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お能の『葵上』と三島由紀夫の『葵上』

お能と源氏物語

お能の曲数は200-250と言われますが、源氏物語にまつわるものが十数曲あり、現在、上演されるものは次のような曲です。

「半蔀(はしとみ)」
市井の女性「夕顔」が源氏との恋物語を語る。「半蔀」とは、上半分を外側につるし上げるようにして開ける窓。

「夕顔(ゆうがお)」
物の怪に襲われて成仏できない夕顔の霊が昔を述懐する。僧侶の弔いにより成仏する。

「葵上(あおいのうえ)」
嫉妬で身体から遊離した六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生霊が葵上を襲う。僧侶がこれに対峙し成仏させる。

「野宮(ののみや)」
伊勢斎宮の精進屋とされた旧跡、野宮に六条御息所の亡霊が現れ、妄執にとらわれている自分を救ってほしいと僧侶に頼む。

「須磨源氏(すまげんじ)」
須磨の浦に、生前、自ら都落ちしてこの地で過ごした光源氏の霊が現れる。昔を偲んで舞いつつ、この地の衆目を助けるために来たと言う。

「住吉詣(すみよしもうで)」
住吉社に詣でた光源氏一行と須磨で契った明石上が偶然会う。 恥らう明石の上と再会し、 二人は歌を取り交わし、また、別れてゆく。

「玉鬘(たまかずら)」
恋の妄もう執しゅうによって狂乱した玉鬘の霊が、自身の罪を懺悔ざんげして迷いから解き放たれる。

「碁(ご)」
木の下で臥している僧の前に艶やかな姿の空蝉と軒端荻が現れる。二人は碁盤を挟んで対局する。負けた空蝉は薄衣を寝室に投げ捨てて姿は消す。

「落葉(おちば)」
月夜に、夕霧へ執心する落葉君の亡霊が現れる。夫、柏木が女三の宮に許されぬ恋をしたこと、柏木の死後夕霧と心を通わせた思い出などを語る。

「浮舟(うきふね)」
旅僧が宇治の里で浮舟の霊と出会う。亡霊は、恋ゆえに物の怪に取り憑かれた様を見せ、横川の僧都に救われた顛末を語る。

「源氏供養(げんじくよう)」
唱導の大家・安居院法印が石山寺を訪れると、紫式部の霊が現れる。式部は、『源氏物語』の供養を怠ったために今なお苦しんでいると明かす。

葵上


源氏物語、葵の帖を題材にしたお能の演目。これを題材として、三島由紀夫が戯曲「葵上」を作成している。

源氏物語の葵の帖は、3つの部分で構成されている。第一の場面では、葵祭の場面で、お忍びで見物に来ていた六条御息所の車を葵上の一行が押しのけ、それにより車も破壊されて六条御息所は大きな屈辱を味わう。第二の場面では、光源氏の子供を産んだ葵上が物の怪に憑りつかれて死ぬ。六条御息所は、その噂から自分の生霊の仕業であったことを悟る。第三の場面では、源氏の君が、自らが大事にそだててきた若紫とついに契ってしまう。

お能は、この第二の場面が題材となっている。源氏物語では、六条御息所は屈辱と嫉妬を理性で押し殺すが、自分がコントロールできない状況で生霊が遊離して葵上を襲う。お能では、生霊が主役となり、恨みを語り葵上(舞台に置かれた着物が病に臥せっている葵上を表している)にあたる設定になっている。

三島由紀夫の戯曲では、葵上はベッドの上に横たわり、セリフは「助けて、助けて」だけである。源氏物語には相当する登場人物がいない看護婦が、物語の設定等について語る役割を担い、主役は六条康子の亡霊となっている。その生霊に見立は光源氏に見立てた若林光と対峙する。お能の葵上では、六条御息所に対峙するのは横川の小聖であって源氏ではない。もとの源氏物語でも生霊と光源氏が対峙する場面はない。その意味で、三島由紀夫の戯曲は原作ともお能とも大きく異なるものの、六条御息所の描き方には通じるものがあるのではないだろうか。


六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)


六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は、お能において、「夕顔」「葵上」「野宮」に登場し、「葵上」「野宮」では主人公となる。屈辱、嫉妬を抱えているが、教養がある美人であり、もともと東宮(皇太子)妃であることから、奥ゆかしさと品があり、おぞましい物の怪ではない。それが、お能が表現しようとする幽玄の世界にマッチするのであろう。


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