【 過去の体験をチカラに変えてみる 】
週末土曜日の夜。ネオンも車も少ない三宮を通り過ぎコイン駐車場へ。いつもより空いていて入れやすいパーキングに助かるが、深夜の治安は気になるところである。震災の時もそうだった。この時期によくもまぁそんなことを思いつき(頭の中にある人はいるとしても)実行に移す火事場泥棒のような悪知恵を働かせる輩がいる。罰は当然「堕ちた」人生を歩むことになる。
どこか、今の状況は1995年の神戸の震災と似ている部分もある。皆が苦しい。思いやり助け合う気持ちを持とう。行政が何もしてくれないとか、実行が遅いと誰かを責めるよりここから前に進もう、動き出そう。あの被災体験と比べればと、このウイルス騒動にも役に立つ経験は確かにある。人は、比較のできる辛い体験を他のチカラに変えることだってできる。
ただ家を出る夜、塩屋の暗い外を眺めた時に思った。震災のあの早朝は、街灯も家の光もなく真っ暗で、眼下に見える塩屋のマチ全体が暗い海のようだった。数ヶ月ほどして大阪にやっと行けた時、神戸とは全く違う普通の生活に驚いたものだ。その部分で言えば新型コロナとの明らかな違いは、水や食料に行列をなすことはあの頃よりない(濃厚接触回避の意味もある)が、世界中が何らかの痛みと試練に今もなお立ち向かっているという点であろう。
緊急事態宣言が出てからのマチの様相は周知の通りで、マスクをしていない人を思わず見てしまう不思議な日常になっている。確かに、今ここで感染を食い止める、そういう動きの中で、致し方ない風景を受け止めるしかない。
僕はと言えば、日曜以外の夜は家のような店(正確には奥のアトリエ)にいる。先日書いた通り、創作活動に勤しんでいるのだ。読書やスケッチ、文章を認めること、新たな企画提案、物思いに耽る…頭の中を浄化させるあらゆることがここで一人ならできる。結構音のいい音響でガンガン流す。軽いトレーニングもする。スポーツや音楽、それらのない日々はストレスでしかない。こんな些細な外出が、僕の「社会を維持する上で必要な生活インフラ」だと思うのだが、その点は政府とは違う見解のようである。
自宅からは車なので、ほぼ誰にも会わないままここに来られること以外に明るい話題と言えば、店がいつも綺麗なことと、空気が澄んでいること、そして、この店にしかできない手段を考える時間があるということだ。
今、Facebookで「神戸の飲食店テイクアウト情報!」というグループのモデレーターに誘われサポート。テイクアウトをやっていなかった店までも掲載が増えている。店主自らという場合もあるが、何より顧客に愛されているコメントや投稿に癒される。管理者が影響力のある人達なのでもう数日で4000人と増えてはいるが、大きくなり過ぎたイベントでも起こるように、最初の趣旨からズレてしまう危険性もはらむのが常だ。まずは衛生面を守りしっかりと理解の上で管理すること。そして、その場でのコメントや応援は前向きに、不平や不満は「違う場で」思いっきり発散してほしいと願う。
この度の政府の発令と共に、都道府県行政ごとの補償の格差が見え始めた。どこかの観光地では家賃半額分を負担するだとか東京ではどうだとか、不満の捌け口は各々の営みの場によって変わってきていて、そのうち暴動が起こるんじゃないか、それを扇動する新たな動きがあったりするんじゃないかという心配も募る。そりゃそうだ。前例のないことには皆不安なのだ。
いつの時代にもそうした動きは起こるものだが、僕はこの状況を負ではなく「新しく何かが生まれる」ということしか捉えていない。まさに今日、店とアトリエを借りている家主側から、大きな損害が出ておりまして家賃の減額も支払い猶予もできませんという報告をされ「少しでも長く、こちらで続けられるよう努力いたします」という皮肉めいた言葉を返すしかなかったのは仕方ない。皆大変だと解ってる。試練だと受け止めて、まずは自分の短いこの歴史の中で重ねてきたことを活用し、表現できる場を探すまでだ。
今日の長く小難しい文章が決意表明である。
このタイミングに実はワクワクしている。
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