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星野源が気づかせてくれたこと

家事をするときは音楽をかける。
いつもは藤井風、だけど突然星野源が聴きたくなった。

sun の
ぼくたちは いつかおわるから おどる いま

とか

創造 の
ぼくはうまれかわった
いくどめのはじまりは
よどむこのせかいであそぶためにある

何事にも終わりがあるのだという死生観

限りある命を精一杯生きよ、とか
メメントモリ、必ず死ぬということを忘れるな、とか同じことなんだが、それだと私にはちょっと重い。訳し方の違いであって、言いたいことは同じなんだろうけど。

今日は死ぬのにもってこいの日
がしっくりくるかしら。

死という言葉を使ってるのにポジティブさを感じる好きなタイプの訳し方だなあと初めてみた時に思いました。

人は死に向かって生きている、
そんなことは分かりきった上でのふっきり、
人生は壮大な遊びだ。
だから星野源のこの
「遊び」
というフレーズに、首がもげるほど頷く。

藤井風はインドの神様の生まれ変わりだから当然として←
星野源にも神性を感じてしまう。


私はタンゴ、ピアソラが好き。
タンゴをもっと自由に!の立役者。
展開がすごくドラマチックで、人生山あり谷あり、をかっこよく表現しててすごく好き。


暗黒舞踏も好き。
ほぼ裸体で白塗りのやばいやつ。
バレエなどの洗練された美しい踊りも好きだけど、生をむきだしにしてるやばいやつも好き。
コンテンポラリーダンスやフラメンコやタンゴなどは私の中ではその中間に位置するど真ん中だ。

生きているということをいやでも感じてしまうもの

バレエでも、
ウリヤーナ・ロパート・キナの『瀕死の白鳥』、
YouTubeで見れます。
この人、ほんとに白鳥なんじゃなかろうかと思う。

幼稚園の時に、好きな人は沢山いるけど、嫌いな人もいる。
なんで嫌いな人とも仲良くしなきゃいけないんだろうと思い、

小学生の時に
教師になるには大学にいかねばならないことを知り、大学に行こうと思うが、中学生、高校生まではクラスがあって、この不自由な感じは続くのか、ま、我慢しよう、と思った。

中学生の部活で仲良くなったのが他のクラスの子で、別にみんなと仲良くしなくても生きていけるんだなあと少しだけ思えた。

高校生になり、あともうちょっとだ!と思って大学に入ったら氷河期が目に見えてて、教師免許がとれても仕事がないとわかり、教職を取るのをやめた。しかも大学にもクラスというものが存在した。(勝手にクラスなんてないと思っていた)しゃべりたい人がいなかったから、自分から話しかけないからクラスには一人も友達がいなかった。全くなんにも困らなかった。むしろ喋りたくない人と喋らなくていいから清々しくもあり、
やればできんじゃん、と嬉しくなった。

2年になり、仲の良い別クラスの友人とバンドサークルに入ると、しゃべりたくて仕方がない人たちだらけだった。

ようやく自分が好きな人だけと居られる場所をみつけた。ただ、将来のことを考え始める。

好きなものを着て
好きなものを食べ
好きな場所に住むにはお金が必要だ
と思った私は、超氷河期もなんのその、
絶対給料のよい会社に務めるのだ!!と
バンドをやめて、アパレル小売業に入社する。

好きなものを着て
好きなものを食べ
好きな場所に住むことができた。
仕事も色々あったけど色んな人に出会えてすごく楽しかった。

ふと
何歳ですか
結婚してますか
子供はいますか
なんの仕事をしてるんですか
といったパーソナルデータをきかれることに、
いや、きかれてもいいのだが、その先の会話に内容が無さすぎることにうんざりした頃に会社を辞めた。

そんな当たり障りのないどうでもいいことよりもっと!その先の!他のことが!しゃべりたいし!ききたい。

面倒くさいよねー。今は全然嫌じゃないよ。そんな時期もあったのよね。

面白い人は面白い人を連れてくる。
ということは逆も然りで。

あの頃は気づいていなかったのだ。
世の中つまらないなあ、みんなつまらない!
と思うのは、自分がつまらないからだってことを。
あな恐ろしや。

運動でもしようかなと通い始めたヨガスタジオの変な先生やそこにくる変な生徒さんとの会話がおもしろかった。

まず誰も、あの例のパーソナルデータをきいてこない。ヨガ哲学や宇宙の話、スタジオの近所の美味しいお店とか、ヨガに関わらずおすすめの本の話などなど、退屈することがなかった。
名前も、年も、なんの仕事をしてるかも、連絡先も知らない。
でも好きなインストラクターが一緒だから、よく会うのだ。だからといって、一緒に行きましょうよ、ともならない。

誰と誰が仲が良くて、仲が悪い、とかいう話にもならないし、あの人を誘ったからにはあの人も誘わなきゃじゃない?なんて話にもならない。

自然に生かされている

私、私の世界を作ることが上手くなってきてないか?

そうだ。
もっともっと一緒にいて面白い人、
変な人と出会いたいなあ。
それにはそういう人が集まる場を作ればいいんだよね、ってことで、shifukuを作る。

人生は一度きり。
死ぬときには、
もう何も思い残すことはない、
楽しかったー!!って笑ってたいのだが、
それは一人でできることではない。

どんな人と会ってどんなことを話すかで
人の思考は変わり、行動は変わる。
行動が変われば運命は変わる。
どんなにすごい人でもひとりの熱量なんてたかが知れてるし、集まるから一人一人の良さが生かされるのだと思う。

作るべきは、場。
場は、店主とそこに集う人そのもの。
性別も
国籍も
年齢も
どんな仕事をしてるかも関係なく
人生をダイナミックに生きることのお手本のような表現者たちとともに真剣に遊びたい。
お店って、いいよね。
私はお店が好き。

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