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私が顔面に150万円課金した話。


いきなりショッキングなタイトルだが、
整形した過去がある、という訳ではない。
じゃあ何に150万円もかけたんだっていう話なのだが、まあそこは一旦置いておいて。

昔、私がまだ幼いころは両親に「可愛い」と言って育てられていた。
今もそのスタンスは変わらない。
自尊心はそのままに小学生になったのだが、勉強していないくせに成績が良くて鼻持ちならない態度だったので(多分)軽いいじめに遭っていた。
その時から散々ブス扱い(ばい菌扱い)されていたせいで、
鏡を見ても自分の顔を認識することが出来なくなってしまった。

病院に行ったわけでもなく、両親に言ったことも無いので知らないと思うが
その時から顔面コンプレックスがひどくなった。
コンプレックスを植え付けられてしまったようだ。

私なんか……と思っていたから、初体験も適当に済ませたし
(今だったらもっと大事にしろと言いたい)
ハードなダイエットもした。

そのうちいいお仲間や年上の友人に恵まれ、容姿のコンプレックスは薄れていったが、それでも綺麗になりたいという欲は募っていった。

そこで私が「整形」という手段を使わなかったのは
第一にパーツを変えたところで簡単に綺麗になれるとは思わなかった。
という理由がある。
二重瞼にしたら綺麗なのか?
唇が小さければ美人なのか?
(ちなみに私が二十歳くらいの頃、今から三十年近く前は唇は薄くて小さいのが美人だったのだよ)

考えた結果、美には流行があるはずだから、固定されてしまうと年を取った時に困るだろうという結論に至った。
(結果その考えは正しかったわけだが)

という訳で、思い至って27歳の時に社会人をしつつメイクの専門学校の扉を叩いた。
先生は皆若く、最年少だと21歳の先生もいたのだが、優しかったし時に厳しく指導してもらえた。現場も出来るだけ参加して楽しかった。

メイクの専門学校に通うと、相モデルとして生徒同士がお互いにメイクをしあうという授業になる。
顔を分析し、良いところを伸ばして、なりたいイメージに合いにくいところ(欠点ではなく特徴である)を分析してメイクする。
毎回お互いに褒め合うので、自分の長所が磨かれていく。

私は眉の生え方、唇のボリュームと形、まつ毛の長さ、肌のきめなどを褒められた。私も相手の良いところを即時言えるようにトレーニングを積んだ。

口から出る言葉は主語を持たない。
という話を聞いたことは無いだろうか?

○○は綺麗。
○○は可愛い。
○○は美しい。

ポジティブな言葉は誰に向けられたものであっても、自分の心に蓄積していく。
反対にネガティブな言葉も蓄積していく。

そんなこんなで通算5年ほどメイクの学校に通い、
私はすっかり綺麗な人になることが出来た。
これも美しい言葉のシャワーを浴びたからだと思うのだ。


学校に通うために大枚をはたいたが、自分も人も綺麗にすることが出来る技術を得たので、満足している。


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