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それが日常ならマチの酒場なんていらない。

色々、騒々しい世の中である。

芸能人ってその昔はまず隣にいる人じゃなかったし(つまりコンビニやスーパーにはいない)、色恋に関しても「信頼のおける人と場所」に守られていた=遠い憧れの世界のスターがつくられていた。いつからか(AKBくらいから?)私にも、うちの子にもチャンスが!ってな感じで身近になって、イメージと憧憬につくられたはずのうず高い境界線がなくなってしまい、見ているこちら側にも演者にも曖昧になった末の愚行が、文春砲火を浴びることになる。手の届かない場所にいないと、夜空に輝くスターにはなれない。


さて、兵庫県では休業要請が解除、6月1日から店に立てる喜びを噛み締めている。居場所というか日常生活に欠かせないルーティーンというか、しかし今は段階的に19時から深夜1時と時短営業を続けている。もう少し遅くまでやりたい気持ちはある。みんなに来て欲しいとも思うが、まだ「姿勢」は見せていたい。ここでタガを外しては「これまで」を否定することになる。

飲食店やバーその他には休業要請を守った末の給付金などがある。それを申請しなかった店もあるだろう。背に腹は変えられないし、店を開けた方が売上があるからという店の形態・規模にも寄る。それは仕方がないと思うが、コソッと隠れて営業しながら給付金申請だけした店もあると聞く。なぜそんなことを知っているかといえば、リークほど深刻じゃない程度にそれを笑い話にして伝える人は多い。「休業中の貼り紙を書いて写し提出したが、その間に店を開けていた」とか「密になり始めてもどんどんお客を入れて一緒になって騒いでた店主がいた」とか自粛警察までには至らなくても広がる事実は怖い。こういう一部の輩のすることで「飲食店は…バーは…」と一括りにされてはたまらないが、今回の騒動はそういうものがよく見えた。

給付支援金申請の有無は関係なく、ちゃんと対応策を踏んでいるか、酔客に毅然とした態度を示せているか、全てがもと通りのマチになったかのように無責任な営業をしていないか。今この時期だからこそ、その店の姿勢でこのマチの未来が見えてくる。生真面目過ぎる?いや、当たり前の心構えだ。

変わらない場をやり続けてきた自分の想いとは裏腹に、変わらざるを得ない世の中は確かにあって、それは神戸で震災を経験したあの日からと同様、失われてゆくもの、必要とされるもの、新しく生まれ変わるものそれぞれに違うカタチが存在する。では、これからはどうするのか。突っ込まれて答えに困ることはしない。それだけは25年ほどこの店は変わっていない。


つい先日、店に夫婦で来ていた友人が言っていた。以前はマチに頻繁に繰り出していたけど、コロナ禍での過ごし方やマチの捉え方が変わった。義理や付き合いで覗いていた店は優先順位を外れ、行きたい店に行くようになる。思いもよらないことが起こると人生を無駄にしない方法に気付く。豊かな生活は実にシンプル。会いたい人に会い、行きたい場所に行けばいい。


マチになぜ出向くのか。

家飲みとは違う、非日常の味を占めたからに他ならない。

そんな人々を受け入れる店は、扉一枚の敷居、カウンターの距離感はしっかりと守り続けるべきであり、お客も店もそれが保てないなら対価をいただいてはいけない。ちょっとした境界線は、特別な安心へと繋がってゆく。

店に立つ者は、そんな自覚は持っておいた方がいい。

スターになりたいわけじゃないけれど。



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