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1つ目の星が生まれた日。川崎フロンターレ2017年J1リーグ初優勝の記憶。

シゲクです。

2017年12月2日、川崎フロンターレは初めてのタイトルを手にしました。幼稚園から大学院の途中まで川崎市民であった私は、そのリーグ優勝の瞬間、友人と共に等々力競技場のスタンドにいました。


川崎フロンターレと私との関わりは、小学生時代にクラブの名前を募集していることを耳にしたことから始まります。その時の私は少年野球チームに所属しており、サッカーには全く関心がありませんでした。ただ、毎年フロンターレの選手たちが近くの商店街の夏祭りに来ていたことを思い出します。

サッカーの試合を本格的に見始めたのは、2002年のワールドカップからでした。修学旅行で訪れた京都で、メキシコvsイタリア戦をみんなで観戦したのを思い出します。日本中を熱狂させたワールドカップは、世界中のスーパースターによる素晴らしいプレーと共に、深く私の心にも刻まれています。

ワールドカップ後は、当時世界最強リーグと言われていたセリエAで活躍していた、「重戦車」の異名を持つヴィエリ選手のファンになりました。毎週のようにヴィエリ選手の凄まじいゴールシーンがテレビで流されていました。

川崎フロンターレの試合観戦に行くようになるのは、中学時代の友人の誘いがきっかけでした。その後、現在一緒に観戦している高校時代の友人と共に試合観戦しています。ちなみに、私が歴代で特に推している選手は、ジュニーニョ選手と大久保選手です。ゴールを決め続ける選手が好きなのかもしれません。

現在は、満員になることが多い等々力競技場ですが、私の中学生時代は学校に無料券が配られていたことを懐かしく思い出します。フロンターレドリルでは学べていない世代です。自分の成長と共に、川崎フロンターレは川崎の象徴として、強いチームになっていった印象があります。


でも、ただ一つだけ足りないものがありました。それは、「優勝」です。いつの間にか「準優勝」が積み重なっていました。


話を2017年12月2日に戻します。この日、友人と2人で、20歳で亡くなった友人のお墓参りをしてから等々力競技場へ向かいました。タクシーで等々力へ向かう最中、3人の母校である高校の前を通ったことを思い出します。

等々力競技場に着いてからは、冬の太陽で照らされた選手たちの練習を見ながら、試合が始まるのを待っていました。その時のスタジアムの雰囲気は、いつも通りでした。

試合が始まると、阿部選手の先制点が鮮やかに決まります。その後もフロンターレは得点を重ね、気付けばスコアは4-0になっていました。

その頃、私は目の前の試合よりもスマホで鹿島アントラーズの試合を見始めます。スコアは0-0でした。海外サッカーでもリーグ優勝が決まる試合では、ファンがスマホで他会場の結果を気にする様子が見られると思いますが、その時は自分でその行動をしていました。

そして、その瞬間はやってきます。

先にアントラーズの試合が終わり、選手たちはピッチに倒れこんでいます。少しだけ早く、心の中で「優勝だ!優勝だ!優勝だ!」と思っていましたが、周りのサポーターや友人は目の前の試合に集中していたので、黙っているのに必死でした。

等々力でも長谷川選手のゴールが決まり、すぐ後に試合が終わります。

優勝の事実を告げられ、飛び跳ねる選手、その場に崩れ落ちる選手、飛び跳ねる子供サポーター、号泣するサポーターなど、本当に嬉しいことが起きた時のいろいろな反応を見ることができました。

すぐに始まった優勝セレモニーを観ながら、友人のテンションはおかしくなっていました。気付けば日が落ち、空にはいくつかの星が輝いていました。


その後に友人と2人で、肉を焼きながら飲んだビールの味は忘れられません。20年以上待ち望み、あれだけ産みの苦しみを味わった1つ目の星が生まれる瞬間は、もう二度と訪れません。あの感動を味わえたことに感謝しています。

2019年10月26日のルヴァンカップの決勝では、初めてのカップ戦でのタイトルが獲れることを期待しています。

今日は、この辺で失礼します。


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