自分の感情を言語化してみる

 年末に友人たちと酒を酌み交わすことが、ここ7年ぐらい慣例になっている。ちなみに友人Oとは中学1年からの付き合いで、友人Kとは高校2年からの付き合いである。OとKの出会いは私含め高校のクラスが一緒だったことがきっかけだ。年末が近づき繁忙期になると、私はこの定例会をモチベーションに仕事に精を出していた。
 だが、今年の定例会はよくなかった。終始、私が友人Oの言動にいらいらしてしまったのだ。申し訳ないとも思うし他人を変えようとするな自分とも思う。何にいらいらしたのかを掘り下げて同じ過ちを繰り返さないようにしたい。
 なににいらついていたのか。今思い浮かぶ言葉は「甘い、浅い」。実家暮らしで30にもなって親のすねをかじり、仕事も定職についていない。「旅行にいくために今の生活をしている。今の目的は旅行に行くこと。」なんで親に自分の寝床を用意してもらって(尻拭いしてもらって)自分の人生を優先してるんだ。順番が違うだろ。旅行とか云々、自分の人生は一度きりだから生きたいように生きるという前にまずは自立しろ。まずは自立してから言え。飯と寝床を用意してもらいながら、自分の人生を生きるとかどんだけ支えられていることに気づいてないんだ?だからか…Oが(私と私の息子のやりとりを見た時に)「やっぱお前は自分が楽しむとかプレイヤーの気質よな。息子との関わり見て思ったわ。」みたいな言葉にカチンときたのか。自分がプレイヤー気質なのは分かる。でも、親の気持ちもわからんお前にその側面だけ切り取って言葉にされたくないわ。今になってふり返ると腹を立てることの程でもないし、いつもの自分なら違うように受け取っていた。が、今回は違った。他にもやりとりはあったが、まとめると、「自分さえよければいい。だって自分の人生やん?」と思っているところに「甘い、浅い」を感じたのだろう。
 なんでOはあんな感じになってしまったのだろう。逆に私はいつからそんな考えをする人を受け付けなくなってしまったのだろう。Oの経緯を考えてもOの人生なのでOが思うように生きればいいと思う。私としては自分の考えが絶対ではないし、自分と違う考えを排除していくような人間になりたくない。受け入れることを大切に今年も歩みたい。
 自分の器の小ささを感じる。くぅー。
 

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