転職、独立、そして離婚-4-

飛び乗った湘南新宿ラインから僕はついに東京という街に降り立った。

やーるぞーぉーー!!とラピュタ発見に闘志を燃やすパズーことシゲくん。

(あこれもなし

僕:「今日からお願いします!!!」

不動産屋さんとして初出社の日、緊張とワクワクとやる気モンモンでその日を迎えた。

妻と子供二人を地方に残し、お金に余裕がなかった僕は、当時成増に一人暮らしをしていた弟の家へ転がり込んだ。

この借りは10倍で返す、だからしばらく住まわせてくれ。という兄の無理なお願いを優しい弟は快く受け入れてくれた。

築30年超の木造アパートの1階、ワンルーム16㎡、3点ユニットのお部屋での兄弟2人生活が同時にスタートした。

宅建のテキストを開き、床に敷いた薄い布団で過ごす冬の夜は隙間風で毎日本当に寒かった。                          ※そんな優しい弟は美人な奥さん(広瀬すず似)と2年前に結婚をし幸せに暮らしている。(結婚式の日に10倍返し


初出社を迎え、僕が一番最初に教わったことは「レインズ」「楽待」「健美家」の使い方。

上司:「シゲくんさ、とりあえず一都三県の一棟収益で利回り10%以上の物件をレインズで探して楽待と健美家にそれ全部掲載して。簡単しょ?」

僕:「わかりました!!」

これが初めて与えられた仕事だった。会社のみんなは優しかったし、歓迎会で飲んでふんどし一丁で匍匐前進をした僕をみんな快く向かい入れてくれた。匍匐前進はみんなを笑顔にするんだとこの時わかった。

僕の不動産屋さんとしての初めての業務は、収益不動産の売買仲介業。

不動産の知識が全くに等しいほどなかった僕だったが、約10年間鍛えられた強靭は体力はあった。その体力と今まで縮めまくっていたやる気というバネのストッパーを解放し日々僕ばスポンジのように新しいことを吸収していった。

ここから先は

2,450字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?