見出し画像

『1984年』 - 文学に平和を学ぶ

文学に平和を学ぶ

『1984年』 ジョージ・オーウェル著

 1984年は「ビッグブラザーが見ている」世界で、党の外核で情報の改ざんを仕事として生活をする主人公ウィンストンがいつか自由になった世界宛に手紙を書く、という冒頭で始まるディストピア小説である。

ビルマ(現ミャンマー)に住んでいたこともあるジョージ・オーウェル

 1984年の世界では、宗教や神という言葉は言語統制によって人々に忘れられ、人々はテレスクリーンによって監視されている。そして現代の社会でも、哲学者達に「神は死んだ」とまで言われるようになり、オーウェルが警告したテレスクリーンの未来は、スマートフォンによって実現されようとしている。

 この作品の真の主人公は、権力欲そのものである。ビッグブラザーは権力をほしいままにするために、テレスクリーンを設置し、言論統制を行っているのだ。
 作中には、ヒエラルキーの上位2層が権力欲しさに争い、権力が移り変わり続ける、という構図が描かれている。それが今までの歴史だった。あらゆる革命においても、聖職者と貴族、政治家と資本家が権力をめぐり、争い、民衆はそっちのけだった。だからビッグブラザーは、常に党の下っ端を対象に監視体制を整えていた。その社会の仕組みこそが、本作の主人公であり、命題なのである。

階級闘争

 「生きる理由を与えられる」ということは、ある意味では可哀想なことである。1984年の時代においては党の人間であるということ、または現実の例を用いると、ナチ政権のドイツにおいて、アーリア人は生きる理由を与えられた人たちだ。彼らはビッグブラザーの名前を、またはヒトラーの名を声高らかに罵り、崇拝する。彼らは自分は選ばれたんだ、という選民思想に走り、そうでないものを迫害するようになる。
 その「生きる理由を与えられた選ばれし人々」は、権力者の意向によっては、時に「2 + 2 = 5」であると言わなければならないのだ。さもなくば、彼らもまた、迫害の対象になる。

 しかし私たちは外の何者かによって生きる理由を与えられたのではない。私たちに生きる理由はない。だから私たちは生きる意味を見出す自由があるのだ。

ソ連の五カ年計画において、早期達成を扇動するためのプロパガンダとして使用されたポスター
『1984』では「2+2=5」という言葉は権力そのものを表している

 現代の開かれた社会において、「自分が何者か」を決めるのはいつも自分だ。当たり前のことをあたりまえのようにできる、それこそが平和であり、自由なのだ。「2 + 2 = 4」と自信を持って言えることが、自由なのだ。
 「2 + 2 = 5ではなく、2 + 2 = 4」と言える世界を創るために、私たちには何ができるのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?