社会そのものの姿をした大学がいい

中学・高校時代の記憶は「幽閉されていた」という表現がよく似合う。小学5年生の時、お金を賭けてマージャンをしているのがバレたのが不運の始まりだった。

僕ら家族が暮らしていたのは板橋区内の比較的貧困家庭が多く暮らすエリアだった。当時通っていた小学校の登校班の班長が中学生になり、順当にヤンキーになった。彼らヤンキーはマージャンのメンバーが足りない時、ファミコンでルールを覚えた僕に声をかけた。

賭けマージャンが発覚したのは、聞くところによると中学生の一人が10万円以上負け、払えなくなったのが発端だったらしい。親に助けを求めたのだ。彼の家はTHE・貧困世帯だった。家は散らかった海の家みたいだった。

話は中学校の先生に共有され、教育委員会にも報告されたのだろう。僕もある日、当時小学5年生の担任の先生に声をかけられた。理科室での実験が終わった後だった。

「トバクの容疑があるんだけど」
確かそんなふうに言われた気がする。トバクというのが何のことか最初は分からなかったが、説明を受けるうちにすぐに理解した。

当然、親は激怒した。そして、入学前からこれじゃあ公立中学校には入れられないと言って、6年生になる直前に僕を塾に入れた。そして1年後、家から一番近かった私立中学に入学した。僕は国語が最後までできなかった。算数の半分くらいしか点が取れなかったのだ。入れたのは、世間的な評価はともかく、子どもの目から見たらお世辞でも褒められない学校だった。

トバクの容疑とか(実際にしていた笑)、国語が苦手とか、今の僕を良く知る人からは想像できない話かもしれないが、実話である。

その後、このままこの環境にいるのはさすがにマズイと考えるようになり(なにしろ、生徒の8割は目が死んでいるか、何も考えていないか、少し荒れていた)、高校1年生の冬くらいから本格的に大学受験勉強を始め、なんとか無事に第1志望の大学に合格することができた。

大学は楽園だった。裕福な家庭で育った心の優しい友人に恵まれた。映画を観て、本を読んで、海に行き、スポーツや文化活動をし、いろいろな話をした。女の子たちは頭の回転が速く品もあり、一緒にいるだけで心躍った。

大学で僕は自分を育て直した。そして、地域の劇場でアート教育に出会い、リクナビにすら登録しないまま大学の卒業式の翌日にNPO(任意団体)を立ち上げるところからキャリアを開始した。

それで今、豊島区にある大学で働いていると、僕が幼少期を過ごしたようなエリアで育った学生がいる。彼・彼女らにとって大学進学とは、違う世界の住人になるための手段なのかもしれない。僕はそう思って、高校時代、大学受験に最も打ち込んだ。

もっと素敵な世界で暮らしたい。素敵な会社で働きたい。公私ともに素敵な人たちに囲まれたい。そして素敵な人生を送りたい。

そのような希望を持つことは、自分の過去を肯定したいだけかもしれないけれど、人間のごく自然な気持ちだと思う。

最近は、大学こそが格差の固定・拡大に与しているという批判の声がある。統計的には、それはある程度事実なのだろう。親が大卒であれば子どもも大卒である確率は高く、今でも「大卒以上」と書かれた求人票は少なくない。

しかし、階層移動の手段が1つもない社会よりは、大学がその役割を果たしている社会の方がずいぶんマシなのではないか。いま日本で、経済的な理由で大学に行けないことは稀になりつつある。

大学で働く前、教育の魅力化に取り組む公立高校に関わる機会が多くあった。「大学に行く、行かない、それを分ける真因は何ですか?」と何度も聞いたが、「経済的理由」よりも「(親または本人の)価値観(キャリア意識)」「学力」が挙げられることの方が多かった。しかもそれは高等教育無償化前の話だ。

僕はやはり多様な学生たちが通う大学に仕事としてやりがいを感じる。できるだけさまざまな背景を持った学生たちが集う、多様性豊かな大学がいい。その姿は社会そのものだから。それを学生たちの育ちと学びに変えていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?