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シホの原点「居場所作り」について立ち返る

こんにちは。
今日は、私が実際に1on1で気づいたことから、自分の原点である「居場所作り」について、考えていこうと思います。

居場所作りについて思う2つのこと

今回、居場所作りに対して、私が思ったことは2つあります。

一つ目は、居場所を作っている大規模な団体がある街があっても、それ以外の街での居場所はいまだに少ないことと周知されていないことから、すべての街にて街の全体に効果的に居場所が作れた方がいいということ。

二つ目は、学校という多様性を実現できない教育システムだからこそ、学校からこぼれてしまう人たちに向けた何かを作るべきだということ。

一つ目の街の全体に効果的に居場所を作ることについて

まず、居場所を作っている大規模な団体がある街があっても、それ以外の街での居場所はいまだに少ないことと周知されていないことから、すべての街にて街の全体に効果的に居場所が作れた方がいいということについてです。

居場所作りは大規模なNPO団体(例:カタリバ)で行われています。そこで、安心して自分らしく生きられる子どもたちはいます。

しかし、大規模なNPO団体がない街で居場所が増えているかと言われると、少ないことが事実です。

では、大規模な団体が近くにない場合はどうなるのでしょうか?

居場所は少ないことから、その団体の周辺に住む子どもたちは必然的に安心して自分らしく生きられないように考えられます。

居場所はコミュニティに周知されていないため、子どもたちは自分らしく生きられるような居場所があることに気づけないでしょう。

だからこそ、すべての街にて街の全体に効果的に居場所を作れた方が良いです。

具体的には、居場所とコミュニティが繋がって、居場所を作ることです。また、街の中にある居場所は小学生や中学生の行動範囲に合わせるべきだと思いました。

しかし、それら2つが出来ないのであれば、子どもたちのために、多くの居場所を作ってあげるしかなくなるでしょう。

二つ目の学校からこぼれてしまう人がいるからこそ、何かを作るべきであることについて

次に、学校という多様性を実現できない教育システムだからこそ、学校からこぼれてしまう人たちに向けた何かを作るべきだということについてです。

学校という教育システムについて、私は2つのことを考えました。

一つ目は、受け身の授業を中心としている日本の学校は主体的ではないということです。二つ目は、学校は、ボトムアップのように、クラス全体の子どもたちの能力を高めていることです。

この2つを踏まえるとなると、学校からこぼれてしまう人が出て来てしまうように考えられました。
具体的には、LGBTや発達障害、在日外国人の子どもが出てくるでしょう。

だからこそ、そのような子たちに向けて、やはり何かを作るべきだと考えられました。
例えば、オフラインの居場所作りや学校からこぼれてしまった子どもたちが輝ける教育システムです。

最後に

以上から、居場所を作っている大規模な団体がある街があっても、それ以外の街での居場所はいまだに少ないことと周知されていないことから、すべての街にて街の全体に効果的に居場所が作ることが大事だと考えられました。

また、学校という多様性を実現できない教育システムだからこそ、学校からこぼれてしまう人たちのために何かを作るべきであることが大事だと考えられました。

しかし、これらは居場所作りに対する基本的な考え方であり、この考え方への賛否両論も出てくるのが事実でしょう。

だからこそ、今後1on1で話し合った内容を参考にしながら、「居場所作り」でより深く具体的に考えたものを書いていこうと思います。

みなさんも居場所作りについて、ぜひ深く考えてみてください。考え方で気になることがあれば、ぜひTwitterのDMをいただけるとありがたいです。

よろしくお願いします。


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