ぼくの自転車が壊れる

 ぼくの自転車が壊れる。ぼくは自転車を日常的に使っている。小学1年生の時に自転車に乗れるようになって以来、ほぼ毎日、自転車に乗っていると言っていい。小学校と中学校は近所だったので徒歩で通学していたが、高校からは通学時に自転車を使うようになった。といっても、学校まで直接自転車で行くわけじゃなくて、自宅の近くの駅まで走らせて、駅前の駐輪場に停めて、そこから先は電車に乗るわけですけどね。

 ぼくがいま乗っている自転車はぼく史上三代目か四代目の自転車で、高校入学のタイミングで親に買ってもらった。もうそろそろ使って6年になる。フレームの色は黒寄りの紺色で、前方に大きめのカゴが付いている。鍵は後ろに付いていて、ちゃんと防犯登録をしてある。

 ぼくはこの自転車を気に入っている。駅へ向かう時はもちろん、自転車で行ける距離だったら、だいたいどこへ行くにもぼくはこいつに乗って行く。大田区から橋を渡って川崎市にもこの自転車で行ったことがある。この自転車はぼくの日常生活に欠かせない。ぼくの「相棒」だ。

 先日、その「相棒」が壊れた。左のペダル(足で踏むところ)が半分ぐらいボロッと欠けてしまったのである。いつもぼくは自転車を猛スピードで漕いでいるから、それでペダルに負荷がかかってボロっとなってしまったのかもしれない。たしかに、この自転車にはもう6年も乗っているからなあ。しかも、ただ「乗っている」のではない。「酷使している」。そりゃあ壊れるのもしょうがないよな。そういえば最近、チェーンの部分がカチャカチャと音が鳴ることもあるし、前カゴの塗装も少し剝がれてきた。満6歳。猫だったら中年期に差しかかろうというお年頃だ。

 近所……というほど近所でもないが、自転車で15分の距離にある自転車屋さんへ修理に持っていく。オリンピック下丸子店の一階に入っている自転車屋さん、「サイクルオリンピック下丸子」である。ぼくは以前、タイヤがパンクした時にここで修理してもらったことがあって、それ以来、ぼくは自転車のことで何かあったらここに行くことに決めているのだ。

 店員さんに「左のペダルが欠けてしまって……」と伝えて、だいたいの費用を教えてもらって、必要書類に氏名と連絡先(携帯電話番号)を書いて、修理してもらうことにする。「20分後にまた来てください」と言われたので、中途半端な時間だなあと思いながら、時間を潰すことにする。

 とりあえずエスカレーターで2階へ上がって家庭用品コーナーをウロウロしていたら、スマホに電話がかかってきた。知らない番号なので無視する。電話番号をGoogle検索したら「サイクルオリンピック下丸子」と出てきた。おや、もう修理が終わったのか。まだ5分しか経ってないけど。仕事が早いな、サイクルオリンピック下丸子。電話をかけ直すのは二度手間に感じたので(電話代ももったいないし)、エスカレーターで1階へ下りる。

 「あ、(ぼくの名字)ですけど……」と店員さんに名乗ったら、店員さんが意味ありげな顔でぼくに話をしてきた。「このペダル部分なんですが、ネジの部分からイカレていて、根っこから取り換える必要があります。しかし同じ色のペダルは在庫が切れていて、取り寄せになってしまいます。違う色のペダルでよければ今日中に交換できるんですが。どうします?」(要約)とのことだった。

 ぼくは物事の変化を怖れる人間である。自転車のペダルの色が変わることすら耐え難い。しかし、ぼくはこの日の晩にバイト(コンビニ夜勤)が入っていて、自転車に乗ってバイト先へ向かうつもりだった。やむを得まい。ぼくは「……あ、じゃあ、違う色のペダルで大丈夫です」とお伝えする。「では20分後にまた来てください」と言われたので、ぼくは再びエスカレーターを上って2階の衣類コーナーやスポーツ用品コーナーをウロウロし、「やっぱりペダルの色が変わっちゃうのは嫌だなあ……『やっぱり同じ色のやつを取り寄せてください』と言いに行こうか……でも今さら遅いよなあ……どうでもいいけどスポーツウェアって高いんだなあ……」などと思いながら時間が経つのを待った(余計なお金は使いたくなかったのでフードコートへは行きませんでした)。

 20分後。エスカレーターで1階へ下り、「サイクルオリンピック下丸子」へ自転車を迎えに行く。たしかにペダルの色が変わっているが、まったく悪目立ちしていない。むしろすんなり溶け込んでいる。なんなら以前よりかっこよくなったかも。よかったよかった!

 お会計を済ませて、「ありがとうございました」と大声で告げる(ぼくはお店を出る時に「ごちそうさまでした」とか「ありがとうございました」とか礼儀正しく言うタイプです)。リニューアル済みの自転車に乗って自宅へ向かいながら、ぼくは2年11か月前の出来事を思い出していた。

 2年11か月前。ぼくは大学に入りたての新1年生だった。学校帰り、JR蒲田駅前駐輪場から自転車を取り出して外へ出ると、たまたま楢崎(地元の友人)が歩いているのを見かけた。どうやら楢崎も学校帰りのようだ。ぼくは楢崎に声をかけ、自転車を押しながら並んで歩く。お互いの大学の様子などを話していたら、これまた偶然、向こうから藤井(中学時代の同級生)が歩いてくるのが目に入った。

 ぼくらが「藤井くん!」と声をかけると、藤井は穏やかな笑顔でぼくらに「やあ」と反応してきた。藤井は高校卒業後にITインフラ系の会社に就職して、いまから夜勤に向かうところらしい。藤井は急いでいるわけではないようで、ぼくらはその場でちょっと立ち話をする。すると、藤井がぼくの自転車をチラッと見て、「結構、ほこりが付いちゃっているね。たまにはメンテナンスしてあげないと自転車がかわいそうだよ」と言ってきた。ぼくには「自転車をメンテナンスする」という発想がそれまでなかったので、そう言われて少しびっくりした。

 ──それがいまから2年11か月前のことである。ぼくは藤井から直接指摘されたにもかかわらず、結局、その後も「自転車のメンテナンス」をしてこなかった。自転車の調子がものすごく悪くなった時にサイクルオリンピック下丸子店に行って修理してもらうだけである。乗るだけ乗って、酷使するだけ酷使して、自転車の普段の状態にまったく気を払っていない。こいつはぼくの「相棒」だっていうのに。

 借りていた本を図書館に返しに行ったあと、自宅マンションの駐輪場に自転車を停めて、ぼくは自分の自転車を眺めた。ペダルは色違いの新品に交換されているが、フレームに付いたほこりや汚れはそのままだ。たしかに、これじゃあ自転車がかわいそうだ。

 よし、メンテナンスってやつをしてみるか。ぼくはリュックサックに入れてあるウェットティッシュを取り出し、自転車のフレームに付いているほこりや汚れを拭き取る。この程度の拭き掃除を「メンテナンス」とは呼ばないだろうし、駐輪場の監視カメラにはまるでぼくが他人の自転車にいたずらしているように映っているかもしれないが、そんなことは関係ない。ぼくは人生で初めて自転車を気遣ってあげているのだ。ほんの少しだけどね。

 ……まあ、こんなもんか。自転車の汚れを一通り拭き終え、黒くなったウェットティッシュを握りながら帰宅する。いやあ、今回は自転車が壊れて大変だったな。修理代として余計な出費が生じたし。……と思ったが、ちょっと待てよ。今回の一件は「自転車が壊れた」というより「ぼくが自転車を壊した」という話だったのではないだろうか。自転車は自然に故障したわけではない。ぼくに酷使されて故障したのだ。ぼくが注意を払っていれば、もしかしたら今回の故障も防げたかもしれない。ああ、反省しなければ。これからはこの自転車を定期的にメンテナンスし、大切に扱うことにしよう。……と、ぼくはこの時決意したのだった。

 もっとも、決意と行動は別物である。その後、ぼくは自分の自転車のために何にもやってない。改めての拭き掃除すらやっていない。ただ、自転車に感謝するようにはなった。自転車に乗って帰宅して、マンションの駐輪場に停める時には「今日も一日ご苦労な、相棒」などと思うようになった。さすがに声に出して自転車に話しかけたりはしませんけどね。ぼくはそこまでイカレちゃいません。

 ぼくの自転車が壊れる。いや、ぼくは自転車を壊す。ぼくの足となって日々走ってくれている我が自転車(名前はまだない)に、ぼくはこの場を借りて感謝を申し上げたい。そしてこの6年間、注意を払ってこなかったことをお詫び申し上げたい。自転車の平均寿命が何年なのかは知らないが、ぼくはこの「相棒」と長く付き合っていくつもりだ。そのためには、とりあえず自転車を猛スピードで漕ぐのをやめないとな。時間ギリギリに家を出るのをやめて、余裕を持って行動するようにしないと。してみると、ぼくが自転車を壊したのは、自分自身の生活態度に注意を払ってこなかった結果なのかもしれない。「生活の乱れは心の乱れ」、「自転車の乱れは心の乱れ」だ。

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