかったら許さない。報われるまでしつこく努力する。人の頑張りを結果に変換する目に見えないなにかの装置があるとしたら、あるいは、そういう機関があるとしたら、認めさせるまで永遠にやり続ける。しつこく地獄みたいに、もし相手に感情があるのなら、もう、諦めさせるまで徹底的にやる。「はいはい、あなたはよく頑張りました。仕方がないので結果を与えます」納得がいく結果が戻ってくるまでその機関に永遠に努力を送り続ける。ストーカーみたいに。俺は『結果』のストーカーだ。『結果』に粘着する人間。「わからせる」という言葉が好きだ。そう自分は「わからせる」ために頑張っているのかもしれない。「わかっていない」から「わからせる」。でも本当は「わかってもらえない」から「わからせる」のかも。どっちでもいい。この際、どっちでもいいんだ。とにかくその装置をぶっ叩き壊す、その機関を破滅させるまで努力する。効率度外視。もう効率とかじゃない。強制的に結果を出す感じ。無理矢理周りを認めさせる。これほどまでに狂った努力家はいるのかと。お前、そこは、何かを犠牲にしてたどり着く場所だぞ。そう、むちゃくちゃやってここまで来ました。何十年もかけてようやくたどり着くました。誰も僕を追うことはできません。そう言いたい。そうなりたい。 


文章を見返したら「僕は努力家だけど」という話の入り方に引っ掛かりました。 


こいつ、自分できっぱり言う感じ、潔い…(ごくっ)。

『才能』とは人が諦めるための言葉


才能がどうのこうの言ってる人間はいったいどれくらいまで努力し続けたのだろうか。僕にとって『才能』なんかは人が諦めるための言葉にしか思えない。才能の壁など感じたことがない。自分の方が劣っていても単純にそれは自分の努力不足としか思えない。本当に十分な努力を、100%の努力をしたことがあるだろうか。僕はない。だからまだ、限界が見えていない。どこまでもいける。伸び代しかない。甘いところがたくさんある。直すべきところがたくさんある。だからまだ僕は全然伸びる。これから先、どんどん成長していく。まだまだ天井が一向に見えない。そもそも天井なんかない。自分が勝手に設定しただけの幻の壁だ。それとも誰かに決めつけられたのか。限界を決めつけられたのか。そんなもんぶち破れ。加速してぶち破って上行け、上。どうか、この気持ちが続いているうちに。 


最後の文、キモす



実に、薄くて、浅い、所信表明 

何かを極めるには『量』が重要だ。そして『量』をこなすには『時間』と『工夫』と『熱意』が大事だ。何にこの3つを賭けるのかがとても重要で自分はどうなりたいのか、それが一番大切なことだ。そしてそれを軸にして人生を歩み続ける。生活の随所にそれを散りばめて、日常会話の中でも、映画やドラマを見ているときでも常にずっとそのことだけを考えて生きる。そんな人生を10年過ごしてみろ。劇的に自分は変わっているはずだ。数年前の自分と比較した時に圧倒的に血や肉となって確かな実力として自分に返ってくるはずだ。そんな未来を想像しながら今日も毎日を繰り返す。



人にたいしては適当な感じで接していきたい!


どうなってもいいやと思いながら、こんな風に接してたらどうなるんだろうかと実験しながらね。 


お笑いは欠落人間の生存戦略

いつ書いたのかわからないメモに「ハーモニカ依存症」というワードがあったのでおそらく6年前のものだと思われる。ハーモニカ依存症というのはキングちゃんのもらい泣き王にてロバート秋山が即興芝居でターゲットを泣かせるために生まれたワードだ。もうあの頃から6年も経ったのかと思うと余りにもベタな感想になるけどとても感慨深い。僕がお笑いを志したのは高校2年の時。今から7年前、あのときから僕はお笑いについて考えるようになった。しかし舞台に立つようになったのはここ最近で、足を踏み入れるまでかなり時間がかかってしまった。そしてやっと、ずっと憧れていた、ずっとやりたかった芸人の道に進んでいるというのに現状はひどく情けないもので、昔の自分が残してくれた貯金を浪費して怠惰な生活を送っている。常に笑いのことを考えていなければいけないのに、だらだら過ごしてばかりいる。あの頃の方が、真にお笑いに向き合っていた。糞みたいな日々の延長に僕の目指していたお笑いはない。変わらなければならない。奮い立たせなければならない。人生を変える覚悟で望まなければならない。7年前の自分が今の自分を見たら辞めちまえよと言ってくるだろう。じゃあやめさせていただきます。いや本当にやめるんかい、もういいよ。っておい!  

お笑いって辞めるとか辞めないじゃないし、頑張るとか頑張らないじゃない、欠落人間の生存戦略。




小さい頃からお金をもらうことが好きでした