ぼくは友人の男らしさに遭遇する

 ぼくは彼女と一緒にいる時、知り合いに遭遇することがある。しょっちゅうってわけじゃない。たまにだ。でもそれがぼくには苦行でたまらない。自己分析すると、ノンケを演じている姿を見られるのが嫌だってことなんだろうな。本来なら心を許しているべき相手(たとえばサークルの連中とか)にも自分は嘘をついている、ああ自分は本当の意味では誰にも心を開いていない孤独な人間なんだ、って自覚してしまうのが嫌だってことなんだろう。学校帰りに由梨と一緒にご飯を食べる時、帰り道とは反対なのにぼくがわざわざ吉祥寺まで出向くことが多いのは、吉祥寺だと知り合いに会う心配がないからだ。新宿や中野や渋谷や横浜においてでさえ遭遇したことがあるのに、ぼくは吉祥寺では知り合いに遭遇したことがない。吉祥寺にいる限り、ぼくは死ぬまでぼくの知り合いに会わずに済む気がする。

 そういうわけで、ぼくと由梨は、ぼくの大学やぼくの大学の最寄り駅周辺ではあまり会わない。「あまり」ということは、会うこともある。それは、「明日は(ぼくの大学の最寄り駅名)でご飯にしよっか?」という由梨からの誘いにぼくが断る適当な理由を思いつけなかったような時で、そういう時はぼくは由梨をぼくの知っているお店に連れていく。由梨はぼくのことが大好きで大好きでたまらないから(はいここ嫉妬するところです)、ぼくの「匂い」がする場所に行きたがるんだ(本人談)。まあ、ぼくの交通費とぼくの時間への気遣いもあるんだろうけど、正直ありがた迷惑である。とはいえ、ぼくらがぼくの大学の近くで一緒にご飯を食べたからといって、ぼくは必ず知り合いに遭遇するわけじゃない。というか、会わない場合がほとんどだ。ただ、遭遇する確率は吉祥寺にいる時よりは格段と高くなる。

 あの日、ぼくと由梨がぼくの大学の近くのスパゲッティ屋さんで晩ご飯を食べていると、河村と吉田がお店に入ってきた。ぼくの所属する放送サークルの学年差カップルだ。河村というのはぼくと同期の男で、サークルの現会長で、ざっくばらんな性格のやつである。ぼくと目が合った河村は「よう、(ぼくの下の名前)」ってぼくに一応声をかけたけど、リアクションを確認するとすぐに目を逸らして、案内された席のほうへきまり悪そうに向かっていった。自分が彼女と一緒にいるところをぼくに見られて面倒くさいって感じだった。ぼくとしては河村のこの反応は意外ではなかった。

 「有害な男らしさ」とまでは言わないが、河村は、「男は男らしく」っぽい価値観を自分の中に抱えているタイプの男だ。「そこは男としてさ……」みたいな話をぼくにしてきたこともある。人情味のあるやつだし、頼りになるやつでもあるんだが、ぼくとしては河村のそういうところは嫌いだったりする。実際、男だけで部室で雑談している時の河村と、そこに彼女がやってきた時の河村とでは、有機体としては同じ河村なんだけど、ちょっと雰囲気が変わる。後者では無理してカッコつけてるっていうか、「男らしい」彼氏を演じているっていうか。そしてそれは、彼女を前にするとそうなるっていうよりも、あくまでも目の前のぼくらを意識しての演技だと感じる。「ギャラリーの男どもがおれを見ているぞ。おれは『男らしく』振る舞う彼氏キャラを演じなきゃ」っていう。ただ、ぼくが自分がゲイであることをどうしようもないのと同じように、河村は河村で、「男らしさ」の呪縛ってやつから逃れられないでいるのかもしれなかった。

 もちろん、ぼくのこの考え方はピントが外れている。性的指向は変化できないし変化を試みられるべきでもないが、「男は男らしくしろ」という価値観は修正できるし修正されて然るべきだ。ぼくはその点について異論を認めない。しかしぼくは、「男は男らしく」って価値観に染まっているっていう、ただそれだけの理由で河村という人間を否定する気にはなれない。だって、明らかに河村は無理している。彼女と一緒のところを見られて無理している。カッコつけて、「男らしく」振る舞わないとって無理している。はっきり言ってかわいそうだ。ノンケを演じるゲイとどっちがかわいそうかは不明だが、河村もそれなりにかわいそうだ。そいつらに関わる女性の存在を無視してこんな呑気なことを言えているのは、ぼくがシスジェンダーの男性であるからにすぎないのかもしれない。しかし、人間が無理して「自分」を演じるのには何らかの事情や背景だってあるはずだ。きっと。

 スパゲッティ屋さんでぼくと由梨は食事を終える。もう一杯お水を頼んでもっと居座ることもできたけど、ぼくはなんとなくその場を早く立ち去りたかった。由梨に「……じゃあそろそろ行こうか」と言う。席を立ってお店を出る時、ぼくは河村と吉田の座っているテーブルをチラッと見た。二人はぼくらが帰るのに気付いていないようすで、あるいは気付いていないふりをしていただけかもしれないけど、どっちにせよぼくとは目が合わなかった。ぼくはわざわざ河村たちに別れの挨拶をしに行ったりなんかしないで、そのままレジでお会計を済ませてお店を出た。それは河村と吉田の二人きりの時間に水を差したくなかったからとかじゃなく、「男らしい」彼氏を無理して演じなきゃならない河村の姿をぼくが見たくなかったからだ。

 帰り道、ぼくは由梨から「あの子(河村)とあんまり仲よくないの?」と聞かれた。ぼくが河村に挨拶せずにお店を出て行ったから、それでそう思ったらしい。ぼくは「いや、仲はいいよ」と答えた。そう、仲はいいんだ。河村はぼくがサークルに入って最初に話した同期だ。最初にLINEを交換して、最初にぼくがメッセージを送ったサークル部員でもある。サークル内でのお互いの立場上ちょっと距離ができた時期もあったけど、でも顔を合わせたらいつもふつうに友達として語り合ってきた。ぼくは河村の一人暮らしのマンションに何度も泊まらせてもらっているし、外部イベントの顔合わせの飲み会(青年会議所のひとたちがめっちゃ飲ませてきたやつ)で河村が酔い潰れた時はそのマンションまでタクシーで運んで介抱してやったこともある。ぼくは河村がぼくらの代の会長で本当によかったと思っている。ぼくが退部届を出した時に河村が「いや、これは受け取れない」って言って突き返してくれたから、ぼくはなんだかんだでいまもこうやって生きているわけだし。いや、ここで河村とのエピソードのすべてを書くつもりはないけどさ。由梨と二人で並んで歩きながら、ぼくは「ほら……気まずいじゃん? 二人でいるところ知り合いに見られたらさ」と釈明する。由梨が眉をひそめて言う。「そうかな? わたしは自分の好きなひと同士が仲よくなるのうれしいけどな。家族にも(ぼくの名前)くんのこと紹介したいし」。おいおい、新たな問題を増やさないでくれ。マジで心臓止まるかと思った。

 由梨と京浜東北線の車内で別れ、帰宅してスマホを取り出す。LINEを起動してみる。河村慎太郎。トーク画面を開く。「今日は気まずかったね!笑」と文字を打ち込む。そこまでしておいて、結局、ぼくは河村にメッセージを送るのをやめた。そんなメッセージを送ったら、ぼくと河村は「友達」じゃなくてただの「知り合い」になってしまう。サークルが同じで、同学年で、一緒にお酒を飲んだことがあって、ご自宅にお邪魔したことがある関係。まあ、そこまでいったら十分「友達」と呼んで構わないだろうけど、でも、ぼくと河村の関係はもうちょっと突っ込んだ深いところにある。たとえば、出された退部届を「いや、これは受け取れない」って突き返したりするような深いところに。あの時の河村はぼくの立場と心境を完全に分かってくれていた。ぼくが本当はサークルを退部したくないのに、自分で自分を勝手に追い詰めて退部届を書いちゃっただけなんだってことを。

 結局、人間というものは常に何らかの役柄を演じているだけの生き物なのかもしれない。レポートのファイル形式に厳格な教員だったり、課題の多さを友達に愚痴る学生だったり、少子化対策を重視する総理大臣だったり、子分を大切にする暴力団組長だったり、彼女を気遣うノンケの男だったり、恋人に対して「男らしい」彼氏だったり。そういう役柄を演じなきゃ自分の立場が成り立たないと思って、勝手にそう思い込んで、対外的にそれっぽく演じているだけなのかもしれない。でも、音声ドラマの制作者として言わせてもらうが、河村の「男らしい」彼氏役は全然ハマリ役じゃない。河村にはもっと似合った役がある。ぼくはドラマ作品の作り手として、いや、一人の友人としてそれを知っている。もし今度河村が「男としてさ……」みたいな話を振ってきたときは、「男とか女とかは関係ないと思うよ」と返してみるつもりだ。それでどうなるってわけじゃないかもしれないけど、でも、その役回りはきっとぼくにお似合いだと思うから。

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