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敗戦の日

大東亜戦争という言葉を使うと、その時点で右翼確定フラグが立ってしまうのだが、史実として正確を期すなら、あの戦争はそう呼ぶべきだと思う。「あの戦争」と書いておいて、私が生まれたのは終戦後25年経ってからなので「あの」とは自分自身の実体験を指すものではない。

20年ほど前「占守島の戦い」の史実を知った。ポツダム宣言を受諾し降伏した8月15日の後に、ソ連が日本に侵攻しようとしたこと。そしてその侵攻を食い止めるために、日本を守るために戦った勇敢な精鋭部隊がいたこと。その戦いがなければ北海道の半分はソ連の領土になっていたこと。その史実を知って、初めて、戦争というものが「人がたくさん死ぬ悲惨な出来事」という引いた目線から「守るべきもののために命がけで戦かわなければならなかった出来事」という目線に変わった。

戦後の学校教育では、戦争は「国民が巻き込まれるもの」と教えられてきた。そのせいで、戦争に関わらず、主権在民であることを国民は完全に忘れて、為政者が連発する愚策に国民は巻き込まれてきた。巻き込まれたと思うから、当然、選挙なんて行くだけ無駄だと思うし、関心すら持たなくなる。日本国民は、国家と切り離されて、自分のことだけ考えて生きていけば良いとコントロールされて、戦後を生きてきた。戦争を知る人もほぼいなくなろうとしている。

終戦後のサンフランシスコ講和条約で独立を取り戻し、世界第二位の経済大国の位置まで復興を果たした日本。その戦後の歴史も結局は戦勝国アメリカと一部の売国奴のコントロールの下で泳がされていただけだったと思うのは悲しく寂しい。この79年を完全否定することは、自分の人生を否定するようなものだから、そうは思わないのだが、ただ、日本人はもっと怒らなければならないと思う。8月15日は終戦記念日などではなく、今もまだ続いている敗戦確定属国開始日なのだと思う。

私は、大多数の人がそうであるように、平和主義者だし、戦争など絶対にあってはならないと考えている。ただ一方で、人類の歴史が戦争の歴史であることも知っている。非武装国家がどんな酷い目に遭ってきたかを考えれば、国家間のパワーバランスを見極めた巧みな外交と、軍事・エネルギー・食糧の安全保障が必要になることくらい高校生でもわかることなのに、今の日本は、その一つとして必要な対策が取られておらず、まったくおぼつかない。とても残念なこと。

敗戦の日は、国を憂う日。色々なことを改めて考えると、ネガティブな気持ちに沈みがちだけど、あの戦争で、命を懸けて戦ってくれた230万人以上の日本人が守ろうとしたこの日本という国を、自分が見捨てるわけにはいかない。ご先祖様に申し訳が立たないのである。

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