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展覧会レポート テート美術館展 光 〜ターナー、印象派から現代へ〜 大阪中之島美術館

会期 2023年10月26日(木)〜2024年1月14日(日)

初、大阪中之島美術館。建物の存在感とモダンさに惹かれる。 

2022年2月2日に開館した大阪中之島美術館は、大阪の美術コレクターの山本發次郎が所有していた33点もの佐伯祐三作品を所蔵していることでも有名らしい。1983年に大阪市が近代美術館の設立を構想してからなんと40年近くかかってようやく開館にこぎつけた。

美術館の運営は株式会社朝日ビルディングが作った株式会社大阪中之島ミュージアムが担っている。館長や学芸員は、大阪市博物館機構から出向。民官連携でいいとこ取りを狙う事をPFIって言うんですね。

設計者は建築家の遠藤克彦氏。
コンセプトは「誰でも気軽に自由に訪れることのできる賑わいのあるオープンな屋内空間」金沢21世紀美術館と通づるコンセプト。

最上階の5階にテート美術館展、4階は長沢芦雪の特別展、常設展はなし、と言う規模感。
会場へはエスカレーター(エレベーターは優先者のみのようだった)で上がるのだが、4、5階共に狭い1つのエスカレーターを使って会場まで行くし、チケットチェックも受けるので、長いエスカレーター待ちの列ができていた。

写真撮影不可の作品もあったが、多くの作品は撮影可で自由な感じ。
祝日だったため人は多いが、流れていたし、近代、現代の120点ほどの作品が光をテーマに時代の流れと共にギュッと凝縮された展示でなかなか面白かった。

まず最初の大きな作品 アニッシュ・カプーア イシーの光

作品撮影不可だったけれど、非常に存在感があり、作品の中央部分に照らされた光により、深いエンジ色の表面に映し出された反転した観覧者の姿が目を引く。観覧者たちまでも作品の一部になったようで作者の意図を感じさせられる。

空気までも描く作品が有名なターナーの一風変わった、撮影可だった作品がこちら。

ロイヤル・アカデミー教授時代の講義の教材

ターナーは建築設計の仕事もしていたこともあり、計算された影の部分の図解もわかりやすく描かれている。また、球体に映る反射の教材は、素材による反射の違いも。金属球、透明球、水で半分満たされた球、二つ並んだ透明球などもあった。

ウィリアム・ターナー 湖に沈む夕日
エドワード・バーン=ジョーンズ
 愛と巡礼者

また、ラファエル前派のロセッティに師事し、ウィリアム・モリスとも生涯の友として繋がりのあったバーン=ジョーンズは、元々は聖職者を目指すためにオックスフォード大学にも通っていたらしい。ロセッティに出会い、画家を志すように。この「愛と巡礼者」は完成までに20年を要し、制作途中に心が折れそうになったこともあるとか。

ラファエル前派は、19世紀の産業革命のさなかに、過去に立ち返り自然や宗教を主題とする作品を制作。メンバーだったジョン・エバレット=ミレイの作品

ジョン・エバレット=ミレイ 露に濡れたハリエニシダ

こちらは晩年の作品。ただただ美しく柔らかな風が漂うよう。でも、ミレイといえばやはりこちら。

オフィーリア

ロイヤル・アカデミーに最年少で入学が許可された才能の塊であるだけあって、画力が半端ないなといつ見ても思う。(オフィーリアは今回の展覧会には展示はされていない。)

そして、ラファエル前派の流れを汲んだ絵を描いたジョン・ブレット。
王立天文学会のフェロー(研究者)としても選ばれた彼の描く光は、まさに天文学に基づいたものもあるのだろう爽やかな光。所有する12人乗りのヨットに漂いながら描いた。

ジョン・ブレット ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡

モネ、ピサロ、シスレーなど印象派と呼ばれる人達の作品は、作者自身も屋外でその光に包まれながらその空気や温度まで描く。

ポプラ並木連作シリーズの中の一枚。
意外に大きな作品だった。
クロード・モネ エプト川のポプラ並木

モネは屋外で制作する際は大量のキャンバスを持ち出し、光が陰るとキャンバスを持ち替えて、別の作品を制作した。その時その時の光や影、空気感を捉えて描く。ポプラ並木の連作を制作における有名な逸話は、木の伐採の話が持ち上がった際、制作が終わるまで伐採を延期してもらうためにお金を出したと言うもの。

アルフレッド・シスレー 春の小さな草地

またこの展示室内の中央部分には、草間彌生のミラーでできた作品「去ってゆく冬」も展示。高さ180センチ、80センチ四方の四角いボックスの所々に空いている穴を覗くと、果てしなく広がるミラーの反射は圧巻。

視覚的な感覚を再現することを可能にしたターナーを尊敬していたモホイ=ナジ・ラースロー。写真に可能性を感じ、ドイツのバウハウスの教育にも携わる。教え子の一人である山脇巌の作品の展示も。(撮影不可) 同じくバウハウスで教鞭をとったヨーゼフ・アルバースは、色彩は見る人の知覚に依存すると考えて、陰影をつけずに単純な線で描くことを指導。光の反応による反射屈折錯乱などを探究した作品を制作していった。(撮影不可)(展示内キャプションより)

2016年にモホイ=ナジに初めて出会ったグッゲンハイム美術館で開催されていた大回顧展に行ったことは覚えているのだが、何せ詳細は覚えていない。残念だ。非常に残念だ・・・。

その後にアグネス・マーティンの展覧会もあって、作品集を購入した。彼女の作品を東京都現代美術館でも所蔵してる模様。作品の意図など研究している人から是非話を聞いてみたいものだ。

話がズレたが、次のセクションには室内の光として、ハマスホイ、ウィリアム・ローゼンスタインの作品が展示。

ヴィルヘルム・ハマスホイ 室内
ウィリアム・ローゼンスタイン 母と子

光の描かれ方から、北欧のフェルメールと呼ばれるハマスホイの作品は、静謐であるものの、人が描かれてなくても「なんとなく人の気配がする」不気味さのようなものも感じられる。

ウィリアム・ローゼンスタインが描いた妻と息子。作品に描かれた息子のジョンは、後にテート美術館長を20年以上も勤めることとなり、テート美術館として所縁のある作品である。

現代美術セクションは、非常にビビットな作品が続く。バチェラーのネオンサインのような長方形を堆く積み上げたライトタワー「ブリックレーンのスペクトル」、オプアートと呼ばれる、目の錯覚を引き起こすようなライリーの作品、ピーター・セッジリーのカラーサイクルIII。

ブリジット・ライリー ナタラージャ
ピーター・セッジリー カラーサイクルIII

セッジリーのカラーサイクルはスプレーで描かれた円に照射するライトの色を変えるだけで、画面の色が多様に変わると言う視覚に訴える作品。
スプレーで描かれた絵は全く変わっていないのに、環境(照射する光)が少し変わるだけで、こんなに見え方が変わる。恐ろしいような、勇気をもらうような。ただただ美しく変わっていく様子に見入ってしまう。

そして、今回の展示会でも目玉となっている、デンマーク出身のオラファー・エリアソンの2つのインスタレーション。

黄色vs紫色
星くずの素粒子

黄色vs紫色は、特殊なシートを貼られた円形のアクリル板に色のついていないライトを照射すると、アクリルとシートを透過した光が黄色になり、反射した光が補色の紫(青紫)に。
アクリル板はモーターにより少しずつ回っていき、黄色の円形と紫の円形が壁沿いに少しずつ動いていき、アクリルが光に対して垂直になると、黄色と紫色が重なり、透明になる。

エリアソンは環境問題にも切り込んだインスタレーションなどを手がけており、自然現象(光や動き)による体験により、さまざまな考えを誘発させることをコンセプトとしているようだ。

11月24日に開館する「麻布台ヒルズギャラリー」で「オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」が開催されることもあり、今とても話題なアーティストだとも言える。

「星くずの素粒子」という作品名とは似ても似つかぬほど大きく光り輝くこの作品は、多角形の半透明のアクリルに反射、透過する光と影が刻々と変化していつまでも美しい。
接触(コンタクト)をテーマにし、光や空間、世界とのつながりを感じられる作品とか。

オーディオガイドでこの作品の紹介を聞いた時、宇宙に輝く星が爆発により無くなったあとのチリは、人間を構成する要素の一つとなるというようなことを言っていたような気がする。光り輝く星のような壮大な存在も、いずれは人間の構成要素という身近な存在になることを思うと、手を伸ばしても届かない大きな作品でも、その作品に反射や透過する光や影を網膜を通して知覚し体験することで、作品と作家に近づいたような気になることに繋がっているのかな?とも思った。

そして、私にとって今回の展覧会で一番印象的だった作品は、
ジェームズ・タレル「レイマー、ブルー」


部屋の一面に強烈な青色のライトが漏れ溢れていることで部屋全体が青色に埋め尽くされている空間。ずっとその場に身を置くことで、ただ色や光に集中していく。
パイロット時代の経験からインスピレーションを得たこの作品。青色に染まる部屋を見続けることで、床の黒色のカーペットが、赤色に見えてくる。オーディオガイドから聞こえてくる「この作品には対象も意味も無い。あなたは何を見ているのですか?」の言葉に体がゾクっとする。「あなた自身を見ているのです」と言う最後の言葉に放心する。

六本木の国立新美術館での開催時に展示されていた ペー・ホワイトの「ぶら下がったかけら」の展示が無く残念だったが、近代から現代にかけての光と影、色の見え方はその人の知覚に依存し、実は人によって見え方が違っているかもしれないということは、価値観や考え方と同様に、当たり前のこととして考えなくてはいけないことなのかもしれないなと思った非常に興味深い内容の展覧会だった。

そして、この夜の大阪中之島美術館もなかなか素敵でした。

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