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最近の小児の感染症の動向について

はじめに

 5月以降、小児の感染症が増加していると言われています。報道では「新型コロナウイルス感染症対策のため免疫力が落ちたからだ」という論調がありますが、実際どういう意味で免疫力と言っているのか明確ではありません。集団免疫が低下したということなのでしょうか、それともマスク等で免疫そのものが全般的に機能低下しているという趣旨なのでしょうか。新型コロナウイルス感染によって、免疫が変容したということなのでしょうか。

 「免疫力」「免疫が低下」といった言葉は、学問の場では専門家はあまり使いません。免疫システムは複雑なシステムなので、「免疫力」「免疫が低下」「免疫を強化」などと単純にひとくくりの言葉で語ることは難しく、使用する場合は個々の状況を具体的に述べることが多いと思います。たとえば「○○ウイルスに曝露する機会が減り、抗体濃度が低下し、○○ウイルスに感染しやすくなっている」「△△に感染する人が減ったため、感染が伝播しやすくなっている=△△に対する集団免疫が低下している」「化学療法により好中球が減少したため、細菌・真菌に感染しやすくなっている」などのようにいいます。

 そもそも、免疫はそんなにやわなものではありません。多少抗体が落ちてもメモリー細胞というものがあり、すぐ思い出して抗体をつくります。メモリーが確立されていない年少児は例外かもしれません(RSウイルスところで少し述べますが、感染の経験がない場合は抗体産生や細胞性免疫が反応するのに時間がかかります)。

集団免疫について

 おそらくメディアは集団免疫のことを中心に言っていると仮定して、集団免疫について少し述べます。人口の一定割合以上の人が免疫を持つと、感染者が出ても他の人に感染しにくくなり流行しなくなります。この状態を集団免疫といいます。

↓の図を見てください
(出展:厚労省 https://cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0019.html
左のように免疫を持たない人(赤)が多いと感染が広がりやすくなります。右のように多くの人が免疫を持つと(青)、防壁となり感染は広がりにくくなり、免疫を持たない人も間接的に守られます。集団免疫によりワクチン接種できない人も守ることができます。妊娠中は風疹ワクチンを接種できませんが、家族やコミュニティの人々が風疹ワクチンを打てば妊婦さんへの感染を予防できます。この考え方を繭(コクーン)のように弱い人々を守るという意味でコクーニングと呼びます。

集団免疫

 集団免疫が成立するために必要な免疫を持つ人の割合は、感染症の種類やワクチンの効果によって異なります。集団免疫に影響を与える因子は、感染力、感染やワクチンによりできる抗体の量や持続時間、好発年齢、ワクチンの効果、流行株の変化、変異株の出現など様々です。麻疹は非常に感染力が強いため、95%の人が免疫を有していないと感染が拡大します。風疹は85%以上とされています。年により血清型が変わるインフルエンザや、ウイルスが変わる手足口病、ヘルパンギーナなどは集団免疫が成立しにくいでしょう。抗体が短期で低下するような場合も集団免疫が成立しにくいです。風邪は毎年のように罹りますが、これは風邪を引き起こす種々のウイルスに対する抗体が、短期間で低下する場合が多いからです。ワクチンによって集団免疫が増強されることもあります。後述しますが、小児へのインフルエンザワクチン接種で高齢者の死亡率が下がります。

 これを新型コロナウイルス感染症にあてはめてみると・・
✔感染力が強い
✔変異が多い→特に感染予防に対する抗体の効力が低下
✔感染による抗体産生が弱い
✔抗体の持続が短い(細胞性免疫の持続→重症化予防の効果は、感染予防に関与する抗体の持続時間よりかなり長いですが)
などから集団免疫が成立しにくいと思われます

 ある集団で免疫を高めると他の特定の集団に対して集団免疫の効果がでる例もあります。たとえば下記のような例があります。
✔子どもに肺炎球菌ワクチン・ロタワクチン
→予防接種してない成人・年長児の入院を減らす
✔学童にインフルエンザワクチン
→高齢者の感染と死亡率を減らす
✔男性へのHPVワクチン
→女性の感染を減らす

今年の小児の感染症の傾向は?

 さて、やっと本題の感染症です。インフルエンザ、ヘルパンギーナ、RSウイルスなどの流行が重なったために、小児医療の逼迫をきたす事態となりました。国立感染症研究所2023年第26週(6月26日〜7月2日)感染症週報に掲載されている各種感染症のグラフをもとに話を進めていきます。図を見ながらお読みください。↓リンクは引用元です。

https://www.niid.go.jp/niid/images/idsc/idwr/IDWR2023/idwr2023-26.pdf

Ⅰ インフルエンザ

 まずインフルエンザです8月となったいまでもインフルエンザ患者は報告されており、例年になく長引いています。「インフルエンザは低温・乾燥の時期に流行でしょ」「夏に流行るなんて」と思われるかもしれませんが、熱帯では多湿な雨季に流行します。雨が多いと室内(閉鎖空間)で密集して活動することが多いので流行しやすいようです。実際近年は、沖縄などで夏の流行が起こっています。特定の条件下では、いつもと違う時期に流行してもおかしくないということを覚えておいてください。

 ↓の図を見てください。インフルエンザは新型コロナウイルス感染症蔓延期にはほとんど見られませんでした。今年になって下図の1~3月には赤線のように小さな流行を示しましたが、例年よりは少ないです。もし「マスク等感染対策により集団免疫が低下」したのであれば、この時期に大流行してもおかしくありません。インフルエンザワクチンの供給量、使用量もここ最近は増えており、多少の減少はあったとしても大きいものではなさそうです(↓インフルエンザワクチン供給・使用量の図参照)。
 その一方で、5月以降は例年より多い傾向にあり、遷延しています。図の右上、拡大した部分を見てくださるとわかります。学校で運動会などの集団活動をきっかけに多くの感染者が発生したことは、まだみなさんの記憶に新しいと思います。それではなぜ一部で集団感染が発生したのか。このような場合は集団免疫の低下の影響というよりも、局所における特定の条件がより強く影響した可能性が高かったと推測します。GW以降といえば、感染対策が様々な場面で撤廃された頃ですね。特に学校では、それに集団での活動が重なって、集団感染が一部で起こったと考えます。この時期はワクチンの効果が低下しているので、その影響もあったかもしれませんが、少なくとも感染対策による免疫の低下とは言えないと思います。

インフルエンザ
インフルエンザワクチン供給・使用量
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000982566.pdf

 ただし、ここで注意すべきことがあります。統計からは相関はわかるが、因果関係は証明できないということです。その限界を認識したうえで解釈しないといけません。現状を解析した論文が出ることを期待します。参考ですが、マスクに関する有名な論文を掲載しておきます(これはインフルエンザではなくCOVID-19に関するものです)。マサチューセッツ州では2022年2月に公立学校では一律にマスクを着用する政策方針を撤回して、学区ごとにルールを選択できるようにしたが、早期にマスク着用義務を撤回した地区ほどCOVID-19患者数が多かったというものです。

Ⅱ RSウイルス感染症

 RSウイルス感染症はどうでしょうか。新型コロナウイルスパンデミックの初期では、リモートワークも含めた行動制限が強く行われました。そのためか下図のように2020年にはRSウイルス感染症はほとんど発生しませんでしたが、2021年には大流行しています。しかも流行期が早くなっています。

 RSウイルス感染症に罹っても抗体は長く保有できないため、何度も感染を繰り返しますし、集団免疫は成立しにくいであろうと思われます。しかしながら、感染を繰り返すとともに徐々に症状は軽くなります。抗体がすぐに下がるとしても、二回目の感染以降は免疫応答が速くなり、抗体はすばやく産生されますし、細胞性免疫も迅速に働きます。成人ではまさにただの鼻かぜです。RSウイルス感染症は、免疫のメモリが確立しておらず、呼吸の予備能力が低く気道が狭窄しやすい乳児で重症化しやすい疾患です。

 では2021年は?2020年にほとんど流行しなかったために、初感染を受けていない、あるいは経験が少ない乳幼児がかなり多くなったことが推測されます。それに保育所を利用した乳幼児がパンデミック初期よりは増えたこと、保育所での感染対策の難しさ(マスクができない、距離が近いなど)、飛沫により感染すること、感染力が強いことなどが加わって流行したものと思われます。そんなわけで、RSの場合は主な感染集団である乳幼児の免疫獲得の機会の減少が関与した可能性はあると思います。

RSウイルス感染症

Ⅲ その他感染症

 それでは他の感染症は?コロナパンデミックの2020年~2022年には、ヘルパンギーナ、咽頭結膜熱、溶連菌感染症、手足口病、感染性胃腸炎など各種感染症は減少していましたが、アルコール消毒に強いノンエンベロープウイルスであるアデノやノロウイルスはそれなりに流行が見られました。
 今年は咽頭結膜熱、溶連菌感染症、感染性胃腸炎は2020~22年よりは流行していますが、少なめか例年と同程度であり、ヘルパンギーナのように激増しているわけではありません。また手足口病はむしろ少ないようです。ただし、咽頭結膜熱はこれから増えるかもしれません。

咽頭結膜熱・溶連菌感染症・手足口病・感染性胃腸炎

 問題はヘルパンギーナです。例年にない激増ぶりで、しかもRS流行と時期が重なったため、小児医療の逼迫を起こしています。ただ↓のように年別のヘルパンギーナ患者から分離されたウイルスはかなり異なるため、集団免疫云々では単純に説明がつきません。感染対策の撤廃による感染機会の増加が主な原因と思われますが、それだけでこの激増を説明できるわけではありません。ウイルス自体の感染性の増加?それともコロナウイルス感染による免疫の変容?気候の影響?今のところわからないというのが正直なところです。今後のデータを待って、また考えてみたいと思います。

ヘルパンギーナ
年別のヘルパンギーナ患者から分離されたウイルス

おわりに

 ここまで読んでくださったみなさんは、「免疫力の低下」で単純に説明できないことがお分かりいただけたと思います。とはいえ、私も十分に説明できているわけではなく、わからない点は多いです。今後でデータにより明らかになっていくことを期待します。

以上です。








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