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酒場の?な出来事は、ドラマにして解消する。

梅雨の狭間、寒いくらいの金曜日である。

23時過ぎ「今から4人入れますか?」と電話がありお名前を聞くと「◯◯さん(フルネーム)の紹介で…」と返すが、その◯◯さんが僕にはピンっとこなかったので、場所がとにかく判りにくい店だということもあって「その中にこちらにいらしたことがある方は…?」と聞くと、どうやらそれは面子にいるから大丈夫ということだった。その方に◯◯さんのことも聞いてみよう。コロナでなくともこの店は色々慎重になる。近くだと言うので、ではお待ちしておりますと電話を切った。


僕は今、20数年前の出来事を思い出している。

1995年震災後数ヶ月で再開した近くのビリヤード店は、その年8月にオープンした僕の店の目の前にあって娯楽も少ない時期、様々な客の溜まり場になっていた。そう言えば一時のコロナ禍のようにも思う。娯楽、エンターテインメントは人々やマチに活気、夢や希望までをも与えるものだ。

玉撞屋(常連や上級者はそう言う)は当時大盛況で名前を書いてウェイティング、僕の大学3年時の映画「ハスラー2」大ブーム以来の光景だったが、幸い僕らは毎日のように顔を出し「花台」で撞くことを許されていたので待ってる人々を横目に、待ち客を観客ギャラリーと勝手に意識しながら「見せる玉」を撞いたものだった。ええかっこしいの方が、玉は上手くなる。

一人の外国人が待つのに疲れた様子で、
レジ横にいるそこのお母さんにキャンセルを申し出た。
少し何処かで時間を潰してからまた来ると言いたかったのだろう。



「チョット、タビニデテキマス」



僕はそれからというもの店に来ると電話があって、その後何の連絡もない場合、そのお客は旅に出てしまったと思うようになった。

ちなみに、そうした旅人達は
「あの時は失礼しました」と戻ってくることはほぼない。

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