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深夜の三宮はまだ穏やかではなかった

一ヶ月半ぶりの再オープンで、この一週間はちょっとしたリハビリのようであった。無論、今まで通りとは言えないが少しずつお客は現れ、言葉を静かに交わし、店のあらゆる備えを繰り返す。これまで通りにと言い聞かせながらも、もうこれまでとは違うリスタートに少々戸惑いはある。

知人がSNSに書いていた。

「できるだけ三宮に出られる時は、色々顔を見に行きたいなと思ってるけど、外から見てカウンターが満席で、三密なお店はスルー」

僕もそう思う。

店もお客も責任を伴わない場所は怖いし、何より愛がない。

6月に入り休業要請解除を受けて時短で店を開けている。
再会を祝おうと来てくれる方がいるのはありがたい。

でも少し怖くなった。

このまま、来てくれた人をどんどん拒まずに
招き続けていいものだろうかと不安にもなった。

カタカナで簡単にソーシャルディスタンス、「人と人との距離を保って欲しいという願い」が加味されたソーシャルディスタンシングと言ったりするが、社会的に必要とされる適度な距離感を本当に守れているのかと、ここは店と客側そのどちらにも、我慢と責任を今一度再認識しないといけないと思った。それぞれが持つ距離感など一定であるはずもない。

そんな中、パンやケーキ職人、食品工場などでこのコロナ騒動より前からいつも着けている透明のマスクが気になっていて、専門業者からやっと届いた。あごの部分が白いのは目立つので、クリアのモノを探し当てた。

店は、4月15日からたった一ヶ月半の休業だったとは言え、来てくれる懐かしい面々に喜びも込み上げ受け入れる。思わず矢継ぎ早に再会を確かめ合い熱く話し込むこともあった。ただ、紙や布のマスクをしての接客(隣に座るのではなく適度な距離の対面)には違和感があったので、この透明のシールドマスクは口元が見える安心と、飛沫の備えにもなるし役に立つ。

土曜店を終えた深夜、三宮のバー仲間に届けに歩いた。

土曜の人通りは少しばかり異様で、もうマスクをしていない人も多く見られ、東門も生田新道にも、タチの悪い呼び込みが相当増えていた。

ただ、マスク(いわゆる紙のマスク)をしてしっかりと歩く僕に対し声は掛けられなかったのだ。彼らはこの時間、マスクもしないでフラフラと彷徨う、「無責任な酔客」にターゲットを絞っているようだと知った。

声を掛ける方もさることながら、掛けられる方にも問題がある。

まだまだこのマチは、そして世間は、社会的距離を履き違えている。

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