見出し画像

【過去の社内メッセージより】シフトへ入社する社員へ

2010年より、SHIFTの社内向けブログにさまざまなメッセージを書いてきました。そのメッセージをより多くの方たちに読んでいただきたいと、noteに転載したいと思います。

(SHIFTの社内向けブログ2012年4月1日)
********************************


新入・中途社員のみなさん、入社おめでとう!!

大きな区切りの日に、僕が前職に就職した時のことを思い出しました。

僕が前職の会社へ入社したのが、2000年4月。大学では何も勉強せず、新宿のオペラシティというビルにある会社に入りました。関西の大学から入社したのは、僕がはじめて。

同期は32人。入社する前に、東京にいる内定者は掲示板を通して仲良くなり、旅行に行ったり、飲み会に行ったりして交流を深めていたのを、京都から眺めていました。とても寂しかったです。

そして、当時は、起業するためにベンチャーに入ったので、友達なんてつくらず、仕事だけしようと心に決めた、とても変わった新入社員でした。

僕は、社会人というものが何をすべきなのか、どうやったら起業できるのかが、全く分からなかったので、とにかくガムシャラに働こう、とだけ思っていました。

そこで、以下のことを心に決めて、入社しました。

・必ず丹下に仕事を任せようと思ってもらう
 ⇒どんなに無茶ぶりされても、イエス!!と言う

・みんなの逆張りをして、付加価値のある人間に思われる
 ⇒お茶くみ、コピー、エクセルの作業など、みんながやらないことにこそ価値がある

・1年で全ての仕事を覚え、2年で社員のトップになる
 ⇒人が5年かかることを、2年でやる

そして、独立するために、以下の3つのことを学ぼうと思っていました。

①まず、1人でお金を稼げること
②チームをマネージメントできること
③お金の計算ができること

そして、30歳で年収1,000万円を貰うという目標を決めていました。市場価値がある人間になりたかったから。

そして、どうにか認めてもらいたいという一心で、当時の社長が書いていた「徒然ブログ」というものに、記事を投稿しました。

ユニクロが爆発的にウケている理由を、わからないながらも、財務分析とニュースの記事をみて、在庫回転率がハンパないことから理論展開したんです。

たかが新卒の社員が書いた投稿なんて、社長は見てくれないと思っていたのですが、すぐに社長が僕の席に来て、「丹下君、なんでユニクロは売れるの?僕はあんな安い服を買いたいなんて思わないんだけど」と言われました。

僕は「社長はマイノリティかもしれませんが、マジョリティは違います」と瞬間的に答えました。

そしたら、異常に反応して、入社して半年しか経っていない新入社員が社長直属の部下になりました。そして、マーケティング部隊の社内コンサルタントとして、一番売れる営業マンをコピーでつくるための分析をさせられました。

その頃には、新入社員ながら僕にはアシスタントがいて、スケジュール管理とか、雑務とかをしてくれる人を社長がつけてくれました。同期の誰ももっていないノートパソコンと携帯電話も買ってもらいました。

本当に当時は、嬉しかったです。舞い上がる気持ちでした。

社長には「1,000人に1人の存在だ」と言われ、経営会議では「丹下君は俺が育てる」と言われたのも、とても嬉しかったことを覚えています。

ただ、僕は逆に興ざめしていきました。

そう、大した才能も実力もないのに、誉められることが嫌で、それから、徐々にボケたふりをして、社長から嫌われるようにふるまいはじめてしまいました。

そこからひどい社会人人生となり、入社2年目にはコンサルティング部隊に左遷になり、それを見た当時の常務が僕を拾ってくれました。

そこで、本当に現場を経験できるという喜びを知り、とにかく毎日朝の4時まで働き、土曜日も経営会議に出席して議事録取りをしていました。

給料は同期のなかでも伸びず、普通な社員と化していきました。

ただ、目標があった。起業する為に、泥臭いことを全て学ぶと。そのためなら、一直線に自分をマネージメントしながら、日々徹夜している姿の方が性に合っていると思っていました。

でも、毎日お茶くみ、プリンターの出力、上司のスケジュール調整。
これだけです。

周りからは、「インクス一のクロウ(苦労)人」と、ジョークで言われ、少し馬鹿にされてました。
自分が一生懸命努力しても、何も夢まで届かないんじゃないかと日々、ウツになりそうなくらい辛かったです。

当時の仕事は、コンサルティングという仕事でした。しかし本当は、単にエクセルで議事録をとって、ガントチャートという金型がつくられる工程をエクセルで色を付けて塗っていただけでした。毎日。

同期は、世界最高峰の3DCADを使って自動車部品を設計し、大手自動車メーカーから誉められ、会社でも重宝され、年末には新宿の超高級ホテルで忘年会で表彰されてました。

でも、プロセスの一部を効率化するCADという技術よりも、全体を管理するプロセスの方が絶対に価値があると自分を信じつづけました。

入社して、2年半が経ったある日、僕の嫌いだった上司が「丹下君の書いているその工程表(ガントチャート)、インプットとプロセスとアウトプットの繋がりだから、どこかに規則性があるはずだよ。ちょっと考えてみて」って言われました。

そこで土曜日に、そのプロセスのインプットとアウトプットを洗い出して、マトリックスにしてみました。

このインとアウトがここで繋がるよなー。

そうすると、インとアウトがあるんだから、すぐに仕事(プロセス)ってはじめられるよなー。

だとしたら、最短でモノをつくろうとしたら、前倒しで、ここまで早く仕事を開始できるよなー。

って、エクセルで組み立てはじめました。

そこで、ハッと思って、そのインプットとアウトプットのマトリクスと工数さえあれば、工程表(ガントチャート)を自動的に書けるじゃんっ、と気づいた。

気づいたら、もう早かった。当時、エクセルのマクロを誰も使っていなかったあの前職の会社で、1人で本を買って、マクロを書きはじめました。

初めてに近いプログラミングだから、もう見よう見まねで、とにかくコードはぐちゃぐちゃ。
でも、とにかく書いた。そして、1週間で書き終えました。これ、ヤバい。世界が変わるかもって。

本当にそうなるかどうか、分かんない。でも、とにかくこれをコンサルティングの手法としてお客さんで試してみよって思った。

2002年当時、ITバブルがはじけて製造業にも大きく打撃を与えていました。
前の会社も、大手メーカーからの失注などがあり、後に引けない状態でした。

当時の常務から、「丹下君、このプレゼンでコケたら会社がヤバいんだ、なんとかしてくれ」って。

おいおい。入社2年程度の俺に期待するなって心の底で思った反面、常務から頼られて嬉しかった。
よっしゃ、やったろと。

それで、徹夜でお客さまに見せれるマクロを作ろうと翌日のプレゼンに間に合わせるように作ったことをいまでも覚えています。

「このI/Oマトリクスで、こうやってプロセスを登録すると、自動的にバンパーの金型製作納期が短縮されます。この手法でコンサルティングをさせてください!」

ある自動車メーカーの、R&D部隊の責任者への後に引けないプレゼン。

現場のエンジニアからは、「こんなの信ぴょう性が無いんでは?」「まあ、インクスさん、よく頑張ったけど、今回はコンサル無いかな」と言われ、へこみました。

でも、そのR&Dの責任者が「インクスさんは、こんなに一生懸命提案してくれてるんじゃないか!これ、信じてやってみようよ!」と、言ってくれました。

これで、なんと6,000万円のコンサルティングを受注することができ、何とか会社の危機を乗り越えることができました。

あの時は、「徹夜して良かった~」「ゴミみたいな仕事をしてきて、良かった~」って、本当に思った。

それから、次は大手自動車メーカーの本部長さんへのプレゼン。
「丹下さんが言っているのって、このことかな?」って、数日してから、とある雑誌をもってきてくれた。

そこには、MITの学生が、僕と同じ理論で、工程を組み立てるメソッドを考えてました。

それがハーバードビジネスレビューの記事になって載っていました。
世界には同じことを考える人が、本当にいるんだって。

それから、そのツールが前職のコンサルティングの主力製品になり、たった3人ではじめたコンサルティング部隊が5年で60億円、140人の部隊になり、花形だった3DCADのコンサルティング部隊のコンサルフィーが220万円だったのに、僕の部隊は440万円貰える部隊に逆転した。

そして、新卒の一番人気の部隊になり、いつも新卒採用の時は、僕が爆撃王として面談に行かされるようになりました。

そして、それが「インクス流」という本になり、プロセステクノロジーという手法として、僕が発明者として特許も取得できました。
その本は、大手自動車メーカーの部長以上の人が全員読み、製造業のバイブルになりました。

ブルーワークだった僕の仕事は、創造性豊かなホワイトカラーの仕事と認知されるほどになったんです。

あの手法を思いつくまでは、苦痛でしょうがなく、いつも悩んで、徹夜で体もボロボロになるという生活でした。

でも、あの手法を思いついた瞬間、いまでも忘れないのが、西新宿の自宅まで徒歩で帰る間、思考が止まらず、神経衰弱の裏が読めたように、すべての疑問がパタパタと答えが見つかりはじめたこと。

脳の後ろ側が熱く、寝ようとしても脳が勝手に思考をはじめ、映画のように色々なパターンが頭の中を勝手に計算しつづけました。

麻薬はやったことないですが、人生で本当にトリップを感じた経験でした。

なんで、社会人になったばかりで入社する人にもこんなことを言うかというと、人生で最も大切なものをもって社会人を過ごしてほしかったから。

人生でもっとも大切なのは、夢をもつことです。そう、目標でもいいかもしれない。

僕で言うと、自分は頭がそこまで良くない。だとしたら、人の50倍働いて、時間で稼ぐことが重要だし、誰もやらないことを追求して、抜きに出るしかない。

基本、時間の99%以上が苦痛以外の何者でもないんだよね。社会人は。
でも、それに耐えられたのは、夢があったから。夢は大切。

だから、シフトに入社するみなさん。夢をもってほしい。全ての道は、そこから始まるから。

そして、シフトのクレドを送ります。

1、ふてくされない、素直に受け入れる
2、出来ないと言わない、出来ると言った後、どうやるかを考える
3、我々はビジネスの世界におけるアスリートである、脳で汗をかけ
4、楽しいと思える事を提案し、自ら仕事を創りだす
5、つらい時こそ、笑顔

入社、おめでとう!!

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?