人間失格

【タイトル】人間失格
【概要】大葉葉蔵という人物をもとに展開される物語。第三者目線で語られるはしがきとあとがき。手紙形式で書かれる第一の手記、第二の手記、第三の手記から構成されてる。

「恥の多い生涯を送ってきました。」という有名な1文から始まる手記。葉蔵の幼少期が描かれている。幼い頃から人間の営みや幸福が理解できなかったことが記されている。しかし、「道化」を演じることで異端児だと思われないように生活していた。

第二の手記では実家を離れた中学時代のお話。「お前は、きっと、女に惚れられるよ」という葉蔵の後年を予言するかのような一言を告げられる。その後当時の高校に進む。そして学校にも行かず遊びまわっていると堀木という男に出会う。堀木は、葉蔵に酒と煙草と女と質屋と左翼思想を教え、いつしか二人は悪友となった。葉蔵にとって、酒と煙草と女は、人間のことが理解できない自分の孤独をひとときの間救ってくれるものだった。そんな中で、葉蔵はカフェの女給・ツネ子と出会う。葉蔵は生活環境の激変で生きていくのが辛くなる。そんな時、ツネ子は葉蔵に心中を持ちかけた。2人で鎌倉の海に身を投げたが葉蔵だけ生き残ってしまった。自殺幇助罪に問われたが結果起訴猶予となり釈放された。

第三の手記では身元引受人の家での生活のシーンから始まる。しかし窮屈さで逃げてしまう。行き場をなくし、堀木の家に立ち寄った際にシヅ子と出会う。夫とは死別し、娘のシゲ子と二人暮らしをしながら働くシヅ子と、葉蔵は気が合った。そして二人は同棲することとなった。シゲ子は葉蔵になついていたが、次第にシヅ子の無自覚な発言によって葉蔵は傷つき、シヅ子のことを信頼できなくなってしまう。そんなストレスが原因か、葉蔵の飲酒の量は増え、シヅ子の物をお金に換えて、飲み歩くことが増えた。シヅ子から何か言われることを恐れた葉蔵は、次第に家に寄り付かなくなってしまう。ある日、久しぶりに家に戻ってみると、シヅ子とシゲ子が嬉しそうに会話をしている声が聞こえた。その声を聞いた葉蔵は、「幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ」と感じ、それ以降家には帰らなかった。
その後、葉蔵は京橋のスタンド・バアのマダムに世話になることになった。そんな生活を送っていた時、葉蔵にお酒を辞めろと声をかけてくる女が居た。名前はヨシ子といって、バアの向かいの煙草屋の娘だった。かわいらしいヨシ子に魅力を感じた葉蔵は、お酒を辞めたら、お嫁さんになってくれと頼み込むようになる。しかし、ある日我慢することができずに、酒を飲んでしまう。しかしその姿を見ても、ヨシ子は葉蔵が酒を飲んだことを信じなかった。そんなヨシ子の純粋な心に、葉蔵は惹かれていき、内縁の妻とした。この生活は、葉蔵が生まれて初めて手に入れた安定と幸福だった。葉蔵は次第に、人間らしさを取り戻していき、この生活が続けば、自分は道化を手放すことができるかもしれないと予期するまでに至る。だが、ヨシ子は家に出入りする商人に襲われてしまう。ヨシ子は、人を信頼することにおいては天才的な能力を持っていたはずなのだが、この一件以降、葉蔵にさえびくびくするようになってしまった。
葉蔵は、このヨシ子の変貌ぶりに対してショックを受け、自殺を考えるようになる。そしてある日、ヨシ子が隠していた致死量のジアールを飲み、眠ったのだった。
しかし、葉蔵は死ねなかった。三日三晩眠り続け、ようやく目を覚ました葉蔵の前には、身元引受人とバアのマダムが居たのだった。
いきさつを知った二人は、ヨシ子と別れるように言うのだが、葉蔵はヨシ子と離れることができなかった。だが、ヨシ子は、自分の身代わりになって葉蔵が薬を飲んだのだと思い込んでいた。葉蔵に対しびくびくとした反応を見せるようになったヨシ子を見て、葉蔵はもう昔のような幸せな生活は送れないことを悟り、別れを決意する。
葉蔵はある雪の日、酒を飲んで歩きながら、喀血した。自殺未遂のせいで、体が弱っていたのだ。葉蔵は、近くにある薬屋に入り、そこで薬としてモルヒネを処方してもらう。このモルヒネの効果は絶大であった。これに味をしめてしまった葉蔵は、モルヒネ中毒になってしまう。しかし、葉蔵には金がなかった。何度もツケを繰り返した結果、その額はとても払えない金額となりついには薬屋の女主人と関係を結ぶまでに至る。この状況に耐えきれなくなった葉蔵は、ついに自分の状況を説明し金の無心をする手紙を実家に送る。その結果、身元引受人と堀木が心配して葉蔵のもとにやってきた。二人は葉蔵を車に乗せ、ある施設まで運んだ。葉蔵は、体調が優れないことから、療養所に連れていかれるのだと信じていたが、到着した場所は脳病院であった。今まで、葉蔵は自分の狂気を自覚したことはなく、正常な人間だと信じて生きてきたのだがこれがきっかけで自分は狂った廃人だということを思い知らされる。ここで葉蔵は「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。」と悟る。
その後父が亡くなり、葉蔵は東北に戻った。
そこで葉蔵は、幸せも不幸せもない生活を送る。「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎていきます。」自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。何一つ理解できなかった人間としての生活において、葉蔵は一つだけの真理にたどり着いたのだった。

【感想】この作品の根底のテーマとしては「疑い」があるように感じた。
神であると言われていた天皇が人間であると分かり、信じるものをなくした当時の日本人の心境が反映されているように思える。そのため「信頼は罪なりや」などの表現として出てくるのではないかと思った。
また道化を演じていた自分への疑いもあるように思った。自分は人間として大丈夫かと疑いを持ち続けていた葉蔵。その道化を見破られたときに自分の本心を見透かされる気がして怯えていたのではないかと思った。
さらっと〇〇に犯されていたという表現が入るので驚いた。戦後当時の社会的背景も覗ける作品だった。

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