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僕とキエフの関係。

2月25日、まだ寒さの続く神戸である。弊社の確定申告収受押印を終える。税務署の受付時間終了間近に行けばすっかり空いていて、なのに少々疲弊気味の皆さんだったので聞くと、想像通り飲食店関係者、個人事業主の納税相談がかなり多いらしい。近頃は週に何回か、休業中の店と自宅を行き来する。金曜だが、週末の気合を意識することのない退屈な日々は続く。



1974年、京都市立山階小学校4年生。「道」という字を書いて特選をもらったことがある。あとにも先にも、書道でそんな表彰など受けたことがない。

それはお手本を見て筆を取る、ごく普通の書道授業の延長だった。「手本通り」には違和感があった。大人は大抵、手本に近い字を選ぶ。それが本当の評価なのかと今になれば思うのだが、模写にも近い筆を大人がいいと認めるのが可笑しくて、それを偏ったスキルとして使うようになった。

そのうちラグビーを始めた頃から、食事制限される肥満児にも、チビだノッポだ逃げ足が速いだけだと馬鹿にされる奴らにも、ちゃんと光り輝く個性があるスポーツだと知り、大人を揶揄うような字は書かなくなった。

その特選はどこかで貼り出されたはずだが、ある日、なぜか書き直すように言われた。それは「道」という文字よりも、その左下に書いてある「四年 志賀敏哉」の部分の書き直しだった。わざわざ「京都市立山階小学校四年 志賀敏哉」と書かされる。その意味を知ったのは、何回やり直しさせるのかと閉口し始めた頃だった。


1971年日本で唯一、京都市はキエフと姉妹都市提携を締結した。
その3年後、キエフとの交換作品でその「道」は海を渡ることになる。


連日の報道で、行ったことも思い出すこともなかったその街に思いを馳せている。今の僕のように、例えば日本に於ける地震や水害で、日本人すら詳しくない地域を世界から気に留めていくれている人もいるのだろう。

明らかに対岸の火事のように画面を眺めている、ありふれたイチ日本人の僕が、「道」という書でかろうじてウクライナの戦火と関わっている。

繋がった「道」が消えてしまうのはやはり辛い。

僕の周りでもそう思ってくれる人が少しでもいたら、
消費されるニュースの観方も、この世界の捉え方も変わりそうに思う。


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