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安民的創作論B エンタメVSアカデミック

※この投稿で多少なりとも敵を作る可能性は覚悟しております。後に、Twitterでのとあるやりとりを引用しております。私は、あくまでも両者を中立に、批判と共感の両視点を持ち合わせ、客観的な視点から俯瞰することを試みております。決して審判をしてやろうという意思で応酬を晒しているわけではありません。
 なお、言葉は所々Twitterのリプライを引用しております。

 皆さんも、これを機に一緒に考えてみてください。



 この扉絵、気に入っています(笑) 創作ガチ勢の群鳥安民です!
 読者の貴方様は、真実に拘るタイプですか? それとも、面白さを優先しますか? 何を大事にしているかで、人の在り方は変わってきますよね。
 両者の考え方はどちらも蔑ろにできないものです。そして、一方に極端に偏ることはかなり偏屈です。つまり、いい塩梅が必要なわけです。
 何故、こんな話をするのかと言いますと、学問と娯楽の世界観には互いに解り合えない部分があるなあと思ったからです。かといって、全く切り離すこともできない。まるで異なる人種が共存する様に、中々厄介な問題を孕んでいると思います。

エンタメが侵すアカデミック

 先ずはこちらのツイートをご覧ください。お時間の有る方は、リプライや引用リツイートまで参照していただきますと、如何に不穏なやり取りかがお解りかと思います。

 この画像を用いて「氣」字に関する投稿をしている人は他にもいらっしゃいます。そして、少なからず漢字に精通している人からの野次が飛んできていることでしょう。
 エンタメというよりは宗教的なネタスピリチュアル、信仰といった属性が強いですね。このツイートをした神宮司 真心さんの肩書が、作家系探偵Vtuberであるように、この学問的にも見える考えを、エンタメの一部として扱っているように捉えられます。

批判点

 この手の人は漢字の専門家ではありません。神宮司さんにおかれましては、中国語の野次に反応していないこと、漢字学に纏わる古典書籍や学者の引用が見られないことからも窺えます。漢字辞典の編集者ですら漢字の専門家でない場合がありますので、3000年以上の歴史を持つ何万もの文字に精通するには、容易な事ではないのです。
 これ等のツイートの何が問題なのか。直接のリプライではありませんが、この言葉を引用します。

漢字の字源的には全て間違っています。 解釈はご自由ですが、それがあたかも真実であるかのように断定調で書くのは不誠実ですよ。

https://twitter.com/bagacycymy/status/1489061437053886470?s=20

 冒頭のツイートだけを分析してみましょう。

みなさんは『言靈』って信じます⁉

元ツイ

 私は信じます。死んでも他人に絶対「死ね」とか言いません(自分には言っちゃいます)。

例えば 氣と気 の違いは米と〆です

元ツイ

 これは間違い無いでしょう。字の形が異なるのは見るに明らかですね。

「戦後GHQ統制下となった日本人の言靈力を封じるために 本来「氣」だった漢字を「気」に置き換えたのです。 力も病も氣から。氣を止められると人は弱り病気になる。主食の米がパン食になれば… 色々と嵌められてますよね」

元ツイ

 さて、これの真偽や如何に。
 誤解の無いように言いますが、これが嘘っぱちだと言うつもりは皆目ありません。私はその手の専門家ではありませんし、調べたわけでもありませんから。

実際の話をするとGHQはおろかアメリカ建国以前から日本人は「気」という字を見出して使っていたわけなのだが。(用例

https://twitter.com/JUMANJIKYO/status/1670999327215435777?s=20

漢字界隈の方が、詳細な根拠を挙げて「気」の説明をしてくれています。

 一方、「正式な漢字」の定義、「氣」字に関する中国大陸での初形と日本での初期用例の論証を求められた神宮司さんは、自分で調べるように返答しています(専門家でも初形、初期用例を提示するのは至難です)。アカデミックサイドの人が筋の通った論証を求めているのに、彼はそれに応えていません。それは学説を論ずる者としては不誠実です。また、彼の煽り返す様なリプライは傍観者として不快感を覚えます。言霊を提唱する者としては、理論崩壊していないでしょうか。

 これが宗教的なネタなら構いません。百歩譲って断定的な書き方をしていても、エンタメとして語られる分には自由です。しかし、神宮司さんのTwitterプロフィールYouTubeを確認しても、精々、霊に関するスピリチュアルなものしか見当たらず、仏教的な学派を補強するものは見つけられませんでした。彼は仏教の理念を説いており、ネタを投稿しているつもりはないようですが、上記の様々な理由から、アカデミックではなくエンタメとしての発言であると、私は受け取りました。

擁護点

 こんだけ言っといて、神宮司さんを貶めていないか不安……。再度忠告しておくよ!!! 神宮司さんは間違った事を言ってないからね!? ただ、漢字学、古文字学の観点から見れば異なるのであり、仏教的には真実だそうです。

 ちょっと脱線。
「ミステリと言う勿れ」今年、映画化するみたいで。ドラマの第1話を見たことのある方ならご存じでしょう。真実は人の数だけ存在し、事実こそがたった1つなのです。見方次第で見え方が異なるのは往々にしてあること。それが今回、仏教的な考え方と漢字学の考え方の間でひずみが発生してしまった。水と油だったということなのでしょう。

 逆に、神宮司さんは漢字学の考えを否定する意思は無いように窺えます。

しっかりと自分の頭で考え自分の正しさを腑に落とす。それには俯瞰の神の視点と仏の視点の両方は不可欠です

https://twitter.com/Jinguuji_Makoto/status/1670929693594497024?s=20

 私は仏教は門外漢なので、仏の視点は置いておくとして、神視点は創作論Aで私も述べています。自分の頭で考えること、神視点で俯瞰することには、大いに共感です。
 神宮司さんは自分の考えを貫いており、他人にその考えを強制していない。それはとても大切な事。複数からの揶揄にもめげないその姿勢と共に、私は見習いたいと思いました。

 ここまで見ていくと、おやおや? ということは、喧嘩の発端はアカデミックサイドという事になります。

アカデミックが嗤うエンタメ

 では、今度は視点を逆転させてみましょう。

 アカウント名からお分かりの通り、漢字に詳しい方です。この方は字書に載っていない漢字を集めたオリジナルの字典を制作しており、私はその完成を痹れを切らして待ち望んでいます。
 アカデミックの観点から、拾萬字鏡さんの言うことは間違い無いでしょう。「気」は遥か昔から使われていた字であり、GHQが「氣」に代わって「気」を齎したわけではないのです。神宮司さんのツイートは漢字学的には誤説であるため、それを補う?(詳細は後述)ためにした引用ツイートかもしれません。
 神宮司さんに対する批判ツイートをを見てみると、「そんなわけないだろ!」と嘘つき呼ばわりに聞こえる批判も見られますが、拾萬字鏡さんは比較的穏やかな批判の仕方をしています(詳細は後述)。

批判点

 人それぞれ、界隈それぞれに考え方がある。それを認識していないよりかは、認識している方が余程、人間としての良識があります。とは言えどちらにしろ、自由な発言の場で発言しているにも関わらず、ff(相互フォロワー)でもない人間に突然批判を突き付けられるのは、気持ちの良いものではありませんね。これも神宮司さんの擁護点になります。

 衒学的で僭越ではありますが、学問界隈を代表して言わせてください。アカデミックは一歩間違うと傲慢になりがちなのです。学問というのは正しさ第一の世界。個々のあやふやな真実よりも事実が大事です。確固たらざれば、個人の学説ですら尊重されません。現に、漢字界隈の重鎮、白川静さんの文字学ですら、宗教的な憶測が多いと言われているくらいです。そういったお堅いところが、学術優位性を高め、心的な優越感に関わってくるのかもしれません。また、頭の良い方には変わった方もおられますので、もしかしたら、学問に対する真摯さほど、他者に対する配慮が充分でない方もいらっしゃるのかもしれません。
 学問が屈服したら、真実が蔑ろにされたらどうなるか。この世は誤説に満ち、真相は次々と闇に葬られていきます。特効薬が作られるのは? デジタルやAIの技術が発達したのは? 先進的なものは、全て学問や研究の賜物です。
 それは本当に安全ですか? 陰謀論と一般論、真実はどちらですか? 脆弱な学問は、利権に敗北します。だから、正義の為に、アカデミックは正しさを貫くのです。

 とかなんとか言うたけど、誤解せんでな!!! 拾萬字鏡さんは傲慢な人じゃないから! 寧ろ、そういうSNSのゴタゴタで病まれて、一度Twitter辞めたくらい繊細な人だから! これ以上漢字学派の人間を減らしたら、日本の漢字研究文化が衰退します。
 そんな彼には真説を提示する理由が有ると思うんです(詳細は後述)。

擁護点

 後回しにしてきた詳細に入りましょう。どうしてアカデミックはエンタメに食って掛かる(様に見える)のか。その意図を推測して擁護します。
 先ず、拾萬字鏡さんの引用リプライに、神宮司さんを批判する意図は無いと思われます。「こういう輩が」とか言い出して人を叩く人もいますが、拾萬字鏡さんは違います。彼がしたかったのは、神宮司さんの発言に対する批判です。「罪を憎んで人を憎まず」と同じです。誤りに対して人を責め誹ることもまた誤った行為。本質はその内容の是正であって、事象にだけ目を向ければ良いのです。
 且つ、拾萬字鏡さんの引用リプライは、神宮司さんに宛てたものでもないと推測します。これはTwitterの仕様上、仕方ないのではないでしょうか。学に通じている人間なら、引用の大切さは重々承知の事でしょう。考えや説明であっても盗用したと知られれば、信用は簡単に地に落ちます。労働者で言えば、クビに相当するくらいの詰み事案です。そんな人間に学者は名乗れません。だから、論文で引用する様に、真説の開示には関連するツイートを引用する形になるのでしょう。
 ただ、Twitter上での引用は、相手に通知が行きます。ですから、この様に引用してする批判は、被引用者に対して無礼になることも。アカデミックの礼節的習性は、SNSでは寧ろ逆効果になり得るみたいです。

共通点

 諍いなんてのはどれもそうですが、自分の主張が侵食されることは誰しも避けたいはずです。内輪の話にマジレスが飛んできたら冷めますし、長年培ってきた学説がネタに脅かされるような事態は勘弁願いたいもの。
 人には人それぞれに信じるものがあります。それは間違っていないのであり、信仰の自由は誰にも侵す権利はありません。客観的に俯瞰することで自分の抱く真実を決め、解り合っていけたら良いですね。
 また、無用な争いを避けるためにも、誤解の無い表現を心掛けるようにしましょう。

 何でこんな記事を書いたのかと言いますと、私自身がエンタメにもアカデミックにも通じている人間だからです。自分なりの表現を模索しながら、アカデミックの知識を用いた創作をしていこうと、この人生を懸けることにしました。
 茨の道は既に始まっています。エンタメとアカデミック。どちらもその神髄は深奥にして、底なしです。一生や二生では時間が足りません。記憶を保持したまま、同じ現世に転生できないものでしょうか。まあ、同じ人生なんて一生だけでいいとは思いますがね。
 水と油を混ぜようとしている私に、いずれあんな様な批判が降る日もそう遠くないのかもしれません。中途半端な産物を晒して非難囂々にならないよう、両派の体得に今後も研鑽していくつもりです。

 いつかアッと驚くもん、作ってみせるからさ。

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