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酒場のいいところは、言葉が消えること。

9月8日。日中は過ごしやすく、夕方、薄っぺらい雨が降る。近頃のドカ雨に比べれば、少しばかり秋の気配を叙情的に描きたくもなる。まぁさして変わらない、普段使いの口語表現でしか書けないが気持ちは秋に向かってる。

オッサンばかりで、アメリカンフットボールXリーグ開幕戦を観に行こうと画策している。オービックシーガルズに仲のいいコーチがいて、神戸で試合があると聞けば、さほど詳しくもないスポーツにも興味が湧くものだ。友人の子供がインターハイで…、出身大学の子が世界大会で…、切っ掛けは様々で、ニワカとか裾野とか誰だって始まりはあった。そこに行けば楽しい何かを持ち帰り、人はまた伝えてくれる。あとは受け皿の整備次第であろう。

オッサンの連絡網はFacebookのメッセンジャーを選んだ。グループLINEでも良かったのだが、チームからの案内がそこからだったため自然とそうなった。案の定WEBチケットのやり取りに、初めて相手から電話に紙が送られてきたあの日(FAXのことね。僕の母親は送った本紙があっちに飛ぶと思ってたようだった)のような戸惑いを見せたが、大人の遠足みたいに、バナナがおやつに入るか論議みたいな杞憂も楽しいものだ。

そう言えば、大学ラグビー同期のグループLINEがあるのだが、当初は久しぶり感も相まって、60歳手前の男どもはチャットのように何度も返信を繰り返し(使い方を質問する奴もいて)気づけば未読が数十件にもなり、「アイツにLINEしたけど返事がないから電話したわ」という行動までも逐一報告し、肝心な例会めいた話がどこかに行ったりすることも多々ある。そういう本題そっちのけ事態にLINEでは「アナウンス」機能があるからオススメだ。


話を戻す。件のメッセンジャーグループの中で、ウチのカウンターでよく寝る栗男が、大学母校のアメリカンフットボール部の不祥事を憂いだメッセージをした。まぁそこで広げる話でもないので、「こういう系統の話は、活字より対話ができる酒場でね」と僕は書いた。無論、営業ではない。

かねてからマチに出て話すことは「言葉が消える」ことだと思っている。

酒場での会話はずっといい話ばかりではない。ほとんどの話がどこかに消えて忘れ去られてゆく。しかしながらその中で、それぞれが放った言葉を受け流す時もあれば、一言が記憶に留まることもある。大半がくだらない話だとしても、そこに共にいること、ライブ感、会話の醍醐味を知っているからこそ、互いの表情の「今」が見えない活字にはリスクがあると考えている。

華美で盛大なパーティー。しかしそこには大抵主役がいて、もしくはそれに相当する「力のある人」がいて、徒党や取り巻き、群がりを生みだすものだ。「メディア出演したら突然親戚が増える」みたいに、しばらく連絡をくれない人が親しげにコンタクトを取ってくる。電話ならいい。SNSでコメントつまりは活字に残し、他者に存在を知らせ、主役を知ってるアピールだとか、そんな自分も凄いとか、色んなところで残そうとする人を垣間見る。


酒場。カウンターの主役は目の前の来訪者である。

過ごした時間のほんの少しだけ、主役が吐露を置いてゆく。

僕は記憶に刻むだけ。

ほとんどの言葉はもう見えない。


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