静岡県の国宝(建造物)の探訪録
今年の8月末から、大型の台風10号が関西に上陸している中、弾丸で中部地方の内、5県の国宝の建造物を探訪してきましたので備忘録を書いていきます。
まずは静岡県の唯一の国宝、久能山東照宮です。
久能山東照宮は、徳川家康の生前の命により死去後に遺骸を久能山に葬り、その後に建立したものです。遺言では、1周忌後に日光に分霊して堂を建てろとしています。したがって、今でも家康の遺骸が久能山にあるのか日光にあるのか論争があるようです。
久能山は静岡市の南端、太平洋近くにある200mほどの山で、北側にある日本平からロープウェイで下るか、南側から石段を登るしか選択肢はありません。探訪時には雨がやんでいたので登山の選択をしましたが、運動不足の自分には完全に間違いでした。
参拝料を納め、さらに石段を上がると最初に現れるのが1617年の建立の国指定重要文化財、楼門です。江戸初期ということで彫刻は非常に控えめで、定期的にメンテナンスされている塗装でメリハリをつけています。写真は裏側で、向う側が石段になっています。
はい、すぐに豪雨タイムに突入です。1618年建立の重要文化財、鼓楼です。もともとは鐘楼だったのですが明治期の廃仏毀釈によって釣鐘が外されたものです。複雑な詰組と派手なペイントが豪雨によって台無しです。
1617年に建立された重文、唐門です。かなり凝った彫刻がなされていますが、雨で台無し。社殿にはここから入れず、迂回します。
唐門の右の階段を進むと日枝神社があります。もともとは薬師堂であったものを、やはり廃仏毀釈により神社に改められました。彫刻も施されていますが、比較的さっぱりした様相です。1618年に建立された重文です。
日枝神社の脇には1617年に建立された神楽殿があります。実はこれを含めて境内に重文である神厩、神饌所、神庫、そして家康が眠っているという霊廟などの重文も狭い山腹の境内にあるのですが、とにかくひどい豪雨で良い写真が撮影できませんでした。
東門と透塀です。1618年に建立された重文です。ここから国宝領域です。
1617年に建立された国宝、久能山東照宮の拝殿です。
本殿、本殿と拝殿を繋ぐ石の間です。これらが一体となっている建築様式を権現造といい、これらも国宝となっています。
江戸中期以降になると彫り物が素晴しく進歩する一方、こちらは書き込みによって派手さを演出しています。ここより10年後に建立された上野東照宮もさっぱりしつつも金ピカ加減では上をいっていますが、やはり家康の濃度が特段高い久能山が国宝指定受けるのは当然なんでしょうね。
帰りは雨がやんでいたのですが、石段はツルッツルで地獄の下り坂でした。
しかし、ロープウェイができるまではこれより悪路の参道を通じて資材を運び、人が頻繁に行き来したのですから、こんなことでヒーヒー言っているのは情けない限りです。