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マチは…加納町志賀はどうなる?

木曜の深夜、雨の中マチを歩いた。居酒屋、チェーン店、若い人が多い客層の店、夜の仕事後に立ち寄るタイプの店は問題なさそう。要するに終電を気にしない人、「俺が経済回しとんねんっ」というお金はあるがちょっと行儀の悪い人種が元気に歩いてる。ともすれば無責任にも取れる行動も、今のマチには優しく映る。真面目に自粛されてはマチは激変を辿る。真面目にマチに出て来て欲しいが、不幸(?)にも、ウチの客層はその辺りが少ない。

今、加納町の3丁目まで来てくれる人は、いつもより一層ありがたい。皆、抱きしめたくなる。当たり前ではない毎日、過ぎてゆく時間が尊い。危機感は募るが、店と僕が試されている。この店はマチに必要なのか。騒動が引き金になって、ヤケを起こしそうにもなっている。あとは僕の意地だ。

情報は場所を選ばず手の中にある時代だ。ニュースを見る。オーバーシュートなる聞きなれない言葉は金融・証券用語から来ていて、「相場や有価証券の価格の行き過ぎた変動」を指す用語であり、一昔前の「アウトブレイク」だと混乱を招くんじゃないかということと、「市民の行動変容」をCOVID-19対策の基本方針の一つと意識させる意図もあるらしい。つまりオーバーヘッドキックのことではない。しかし、まるでカタカナなんて入ってこない。

コンセンサスはコンセントを挿すことではない。
マッキンゼーは北米最高峰の高い山ではない。
オンブズマンはおんぶする男ではない。
暮らし安心クラスター…

まるでカタカナが入ってこない頭の中のロックダウン。

もっと直接的に腹落ちのする情報が欲しい。
その場しのぎではなく、未来を見据えるような言葉が。

日本という国は、一気に「流される国民性」でもある。件のトイレットペーパー騒動がそうだし、食に関して言えば、知事の一言で食材が突然なくなってしまうこともある。BSE狂牛病、豚コレラ、鳥インフルエンザ…喉元過ぎればその喉元を何でも通すようになる。右へ倣えを左に倣うことも厭わないのは今に始まったことではないにしろ、良くも悪くも連帯責任、団体行動、スポーツが体育でしかなかった時代の歴史がそうさせたのなら、僕はスポーツのチカラでこの未来をとてつもなく「いい方向に」導きたい。何もスポーツに限ったことではない。健康であることの喜びは強さでもある。

延期となった五輪代表選手が言っていた。

” 開催が延びたということは、もっと強くなれる時間があるということ。
メジャーではない競技にも、この期間にファンを増やすことができる。”

神戸でこの店を続けていきたいのであれば、心身ともに健康でいること。そして、どれだけいるか分からないこの場所のファンが加納町から離れてしまわぬよう、更にファンが増えるよう、サステナブル志賀でいたい。

ほら、カタカナ全然入ってこないでしょ。

※以下、各地で行われてる飲食店支援サイト、クラウドファンディング、政府による緊急経済対策の一部、過去の比較例など。「今は行けないけど、終息すればその店に行くための金券事前購入」は確かにいいアイデアだと。
(3月27日現在)

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