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秋田港発、関西8日間・旅日記(慈照寺の巻)~28年前に感じたこと~

2日目午後 慈照寺の巻

 京都は貴族色が強すぎてそんなに魅力を感じません。面白いと思うのは平安時代初期くらいでしょうか。旅行の計画では早めに兵庫県へ行きゆっくり時間を過ごす予定でした。

 高校時代に登校したのは特殊(養護)支援学校でした。入学当初は年に1回の職業訓練の一環で作業場などの見学をして、秋田県内を1泊2日するのみでした。それが修学旅行とされていましたが、通常の高校は京都・奈良行きの3泊4日が定番でした。

 当時の先輩生徒と教員と父兄が「通常の高校と同じ様に修学旅行は京都へ行きたい!」と言う長年の願いが以前からあり学校長を含め秋田県教育委員会へ強く要望をしていたそうです。

 しかし私が入学した2つ上の先輩たちは初の修学旅行でしたが京都行きは叶えられなく東京行きでした。1つ上の先輩たちも同じく東京でした。

 当時の県立高校の修学旅行での移動は新幹線や特急列車で、飛行機はありませんでした。重度障害者が教師や父兄の支えを借りながら、新幹線を利用しての移動(秋田~京都)は現実的に無理がありました。

 生徒と教員と父兄が3年越しで教育委員会へ飛行機での移動をひたすら要望し続け、ついにその願いが認可されました。今では全国の学校では当たり前ですが、私たちの代が「全国初の飛行機を利用しての修学旅行」となりました。

 修学旅行は2泊3日。行き先は鹿苑寺、慈照寺、清水寺、二条城、嵐山など含めた京都市内が中心でした。生徒、父兄、教員など総勢30数名。半数が電動車いすなど利用した重度障害者である生徒でしたので、身体介助などに少しの気の緩みがあっても、生命に関わる状態だったと思います。勿論、全国に全く事例がないために、手探りで懸命に支えられながらの旅行だった事を今でも良く覚えています。

 通常の高校であれば京都~奈良までの修学旅行ですが、私たちにはそこまで行動範囲を広げる体力がなく難しかったです。当時お世話になった担任の先生は平等院鳳凰堂(宇治市)にも連れて行きたかったそうです。京都市内から先には行けなかった事もあり、それもあり今回の旅行で最初の行き先を平等院にしました。

 慈照寺へは修学旅行で行きました(タイトルの写真1992年9月)ので余り行く気がありませんでした。歴史からしても足利義政に魅力は感じません。  東山文化を広め日本芸術が花開いた時代と承知していますが応仁の乱は嫌いです。ただ修学旅行で教師と父兄が、私たちに日本代表建築を見せたいと言う強い気持ちがあり、今でも懸命に支えてくれた事を覚えていて、当時の光景を思い出しに行きたいと感じました。

銀閣寺2020

 昼過ぎに慈照寺の駐車場へ着き、行く道は急な坂でした。車いすの人が自走する事は難しいと思います。私も休みながら息切れをして総門まで辿り着きました。参拝料金を支払い、懐かしさや趣さを感じるのではなく、久し振りに帰って来た実家のような落ち着く感じ方が非常に不思議でした。

 慈照寺は臨済宗の寺院で、私の先祖が眠る墓と同じ宗派です。和室も書院造りの始まりとされます。余談ですが高校時代にシャープの書院 (ワープロ)を使っていてソフトはジャストシステムの一太郎でした。懐かし過ぎますね。

 話は戻りますが、通常の高校に「障害を持った生徒も無事に修学旅行を終えた」ことが知れ渡り安全性が分かったと聞いています。それから全国の学校へも飛行機での利用が普及し始め浸透したそうです。今では海外行きの修学旅行も当たり前ですが、30年前にこの様な出来事が秋田の小さな学校で、始まった事に殆どの人は知らないはずです。 

 卒業後、暫く経って恩師と呑みに行きました。当時の事を話され「私たちも、あの頃はまだ若く勢いがあったね」と遠目を見ていました。修学旅行の道中に、もしも生徒の身に何かあれば、学校長と先生の首が吹っ飛ぶ覚悟で進めた数年間だったそうです。私はそうとは知らず旅行中は騒いでばっかりでした。

 先生曰く「君たち生徒が行きたいという声が強くあったから出来た事だよ。いくら私たち教師が思っていても、生徒に気持ちがなければつくれないんだよ。だから本当にあの頃は生徒に引っ張てもらえたよ。感謝していますよ。どうもありがとう」。時代はバブルが崩壊した余韻がまだ冷めない勢いがあった事を思い出されました。

 慈照寺を後にして京都市内を車で走らせ、大阪環状線へ乗り神戸市内へ向かいました。運転している最中にサングラスを掛け、サンバイザーを下ろしても西日が強く目に刺さり安全運転に気を使います。何百回と首都高速を走り混雑した交通網は造作に感じませんが、東京とは事情が異なり周りの運転が荒く感じました。

 阪神高速道路、芦屋出口を降りた時は通勤ラッシュの最中で、淡いオレンジ色の神戸タワーが右手に遠く見え、目的地のポートピアホテルに到着したのは18時を過ぎていました。

【3日目 西宮市・芦屋市・異人館編へつづく】

 

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