[エッセイ]くしゃくしゃのドリンクチケット
高校生のときくらいから音楽が好きだ。
人と同じものよりも、周りの人が知らないもののほうが宝物のような気がして、インディーズだとかあまり同世代が聴かない曲のほうが好きだった。
近所のCD屋さんによく通ったし、インターネットで新しいバンドのことをたくさん調べた。
僕の住んでいた京都にはおもしろいミュージシャンがたくさんいた。
ただ僕は、ライブが苦手だった。
大好きなバンドがライブをやるからと、チケットを予約するのだけれど当日はわりと行く前からうんざりする。
そこは大人の世界のように感じたし、少なくとも明るい人たちの場所に感じた。僕が好きだった歌詞のように、閉塞感や孤独感をみんな同じように感じているはずなのに、ライブハウスにいる人たちは妙にチャラチャラしてみえてしまった。怖そうなお兄さん、綺麗なお姉さん、「久しぶりですね」と話し合う人たち。
だからライブハウスにつくと後ろのほうに立って、根がはったようにそこから動かないでいた。動くのが怖かった。
そこまでいくと後は好きな曲を楽しみにしながら時間が過ぎるのを待てばよい、、、とはいかない。
入り口で受け取ったドリンクチケットを使わないといけない。数を管理しているのかどうか知らないけれど、きっと使わないでいることは悪いことに違いないと思っていた。
まだ行かなくていいかな、、もうすぐいこう、、もうちょっとしたら、、
こんな具合に時間がすぎる。自衛のために根をはっているから、そう簡単に動けない。でもドリンクチケットは使わないといけない。そうしているうちに紙でできたドリンクチケットなんかはくちゃくちゃになってしまう。
結局使わないでソッと置いて帰ったり、紙ならそのまま持ち帰ってしまったりする。また使えなかったと、くよくよする。どうやったらドリンクチケットくらい交換できる普通の人になれるのか、悩んだりもした。
あれからかなり月日が過ぎて久しぶりにライブにいった。暑くて喉が渇いていて、ドリンクチケットはすぐに交換してしまった。月日だけが解決法だったのかもしれない。ただ、ドリンクチケットはラミネートされていて、くしゃくしゃになりようがなかったのだけれど。