表現の自由というよりかは、誰にどう届けたい、届けるのかの問題 / 2019/09/04 AbemaPrime出演まとめ
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パックン「極論というのは議論の材料として結構役立つんですよ。最近だったら、『島は戦争で取り返すしかない』っていうのがありましたよね。あの人は結構制裁を食らったんですけど、『とはいえなんで戦争しないのか』を考えてもいいんですよ。そこで確認することが出来る。
今回も『韓国なんて要らない』っていう極論から正論にたどり着けばいいかなと思うんですよ。」
自分「理性的な議論ができるのなら僕は全然良いと思う。ただ、感情論が強く出すぎて、逆ヘイトになってしまうような現状があるのも事実かなと思うんですよね。
今誰もが本屋さんで情報を得ることができる。その情報を見たくもない人に届いてしまう状態がある。
だから、情報を届ける側が誰に受け取ってもらうかのチューニングなりをしないといけない話なのかなと思う。
どの受け手にも届けたい思いがあるかもしれないが、そうしたところ今は激しい感情のぶつかり合いにしかならないような現状になっている。」
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自分「紙媒体だと残らないので。ネットなら写真撮って掲載されればあちこちに転載されて消えない。昔は雑誌だけで完結していたのが、流通のタイミングで誰もが接点を持ってしまえている状況がありますよね。」
▼今回の件で思ったことを改めて
表現の自由か?って問われれば、自分自身はかなり嫌なんですが、週刊ポスト自体については「(作り手の)表現の自由」です。
で、それを流通(伝え手の行為)させるかどうか。受け手がもれなく「表現の自由」を受け止められるのであれば問題ないのですが、受け手にも感情があります。あと、見たくないものを見せつけられるというのもあるでしょう。それも受け手の自由なわけで。かつ、受け手が暴走することだってあるでしょう。
なので、伝え手の問題とも言えるかと。
かつて、こんな質問もありました。交通広告も伝え手の一種ですし。
雑誌だとSPAでもこんなことが今年の頭にありました。
前回の愛知トリエンナーレでいうと、津田さんの問題を指摘した話でいえば、津田さんはまさにこの伝え手であり、ここが機能しないと作り手と受け手の架け橋が壊れてしまう。この責は、伝え手にあります。
今回のポストに限らず、書店にいけばこの手の嫌韓いくらでもあります。Y!のコメントも本件についてもみてられるものではない。でも、作り手の発信自体は自由です。だからこそ伝え手に焦点があたるべき。
作ったものが不特定多数に問答無用で伝えられる時代は終わったんです。
作り手はそれを意識しなければならないし、伝え手はより慎重に、そして受け手も、表現の自由とはなにかという理解を深めるべきかと。
クリエイターというわけではないですが、受けた支援は自分のモットー「みんなでしあわせになろうよ」のために使います!