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午後の紅茶をくれたタクシードライバー

中島みゆきが作った楽曲の中に「タクシードライバー」という歌がある。
その歌の歌詞には、泣き疲れ行くあてもなくタクシーに揺られる女と、彼女の涙を見て見ぬ振りをしながら空っぽな話を繰り返すタクシードライバーが出てくる。
涙の理由に触れずとも、見知りもしない彼女の悲しみにそっと寄り添うタクシードライバーの温かさが胸に沁みる名曲だと思う。
私はタクシーに乗るたびに、中島みゆきのこの歌を思い出す。私も、タクシードライバーとのやり取りに救われたことがあるからだ。


学生時代、入学して初めて迎える冬。終電の時間も過ぎた深夜0時過ぎ、当時付き合っていた男と、帰る帰らないで口論になった。

当時の私は実家暮らしで、親から「絶対に終電で帰ってくること」「終電を逃したらタクシー使ってでも帰ってくること。外泊は基本許可しない」という方針をぶち上げられていた。女子校育ちの長子が男女共学の大学に飛び込んだもんだから、親も相当身構えていたのだと思う。
私は「くそダリぃな」と思いつつ、親の方針を甘んじて受け入れていた。子供心に、親の可愛らしい(今後無くなっていくであろう)お節介に従うのも、広義では親孝行の内だろうという、不遜な考えがあったせいだ。交際していた男にも事情を説明し、理解してもらっていた。

が、時たま男の不満が爆発するタイミングがあり、その日がそれだった。
ひとけの少ない深夜の駅前で言い争いになった。言い争っているうちに終電は無くなり、体は冷え切っていた。男が一人で暮らす家はこの駅から程近い。
それでも帰ると繰り返す私に、男は「親の方針に反発しないってことは、『そこまでして俺と一緒に居たくない』って思ってるってことじゃないの?」と言った。そんな事はないけど、実家暮らしが親に逆らうと、良くて飯、悪くて住処を無くすので仕方ないのだと説明すると「じゃあ俺と住めば良い」と言われた。全部ちげえよ。なんでそうなるんだよ。

親もダルいし、男もダルい。何より、その両方を立てようとして結局失敗している自分が一番ダルい。そこに私の意思はあるのか? いらいらする。分からないし情けない。
いよいよ口論が煮詰まり、私の苛立ちと情けなさが頂点に達した時、目の前のロータリーに1台のタクシーが停まった。フロントの表示板は「空車」。私は男の手を振りほどいて、タクシーに飛び乗った。

わななく声で「とりあえず〇〇市方面にお願いします」と告げる。タクシードライバーはちらりと後部座席の私の顔を見やり、「かしこまりました」と言いながら車を発車させた。その時の私はもう、いろんな負の感情が詰め込まれたグチャグチャの表情をしていたと思う。

車内は暖房が効いていて暖かかった。歩き慣れた駅前の景色が車窓を流れていき、しばらくすると、郊外へ続く川沿いの道に出た。この川をずっと上っていくと、実家がある街に着く。
少し安心したのと同時に、ずっと張りつめていた糸が切れたのか、自分の意思と何ら関係なくぽろぽろと涙が溢れた。
その時、「かしこまりました」以降ひと言も話さなかったタクシードライバーが口を開いた。

「いや〜僕ね、いつもすごく喉乾くんですよ。だからいっつも沢山飲み物買うんです」

めちゃくちゃ古いが、シャベッタアアア!!!のCMの声が脳内再生されたのを覚えている。びびって涙が引っ込んだ。しまった、この人喋るタイプのドライバーさんなのかよ。今一番当たりたくないタイプの人に当たってしまった、と思った。
焦って涙を拭きつつ、ハァ、と心ここに在らずな返答をした。タクシードライバーはお構いなしに続ける。

「ほら、見てくださいよこれ。いっぱい買っちゃうんですよ、しかもあったかいやつ。すぐ冷めちゃうのに」

タクシードライバーは運転しながら手元を見ずに、助手席に置かれた紙袋を引っぱり出した。中を見ると、黄色いキャップの午後の紅茶(280ml)が5,6個ほど詰め込まれている。

「いつも沢山買っちゃうのに、飲み切れないんですよ。どうぞこれ、貰ってください、もちろんまだ開けてませんから」

タクシードライバーは相変わらず正面を向いたまま、袋の中の午後の紅茶(ストレート)を1本取り出し、私に差し出した。ほんとだ、まじで冷えてる。最初から冷たいやつ買えばいいのに。

「すいません、ありがとうございます」
「いえいえ、いつもお客さんにあげてるんですよ。飲んでください」

言われるまま黄色いキャップに手をかけた時、自分がしゃくり上げていることに気が付いた。しゃっくりを押し込めるように午後の紅茶を飲み込む。午後ティーなんて最近あんま飲んでなかったな。果糖ぶどう液糖のわざとらしい甘さがなんとなく懐かしかった。
ペットボトルの午後の紅茶を2,3口飲んで息を落ち着かせると、またしばらく黙っていたタクシードライバーが口を開いた。

「なんて言えばいいか分からないんですけど、この先、そんなこともあったなあって思う日が来るんですよ。だから、大丈夫ですよ」

さっき引っ込んだ涙がまたぼろぼろと流れてきて、小学生みたいな嗚咽も出てきて止まらなかった。
私は何度もしゃくり上げながら「ありがとうございます」とひと言だけ言った。タクシードライバーは相変わらず正面を向いたままで、私の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、「そういえば昔ね、こんなお客さんが乗ってきて…」なんて滔々と話し出した。

それからタクシードライバーはずっと話していたが、内容はほとんど覚えていない。そして私が相槌を打ったり打たなかったりしながら、途中何度か道を指示しているうちに家の前に着いた。
私は何度も頭を下げながらタクシーから降りて、ペットボトルの午後の紅茶を飲み干した。


以上が、私が学生時代に出会ったタクシードライバーの話だ。
社会人2年目の春に自殺しようとして夜2時にタクシーに乗った時のドライバーの話もしようかと思ってたけど、長くなったのでまたの機会にする。

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