フィンランドの旅vol.2:学校の壁
私は、学校とユースワークとの間に高い壁を感じている。
僕らのフィンランド派遣は、ヘイキさんの衝撃の一言からの始まりだった。
※ヘイキ(Heikki Vuojakoski)さんはYOUTH ACADEMY「NUORTEN AKATEMIA」(https://www.nuortenakatemia.fi/en/)の偉い人である。笑
事前研修で、フィンランドの教育では様々な教育機関が連携できていて、垣根のないネットワークがそこにあると思っていた僕にとって、(あくまでヘイキさんの意見ではあるものの)その言葉は、青天の霹靂だった。
なぜ、学校に高い壁があると感じるのか。その理由を彼はこう続ける。
学校とユースワークとでは、根本的に異なる部分がある。学校は強制的に通うものだが、ユースワークは行きたい人・関心のある人だけが通う。そこで働く(参加する)大人も同様。
学校の先生は、学校主体で物事を決めることが多いが、ユースワークでは若者主体の場合が多く、相容れないスタイルなのだ。
考え方が根本的に異なるため、連携しにくいということだ。
ただ、ヘイキさんの真意は、その言葉そのままの意味とは少し違っているように感じている。ヘイキさんはこう続けた。
そこで我々は学校の先生に「どのようにしたら先生の仕事が楽になるのか」という問いで研修を行ったりしている。
また、近年では(とりわけ中学校・職業専門学校で)学校の中にユースワークが入り込んできている事例もある。
最後に、「学校のあるべき姿はどのようなものだと考えていますか?」という質問に対して、ヘイキさんはこう答えた。
フィンランドにおいて、学校間の平等を担保することはできてきている。あとは、学校の中である。校長先生が決めるのではなく、生徒と一緒に「どうしたいか」話し合い、決めてほしい。
ヘイキさんの感じる「高い壁」とは、「連携を阻害する」意味もある一方、「マインドセットの差異」も指摘している。
それは日本でも同じ状況で、(皆さんご承知の通り)先生の「teaching」スタイルを指摘する声は年々高まってきている。
学校の役割や先生の能力として求められるものは、日本もフィンランドも同様の状況にあるようだ。
が、ここで重要なのは、ユースワークに関わるヘイキさんも「学校間の平等を担保することはできてきている」と認識している点である。
公教育のサービスはある一定数、市民の期待に応えているのだろう。その上で、次の段階に進むとなったときに、先生のマインドセットやマネジメント方法がそのテーマとして取りあげられているのではないかと僕は解釈した。
《記事リンク》
【vol.1】https://note.mu/shigaku/n/na7dfc71ec391
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