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生きながら死にたくて 死にかけで生きていて

※大衆向けには書いておりません。
※執筆者に対する心配は不要です。あなたの優しさだけ頂戴します。以下の内容が、所詮は他人事だと割り切れる方のみ、本投稿をご覧ください。
※群鳥安民の一人称は不定です。気分的に(人格的に?)「僕」なので、本投稿での一人称は「僕」にしています。

How am I?

 数年前まで、僕は普通の人間だと思っていました。ですが、どうやら皆が皆、こんな感じではないという事に漸く気付いてきました。
 良かれ悪しかれ変わった人間であると自認することは、何か自分に特別なもの(或いは特別視してもらうべき要素)が有ると錯覚してしまいそう。不器用だけど誰よりも能力があるとか。逆に、上手く個性を伸ばせば天才的な何かになれるかもしれないけれど、特筆すべき障害を持っているとか。でも、それが優劣に拘らず、自身の驕りに繋がりそうなので、自分はごくごく一般的な人間であると自認しています。
 そういう僕は何者なのか。「自分の事は自分が一番良く分かっている」と言う人もいますが、僕には僕の事が全く分かりません。他人(主に母)から言われた僕の特性がこちらです。言われてみればそうかもしれませんが、さほど自覚はありません。

他人に流されない

 芯の有る人間に見えるのですかね。確かに、他人と同じはどこか嫌です。同担拒否なきらいがあります(詳細は後述)。
 流されないというより、流してくれる友達が周りにいなかっただけだと思います。中学生の頃とか、人前で一切一切一切一切笑顔を見せたくない人間だったので。
 僕を強引に導いてくれる人がいたなら、今と全く変わった人生になっていたでしょう。こんなに思い悩まなかったでしょう。もっと楽しい人生だったかもしれません。(だからこんなのを書いたのかな)
 そんな幾重も在り得た世界線。見てみたいですが、今の人生でも満足しています。だって孤独じゃなかったら、創作なんて趣味は絶対に始めていなかったから。

拘りが強い

 例えば、自転車を漕ぐ脚を止める時、漕いだ数は5の倍数にする(漕いだ回数を数えながら自転車に乗っている)。例えば、あるコンテストに投稿したなら、次も続けて投稿しなければならない。みたいな。謎の習慣的癖があったり、不必要に自分を強制して雁字搦めになったりしています。
 人間は規範の中で生きる生き物。規範が無ければ、秩序は崩壊します。その規範に縛られ秩序が守られることに、心地良さを感じているのかもしれません。

自分を追い込み過ぎる

 僕はポンコツである自覚があります。だからこそ、人一倍努力しなければ一人前の人間の面をして歩く資格は無い。
 裏を返せば、限界まで頑張っていれば、もうそれ以上は無理できない、成長できないと分かる。努力で埋め合わせようとしている。よって、それ以上を求められない、ポンコツ度を非難されない免罪符になると思っているのかも。だから、やると決めた事は死ぬまで頑張ります。けれど、実際まだ死んでないので、所詮まだまだこの程度ですね。死にたがり。

 ドMかと思われるかもですが、寧ろSです。追い込んだ後先の事は考えておりませんので。達成すれば快感ですが、その間の苦しみは苦しみでしかない。
 また、屈強な人間に聞こえるかもですが、他人に強制された苦しみには人一倍容易く挫けます。

過去の奇行

 「死ぬ勇気があれば何だってできるだろ」 小説やドラマなんかで耳にしそうな科白です。実際そうで、それができないなんて証明できなくないですか。できる前に死んじゃったなら、それはできるまでに必要な時間が、寿命より長かっただけなのかもしれない。
 自殺と闘ったというより、命を懸けて何とか生き抜いた。そんな過去の奇行でも曝しておきます。

限界ラン

 2022年9月の終わりにやったイベントです。2時間ごとに鍵垢で生存報告をしていました。
 これは何かと申しますと、ネイチャーランのコースを個人的に走ってみようという挑戦です。半ば自殺のつもりで始めました。ゴールできる前に死んじゃったなら、所詮それまでの人間だったんだと思いながら。且つ、実験も兼ねていました。限界まで頑張った人間は本当に死ぬのか。自身が限界まで走れる距離はどこまでなのか。知りたかったのです。
 こうして執筆現在は生きておりますので、まあ自殺行為は失敗なわけで。では、果たして266㎞を完走できたのか。結果はこちら。

郡上に入ってからのバテ感が明白……。これで金沢を目指していたらしい。

 名古屋から出発して30時間、約112㎞地点、長良川鉄道最北端の北濃駅でリタイアを決め、電車に揺られて帰宅しました。半分も走れなかった。情けない。
 北濃駅を越えてしまうと鉄道は無く、公共交通機関が無さそうな山奥です。人家も無くなり、水分補給はおろか、助けも求められないエリアに進入します。白川郷に入れば一時は安心ですが、そこから富山県に入っても50㎞くらい何も無かったかと。
 それでも走れる体力が残っていたなら挑戦したかもですが、運動不足が祟り、その時点では歩くことすらもままなりませんでした。今、この駅の電車に乗れば、確実に生きてお家に帰れる。リタイアするか否かの決断が生死を分けました。
 人知れない場所で文字通りの行き倒れ。悪くない死に方でしたが、もうちょっと生きてみるか……って思っちゃったんですよね。
 再度挑戦……どうでしょうね。

(因みに、112㎞という記録は僕の中では3番目に長い距離です。最長はビワイチの178㎞。43時間掛かりました。)
(マラソン界隈では変態呼ばわりされたこともあります(笑) やっぱりドM
なのか?)

五万字写経

 詳しくは、これの前の投稿を読んでください。超絶分厚い大漢和辞典の漢字をただ書き写すというだけの挑戦です。2023年の2月に行い、見事完遂しました。
 漢字に関する記述やご質問に対する答えはこの後に投稿してますので、そちらをご覧ください。
 要した日数は丸11日。仕事とかも有りますので、ぶっ続けではありませんが、食事と睡眠は極力欠きました。だから、大体24時間×11日です。跨いだ日数で言うと16日。ちょくちょくツイッター見てサボってましたけどね。写経部屋は本と机と椅子しかない公共の資料室(夜間22時~7時はオートロックが発動。出られるけど入れなくなる)で行いました。

 写経なんだから、修行僧みたいな事をしてみようと、徒に自分に苦行を課しました。シンプルに寝ない。結局、寝落ちはしてますが、横になれないので眠れたものではありません。今思えば寝ろよって思う。効率落ちるだろうよ。
 ここで、自分の限界を知ってみようと、また変な記録を作ってしまったのですよ。絶食記録とやらを。断食の様な健康的なやり方ではなく、マジの絶食。水すら飲まず。館内に自動販売機は無いので。
 絶食した結果は53時間(2日と5時間)。その間、何も口に入れずに過ごしました。耐えられた理由の一つは、僕が食べ物を携帯していたことに在るでしょう。それをいつでも食べられる。自分の意思でこの空腹から解放され得るからこそ、じゃあもう少しだけ、と持ち堪えられました。これが強制されたものなら疾うに自殺しています。53時間ぶりの食事にどれだけ感動と感謝を抱いたことか。
 その次の食事も26時間くらい空けたので、最初にぶっ通した5日間の内の食事の回数は2回だけ。座ってばかりで消費カロリーが少ないとはいえ、不健康極まりない。2度とするな。

 ラジオを聞きながらの写経だったので、気持ち的には楽でした。ただ、昼と夜とではしんどさが異なります。日が昇っている間と深夜の空腹度は桁違い。深夜の方が断然食欲が暴れ出します。夜は感傷的になると言いますが、苦行中の孤独とは相性が最悪です。終わらない絶望感に何度挫けそうになったことか。

 夜、君って何者?

 黙々と漢字を書きました。黙々と黙々と。黙々と、ただ黙々と。その結果、暫く喋り方を忘れました。声が出なくなったのです。数日振りに人と会って会話をしようとしたら、あれ?って(笑)

家出

 これは今年の3月22日の出来事。自己否定が窮まって発狂。深夜0時、靴も履かずに実家を飛び出し、無我夢中で闇雲に走りました。まるで何かから逃げる様に。ただずっと、分からない、分からないと煩悶懊悩しながら。
 精魂尽き果てて辿り着いた神社に立ち寄り、考え込みました。どうして僕は家族想いの人間ではないのか。
 僕は嘗て実家を出て暮らしていましたが、コロナを機に(理由に)戻ってきました。だから、今の僕は特に両親にちゃんと孝行しないといけない。それなのに、体調を崩した母の看病さえ心が向きませんでした。すぐ傍に居るのに。家出の理由は、そんな自分を責めてのことです。
 僕は、母に対しての愛情が薄い。薄情ですが、それを認めることでしか、この問題は解決しないと悟りました。
 誤解のない様に注しますが、僕の母は、僕から見れば完璧な人です。完璧過ぎない完璧な人で、僕等は過分な愛情に恵まれ育まれてきたという認識でいます。
 けれど、その認識だけでは僕の心は動いちゃくれない。その所以を、深夜の神社で一人、探りました。

 僕は、両親の愛情、庇護、献身に慣れ過ぎてしまったのかもしれない。単純に、当たり前ゆえに有り難いが希薄なのでしょう。本来は自立して、衣食住を全て自分で賄っていかなければならないところを、僕は大きく両親に甘えて依拠している。だから、僕から何かしようという衝動が弱い。
 一応、家事分担として僕は食器洗いを仰せつかっておりますが、貢献というには烏滸がましいですね。代替していただいている全てが、本来自分でやるものなんだという自覚を持って、日々感謝を胸に生きていかなければという結論に至りました。(それを言えば、社会のあらゆるものがそう)
 父親は職人でありながら、洗濯機(回し・干し)、(簡単な)掃除、(拾ってきた当人だから)愛猫の世話などを担当していますが、母が不満を抱くくらいなので少ないのです。それ故、普段やらない家事、例えば、休日に食事を作ってくれると、その珍しさに、文字通り有難みが湧きます。
 可笑しい話じゃないですか。にも拘わらず、僕は日常的なものに感謝ができていない。普段、母は食材から安全なものを厳選して父の何万倍も家族の食事を拵えてくれている。普段、父は本業である我が家の家計を支える仕事を汗水垂らして勤労してくれている。けれど、それへの感謝の念は薄い。「ありがとう」の反対は「あたりまえ」とはよく言ったものです。
 両親の誕生日、母の日、父の日、結婚記念日に何かしてあげようと思えるようになったのは、ここ最近のこと。親不孝者だ。
 自分を追い込んでしまう性格ゆえに、周りが見えにくいというのもありますね。自分に余裕が無いと、視野が狭まってしまう。

 家出の話を帰着させると、3時間くらいでふらっと戻りました。家族全員に心配を掛け、父と弟は僕を捜索してくれたみたいです。着信もLINEも無視しましたし、自殺しに行ったような家出の仕方でしたから。
 どうやらうちの猫にまで心配かけたようで、平静に戻った僕に暫く寄り添ってくれました。(うちの拾い猫は7月でうちに来て1年。君はもう、紛れもない家族なのか(ホッコリの絵文字)

 ありがちな家出(苦笑)

三重人格

 三重県にはよく行きますが、三重県民ではないです。僕と同じ出身地の人がmonogatary.comにいて驚きました。

 チャウチャウ。人格の話や。
 人格と言うか、気風に応じて演じ分けをしている感覚ですが、分かりやすく人格と呼ぶことにします。

(卑屈的)弱気な私

 この記事の執筆者の感情を司っている人格です。繊細で文学的で、なんとなく女っぽいのかな。群鳥安民の名を冠して現れるのは、主にこの陰キャちゃんです。感情の支配者なのに、その感情に論理的で思慮深い。ゆえに、一度深く熟考を始めるとどこまでも深く潜り込んでしまい。よく病み落ちしています。
 俺が見ていられなくなったので、ネガツイは鍵垢にするように誘導しました。あんな根暗な鍵垢を見守ってくれるフォロワーさんに感謝です。

(暴力的)強気な俺

 この記事の作成者の思考を司っている人格です。感情的なところもありますが、音楽的なキャラでなんとなく男っぽいかと。衝動の鐘が鳴ればどこからともなく現れる其奴の正体は、この陽キャくんだろうか。思考の支配者なのに、感情の波を捉えてはそのキャラを発揮しています。ゆえに、群鳥安民の創作意欲がノッテいる時は、こいつが勢いに任せて躍動している時かもしれません。
 ネガティブな私を抑え込むことで、当記事執筆者の脳を制御する主導権を保持しようとしています。しかし、私の受けるストレスの許容量は限界に達しました。怪物化した私に舵を奪われ、当人が発狂することも少なからず。所謂、理性の崩壊です。感情を偽りながら切り替えてきた(前を向こうとしてきた)つけが回ってきたみたいです。俺は、感情が解っていても、抑え込むことしかしませんから。

(俯瞰的)中庸な僕

 発狂した様は見てらんない。感情を吐き出しているのに言語化の手段を持っていない。私は考えることはできても感情でオーバーフローになっているから。獣のように咆哮する私はもう制御が利きません。俺は僅かに残した理性を非常ボタンとして発動させ、災禍が鎮まるのを待っています。つまり、このペアが思考と感情で人間の操縦をする組み合わせは、既に破綻しています。
 そこで現れた第3人格が、僕です。私と俺を鳥瞰する人格。どちらの性別っぽさにも依らず、中性的です。僕には特に権力というものが無いので、黙って眺めているだけです。創作分野で言えば、絵に近いかもしれません。何となくですけど。
 もう、この人間は限界を迎えています。死にたいと思考するのではなく、感情先行型で死を希求している。もう、死が潜在的な欲求になってしまっている。発狂の仕方が死に直結する可能性を考慮すれば、衝動的な自殺は時間の問題。見ているだけの僕は、どうやって止めたら良いのでしょう。
 僕にできることは、こうして自己分析をすることで、自己管理の仕方を私と俺に改めてもらうことくらいでしょうか。
 私に必要なのは愛情。俺に必要なのは衝動。どれも僕からは供給できない。僕からは認識しか。
 僕には何が必要でしょうか。

狂った死生観

 自分を追い込みがちな性格が起因して、死生観が歪みました。生への慶びが消えたわけではないですが、生が慶びだけのものではないと思うようになりましたし、死が親しいものに変化しました。

『死にたい』なんて贅沢な

ダウナーウィッチ/廉

 コロナ禍になってボカロを聞き始めた僕が、記憶のリストに残した曲の一節です。
 普通の人は死にたいと思わないと噂に聞いたので、普通の人はこの歌詞に共感できないでしょう。僕も嘗てはそう思っていました。しかし、僕(私)には死というものが輝いて見える様になってしまったのです。簡単には手に入れられない贅沢品。
 生き地獄と対比させるなら、死に天国。だって、この世の苦しみから解放されるのですから。死ぬとは極楽浄土行きの列車に乗ること。

 死にたければ死ねばいい。ですがまあ、そういうわけにも行かないもので。死なれても家族が迷惑するし。
 そんな僕を生に留める所以となっているものが幾つか有ります。

死んでも変わらないから

 僕が抱く死生観については、この連作掌編の二十一歳の篇でも述べています。魂は輪廻転生するもの。肉体(魄)が死んでも魂は生きていて、同じ魂のまま生まれ変わるものと信仰しています。因みに、僕は過去生を見てもらったことがあるのですが、現生とそんなに変わらないようです。
 人が生まれる精神的なシステムとして、次に生まれる魂(子供)が天上界で、どのお母さんの下に生まれるかを決めているのだと、僕は思っています。ですから、「生まれる」が受身形であることには、半ば反意を孕んでいます。

自殺すると転生ができなくなるから

 映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』で、安藤サクラ演じる死神の台詞に、「自殺したら、そこに縛り付けられちまう」とあります。自殺者は無念を残して死んでいくから、地縛霊になってしまうということなんでしょう。真相は自殺してみないと判りませんが、お蔭で自殺を思い留まる理由の一つにはなっています。
 僕の唯一の長篇に登場する死神のヰガミのモチーフは、大方その映画の影響を受けていると思います。(もしご覧になられる方は、目次をスクロールして、24篇の扉絵を見てみるのが作者からのおススメです。作品の雰囲気が何となく分かるかと)

自殺したことが無いから

 これは、現世で未遂に留まったということではなく、前世を幾ら遡っても自殺をした過去が無いということです。僕の過去生を見てくれた、僕が師と仰ぐ方が言ってました。この辺の話は胡散臭く思われるし、僕自身も半信半疑なのでしませんが。たとえ出鱈目だったとしても、そう言ってもらえて良かったと思います。

感覚過敏?

 そもそも何でこんなに死にたがりなのかといいますと、よくある社会の生き辛さって奴です。主に仕事でのストレスですね。もう限界です(笑) けど、まだ辞めるつもりはありません。仕事内容は好きなので。
 人間関係……っていうのもちょっと違うんですよね。上司からの言葉の槍が僕の身体を貫いていますが、特段に言葉遣いが悪いわけではないんです。僕がポンコツなだけなんで。よく言う一人反省会って奴でしょうね。自分の指摘された部分が長期的に尾を引くんです。
 んなもん気にせず切り替えろって話ですよね。はい。そしたら、こうなりました。卑屈な私を俺が抑圧する事態が発生しました。その場凌ぎの思考シフトでは、感情までは切り替わらなかったみたいです。
 人格がただ演じ分けている感覚であるように、この死にたい苦しさは気の所為な気がしちゃうんです。苦しがってる振り。逃げようとしている甘えだと。俺ってのはそういう奴です。
 根本的な思考から変わらなきゃですが、気が進みません。自分を追い込む質なので、苦しんでたい。変なの。

 僕が精神的に苦手なものが2つあります。

否定

 否定されるのは嫌いです。心から崩落の大音声が轟きます。勿論、僕だって間違ったこともします。必要なのは、正すとか向上とかです。「罪を憎んで人を憎まず」と謂うじゃないですか。論議の俎上に人を挙げてもしょうがないんですよ。直すべき本質に焦点を当てないと。

大音声

 これは、マイナスなものに限定してです。物音やライブの爆音は全く平気です。声の大きい人は基本的に苦手なので、信頼できない相手なら関わりたくないです。接客とかしてても、「えっ?」って聞き返してくるお客さんの声が大きいとストレスです。まあ、僕が聞き取れない喋り方をしている時点で、一人反省会の開催が決まってしまうのですが。
 自然的な物音は問題ないですが、不機嫌な人が放つ物音は全てストレスです。と言うか、存在そのものがもう。自分の機嫌くらい自分で取れや。

これって特別?

 僕の言いたいことはこれ等のコメントが代弁してくれています。冒頭の話に戻りますが、恐らく、障害だの何だの面から言えば、僕にもそういうものは在ると思います。それを免罪符にしたくはないので、不似合いな一人前の人間の仮面を誂えておりますが。
 現代の障害云々って、判別が極端です。二分化どころか、正常・異常・それ以外、の三分化にすらも分類できるものではないんです。グラデーションです。真面・変わり者の判別に境界線なんか無くて、勝手に社会の枠組みに当て嵌めんが為に、分類しているだけ。だから、正常人間だけが歩きやすくて、異常人間がやっと認識されて配慮されるようになって、約半数のそれ以外の層がそれなりに生き辛いんです。
 最近話題のLGBTQAXなんかもそうです。身体の性は明確ですが、自認の性は四捨五入でしかない(法案について言及するつもりは一切無いです)。指向の性別もそう。生殖的に男女の組み合わせが理想なのであって、完全なるヘテロセクシュアルの人が過半数なのは、己の本当の指向に気付いていないだけ。同性を好きになって新たな扉が開いたとか謂いますが、そんなものに扉も壁も無いんです。あなたがその領域に見向きもしてこなかっただけか、成長した感性の変化によるもの。
 僕に性別を分類させるなら、身体が男女2種、自認が男性・女性・中性・無性の4種。この時点で2×4=8種類。この8種類の性差で混淆に恋愛したとしたら、その可能性は何通りあるでしょうか。そう、8×8=64通りです。これをパターンとして認識する気になりますか? もう人それそれでいいですやん。これですら強引な分類です。生殖が可能かどうかで身体の性別を分類するなら別枠を設けるべきだ、と唱える人もいるかもしれません。
 だから、抱える性別なんてのは人それぞれ、大衆グラデーションでいいんです。「自分が好きになった異性は、異性を好きになる指向の人だろうか」 現代の恋愛は、そういう疑問から始まるべきフェーズに入っています。

 また話が逸れましたが、人間を分類するには無理があるってことです。人間性の違いなんて、身長の違いみたいなもの。瑣末ながら、蔑ろにできない大切な個性です。

僕の癖

 暗い話を続けてしまいましたね。もっと前向きに自己分析してみます。

マイナー嗜好

 同担拒否る所以でもありましょう。大衆が良いと認めるものには、推す価値を見出せません。だってもう、既に多くのファンを獲得しているのだから。だったら、ダイヤの原石を発掘しましょうよ。推される側からしたら、埋もれている私を推して!と思うのは当然の事。僕はそちらの需要に応えたい。
 下衆な事を言うと、マイナー推しの方が自分の価値が上がる。提供者にとって大切な存在になれるので、こちらとしても推し甲斐が有ります。早いうちからマイナーを推しておけば、お宝発掘感あって楽しいですし、他の人は知らない自分だけの支持という優越感にも浸れるじゃないですか。とはいえ、ブレイクされたら冷めますが。
 これは僕の性格に因るものが大きいでしょう。僕は無駄が大の嫌いです。食品廃棄とか憎悪の対象でしかない。命を何だと心得る。勿体無い。そんな過不足は相殺すればいい。不均衡が解消されていくのが、僕とっては快感なのです。
 だから、少数派の味方でありたい。かといって、完全に不均衡が解消されてはつまらないので、マイナー層にメジャー層を引き込もうとは思いませんが。やっぱ同担拒否なのか。

両極端

 0か100かの選び方をしがちです。徹夜をした代わりに翌日は一日中眠る日にしたいとか、食事の前はうんとお腹を空かせておきたいとか。創作は纏まった時間を確保して取り組みたいとか、余裕が無いならとことん苦しめばいいとか。
 コンスタントな継続を苦手とする一極集中タイプ。中庸を好む習慣的な常人には理解しがたい思考回路を抱えております。
 修正できないなら壊してリニューアルすれば良い。手っ取り早いですが、これって危険思想なんですよね。自分がそうだから、他人の辛さにまで冷酷になってしまいそうなのが怖い。「バカは死んで治せ」みたいな。あくまでも自身の心情としてのみ置くのであって、他人にまでは強制しないように心掛けてます。

肯定的に受け取る

 ポジティブシンキングというより、批判的な受け取り方が苦手です。提供されたものに対する前提知識や関心、思考力も影響しますが、疑問点や自分の意見が湧くまでにかなりの時間を要します。怪しい話に丸め込まれないか不安。
 物事を無理矢理肯定的に捉えることもあります。先に無駄が大嫌いと言いました。無駄を無駄と認めると後味が悪いので、ある種の強がりみたいに合理化させます。電車を逃したけれど、バタフライエフェクト的に良い運命の方に変わったかもしれないとか。余分な出費だけれど、良い勉強になったとか。

 これだけ冗長な自分語りは珍しいでしょう。ここまでお付き合いいただけた方がいらっしゃるなら、僕は幸せ者です。
 僕はこれからも闘います。自分と、自分の夢と、自分以外の何かと。そんな僕を見守ってくれる方こそ、僕の視野から取り零してはいけない方。そう肝に銘じます。その存在に感謝を忘れず、何かを返せる人間になれるよう、死ぬまで頑張ります。
 noteでもTwitterでもどこかの小説投稿サイトでも、反応やリプライは遠慮無くどうぞ。以上、寂しがり屋の自分語りでした。


 教えてください。あなたの眼に、僕はどんな風に見えていますか?

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